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『海から百万石 ~江戸時代に転移した国交省の土木職員、水守と河童と有明海の大干拓に挑む~』  作者: 天手古まい


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第二普請 四百年前の諫早を歩く

<長崎県諫早市 本明川 飛び石>

挿絵(By みてみん)

第二普請です。

四百年前の諫早を歩く湊一。

本人にとっては大変な状況なのですが、水路や川を見るとどうしても土木職員の血が騒ぐようです。

今回から少しずつ、後に湊一たちと関わっていく人々も登場していきます。

元和七年。


 西暦に直せば、一六二一年。


「……四百年以上前か」


 白瀬湊一は、もう一度呟いた。


 二十七歳。


 令和八年まで、諫早市役所で河川や農地整備、防災に関わる仕事をしていた――はずの男である。


「またそれか」


 隣を歩く澪が、少し呆れた顔をした。


「まだ未来から来たなどと申すつもりか?」


「俺だって、できれば夢だったことにしたいよ」


 湊一は自分の胸を見る。


 濡れた作業着。


 救命胴衣。


 安全靴。


 ヘルメット。


 腰に下げた仕事道具。


 そして手の中には、一向に電源の入らないスマートフォン。


「こいつが動けば、多少は説明が楽なんだけどなあ」


「その黒い板か?」


「板じゃない。スマートフォン」


「すま……?」


「遠くにいる人と話せる」


「ほらを吹くな」


「写真も撮れる」


「しゃしん?」


「地図も見られる」


「……」


「天気も分かる」


「……」


「川の水位も――」


「待て」


 澪がぴたりと足を止めた。


「今、何と申した?」


「川の水位?」


「離れた場所におっても、水嵩が分かるのか?」


「ああ。観測所があればだけど」


 湊一の顔が変わる。


「川の水位だけじゃないぞ。雨量も分かる。上流で何ミリ降ったとか、それで何時間後に下流の水位が上がるとか、過去の記録と比べて――」


「白瀬」


「ん?」


「急に喋る量が増えたぞ」


「……悪い」


 前を歩いていたガタ吉が振り返った。


「こいつ、水ん話になっと気色悪かぞ」


「河童に言われたくない」


「おいは普通ん河童たい」


「普通の河童の定義から説明してくれ」


 澪が、ふっと笑った。


 ついさっきまで。


 自分が四百年以上前へ飛ばされたなど、とても受け入れられる話ではなかった。


 だが。


 三人で歩いていると、妙なことに少しだけ現実味が出てくる。


 何より――。


「……すげえな」


 湊一は周囲を見回した。


 道。


 いや、現代人の感覚なら道路と呼ぶには少々心許ない。


 踏み固められた土。


 車輪の轍。


 ところどころに水溜まり。


 両脇には浅い溝。


 湊一は、しゃがみ込んだ。


「なるほど」


「今度は何じゃ」


 澪が尋ねる。


「この道」


「道?」


「真ん中が少し高くなってるだろ」


「それがどうした」


「雨水を両側へ逃がしてる」


 澪は首を傾げる。


「当たり前ではないか」


「そこがいいんだよ」


「何がじゃ」


「当たり前にやってるのが」


 湊一は指で土をなぞった。


「コンクリートも側溝もない。でも、水は高い方から低い方へ流れる。それは四百年前でも令和でも同じだ」


「こ……?」


「いや、それはいい」


 湊一は立ち上がる。


「昔の人は、理屈を数式にしなくても経験でちゃんと水を逃がしてる。こういうの面白いんだよ」


「白瀬」


「はい」


「殿がお待ちじゃ」


「……はい」


 歩き出す。


 だが。


 湊一の首は、右へ左へ忙しかった。


 茅葺きの家。


 竹垣。


 積まれた薪。


 干してある魚。


 籠。


 畑。


 水路。


 鼻をくすぐる、薪を燃やす煙の匂い。


 土。


 草。


 そして、かすかな潮の匂い。


「本当に……諫早なんだな」


 知っている。


 でも知らない。


 山の形には見覚えがあるのに、その手前にある景色はまるで違う。


 映画村ではない。


 復元された昔の町並みでもない。


 そこでは人が本当に暮らしていた。


 老婆が軒先で野菜を洗っている。


 男たちが鍬を担いで田へ向かう。


 母親が幼い子の手を引いて歩いている。


 そして。


 その全員が。


 湊一を見ていた。


「……なあ」


「何じゃ?」


「俺、ものすごく見られてない?」


「見られるじゃろうな」


 澪が平然と答える。


「そのような格好をした者など初めて見る」


「そんな変か?」


「頭には妙な鉢」


「ヘルメット」


「胸には赤い妙な物」


「救命胴衣」


「足には見たこともない履物」


「安全靴」


「腰にもよく分からぬ物」


「仕事道具」


「十分じゃ」


「……そうですね」


 前を歩くガタ吉は、誰も気にしていない。


 湊一は納得できなかった。


「河童より俺の方が珍しいのか?」


「おいはここん辺じゃ知られとるけんな」


「お前、地域密着型の河童なの?」


 その時。


「おい」


「しっ!」


 小さな声が聞こえた。


 道の脇。


 三人の子どもがこちらを覗いている。


 一人は、膝まで泥だらけの少年。


 一人は、小さな籠を抱いた少女。


 その後ろには、少し年下らしい小柄な少年。


「……南蛮人やろか?」


 少女が囁いた。


「違うばい。南蛮人はもっと鼻ん高かぞ」


 泥だらけの少年が答える。


「じゃあ、妖怪やろか?」


「河童と一緒に歩いとるばい」


「ガタ吉ん仲間じゃなかと?」


「全部聞こえてるぞ」


 湊一が言うと。


 三人が飛び上がった。


「うわっ!」


「喋ったばい!」


「人間だよ!」


 三人は逃げた。


 ――と思った。


 二十歩ほど先で止まり。


 振り返った。


「……ついてくるぞ」


「珍しいからじゃ」


 澪が言う。


「俺は見世物じゃないぞ」


 すると泥だらけの少年が、意を決したように声を上げた。


「そん頭ん鉢、強かと?」


「これ?」


 湊一はヘルメットを軽く叩いた。


「頭を守る道具だ」


「石ん当たっても平気なん?」


「ある程度なら」


「刀でも?」


「それは試したくないな」


「なんや、刀は駄目なんか!」


「当たり前だろ!」


 子どもたちが笑った。


 湊一もつられて笑う。


 そして。


 ふと、その子どもたちの向こうを見る。


 田。


 家。


 川。


 ここで生まれて。


 ここで大きくなって。


 ここで暮らしていく子どもたち。


 資料の中では、ただの人口になる。


 災害記録では、被災者何人という数字になる。


 けれど。


 実際には一人一人、顔がある。


「……そうだよな」


「何じゃ?」


 澪が聞いた。


「いや」


 湊一は首を振った。


「役所の仕事を思い出しただけ」


「役所?」


「人がここで暮らし続けられるようにするのが、俺たちの仕事だったから」


 澪が湊一を見る。


「川を直すのが仕事ではないのか?」


「それも仕事。でも、川を直すことそのものが目的じゃない」


 湊一は子どもたちを見た。


「その向こうに人がいるからやるんだ」


 澪は。


 今度は何も言わなかった。


     ◇


 さらに歩く。


 湊一は、また止まった。


「……これ」


「今度は何じゃ」


 澪は完全に慣れてきたらしい。


「用水だよな?」


「ようすい?」


「田に入れる水」


「ああ。そうじゃ」


 湊一は水路を覗き込む。


「で、余った水は?」


「はいすい?」


「外へ出す水」


「あちらへ流す」


 澪が指す。


 別の溝。


 湊一の目が輝いた。


「分けてる!」


「何をそんなに喜んでおる?」


「田に入れる水と出す水を分けてるんだよ」


「普通ではないのか?」


「だから、その普通が面白いんだって!」


 また始まった。


「田んぼは水を入れりゃ終わりじゃない。多すぎても稲は困るし、少なすぎても駄目。しかもここは海が近い。塩水が入ったら大変だろ?」


「それくらいは妾でも知っておる」


「だよな!」


 湊一は嬉しそうに頷く。


「つまり、昔の人もちゃんと水の入口と出口を考えてる。干拓も同じなんだ。堤防を作って海を締め切れば完成ってわけじゃない」


「かんたく?」


「海や干潟を堤で囲って土地にすること」


「……海を?」


「そう」


 ガタ吉が振り返った。


「海ば陸にするとか?」


「ああ」


「馬鹿じゃなかとか」


「そう思うよなあ」


 ところが湊一は楽しそうだった。


「でも有明海は干拓と相性がいい」


「なんでじゃ?」


 今度は澪が聞く。


 質問された。


 それがいけなかった。


「まず干満差」


 湊一の語速が上がる。


「潮が引くと広い干潟が出るだろ。しかも川が山から土砂を運んでくる。その細かい土が海で堆積して、少しずつ干潟が高くなる」


「……」


「そこを堤防で囲む。ただし、どこでも囲えばいいわけじゃない。潮の筋がある。川の出口もある。そこ塞いだら大変なことになる」


「……」


「中に降った雨を外へ出す方法も必要。地盤沈下も見る。塩も抜かなきゃ田にならない。それから――」


「白瀬」


「ん?」


「楽しそうじゃな」


 湊一は止まった。


「……そうか?」


「先ほどから、水と泥の話ばかりじゃ」


 ガタ吉も頷く。


「泥ば見て喜ぶ人間は初めて見たばい」


「失礼だな」


 少し考える。


「まあ……好きなんだろうな」


「仕事なのであろう?」


「仕事だけど」


 湊一は笑った。


「休みの日なら、地図を見てるだけで一日潰せる」


「一日!?」


 澪が本気で驚いた。


「古い地図と今の地図を並べるだろ?」


「並べぬ」


「そこを並べるんだよ」


「なぜじゃ」


「昔の川筋が分かる」


「……」


「昔ここに川があったとか、昔の堤防が今の道になってるとか――」


「……」


「昔の海岸線なんか最高だぞ」


「何が最高なのじゃ」


「土地がどう変わったか分かるだろ!」


 澪は少し考え。


「病じゃな」


「病気じゃない」


「立派な病じゃ」


「趣味だよ!」


 ガタ吉が口を挟む。


「おいは、ちっと分かるばい」


「おっ?」


 湊一が食いついた。


「昔ん水筋は、今でも分かるぞ」


「本当に!?」


「泥ん違う。水ん匂いも違うけんな」


「マジか!」


「まじとは何じゃ」


「いや、それよりガタ吉!」


 湊一が詰め寄る。


「干潟の泥の深さも分かる?」


「場所によるばってん、分かる」


「固い場所は?」


「分かるばい」


「潮の流れる筋は?」


「そいも分かる」


「杭は?」


「打てる」


「水の中でも?」


「河童水工衆ば舐めるなよ」


 湊一の目が輝いた。


「最高じゃん!」


「うわっ!」


 ガタ吉が後ろへ飛び退く。


「近寄るな! 顔ん怖か!」


「お前、測量班に絶対欲しい!」


「おいは河童ぞ!」


「知ってるよ!」


「勝手に仲間にすんな!」


「でも水工衆だろ!」


「そいはそうばってん!」


 澪が二人を眺め。


「……似た者同士じゃな」


「どこが!」


 二人が同時に叫んだ。


 澪は声を上げて笑った。


     ◇


 館へ着く頃には。


 子どもは五人ほどになっていた。


「増えてる……」


 門の手前で、家臣に睨まれる。


 そこでようやく子どもたちは止まった。


「ここから先は行かれんばい」


 泥だらけの少年が小声で言った。


「うち、もうちょっと見たかったとに」


 籠を持った少女が口を尖らせる。


「おいも」


 小柄な少年が頷いた。


 湊一が振り返る。


 籠を持った少女と目が合った。


 少女は少し迷い。


 小さく手を振った。


 湊一も手を上げる。


 この時はまだ知らなかった。


 彼らと。


 これから何度も顔を合わせることになるなど。


     ◇


「白瀬湊一と申したな」


「はい」


 湊一は畳の上に正座していた。


 そして。


 四百年前へ飛ばされたこととは別の重大な問題に直面していた。


 ――足が痛い。


 猛烈に痺れている。


「震えとるばい」


 後ろのガタ吉が囁く。


「黙れ」


「未来人は足ん弱かのう」


「河童が正座を語るな」


「おいはできるぞ」


「嘘つけ」


「静かにせい!」


 家臣に怒鳴られた。


「はい」


「はい」


 一人と一匹が同時に黙る。


 正面にいる男が、静かにこちらを見ていた。


 二代諫早領主。


 諫早直孝。


 その名を聞いた瞬間。


 湊一の頭の中で、いくつもの知識がつながった。


 元和七年。


 一六二一年。


 諫早直孝。


 そして――。


「……三部上地」


 思わず漏れた。


 空気が変わった。


「今、何と申した?」


 直孝が尋ねる。


 湊一はしまったと思った。


「いや……」


「申せ」


「三部上地、と」


 家臣たちがざわめく。


「なぜそれを知っておる!」


「何者だ!」


「佐賀の間者ではあるまいな!」


「違います!」


 湊一は慌てて手を上げた。


「俺の時代では、もう歴史なんです!」


「歴史?」


「過去に起きた出来事を記録して、後世の人間が学ぶんです」


 止まればよかった。


 だが。


 歴史と諫早。


 湊一が好きなものが二つ揃った。


「最初の三部上地があって、今度が二度目。諫早領は元々二万石を超えていたのに、これで大幅に領地が――」


「白瀬」


 澪が低い声で呼ぶ。


「……はい」


「そなた、また喋りすぎじゃ」


「ごめん」


 直孝は。


 怒るでもなく。


 じっと湊一を見ていた。


「そなた、本当に未来から来たと申すか」


「俺自身、まだ信じきれてません」


「証は?」


「これが動けば早いんですが」


 湊一はスマートフォンを出した。


 真っ黒。


「何じゃ、それは」


「未来の道具です」


「何ができる」


「遠くの人と話せます」


「ほう」


「写真を撮れます」


「ほう」


「地図が見られます」


「ほう」


「天気も分かります」


「ほう」


「川の水位まで――」


「して」


 直孝が遮った。


「今は?」


「壊れてます」


「……」


「……」


「役に立たぬではないか」


「その通りです」


 後ろでガタ吉が笑う。


「割ってみっか?」


「絶対やめろ」


 直孝の口元が、わずかに緩んだ。


「では尋ねる」


「はい」


「そなたは何ができる」


 湊一は少し考えた。


「土木です」


「どぼく?」


「川を治める。道を作る。田へ水を引く。水を逃がす。堤を作る。土地を守る」


 そして。


「場合によっては――土地そのものを作ります」


 直孝の目が変わった。


「土地を作る?」


「はい」


 湊一は続ける。


「ただ、川は堤を高くすればいいってもんじゃありません」


「ほう」


「川を真っすぐにすれば安全になるとも限らない」


「……」


「上流だけ守れば、下流に負担が行くこともある。片側を守ったせいで、反対側へ水が行くこともある」


「……」


「水は消せませんから」


 澪が顔を上げた。


「消せぬ?」


「ああ」


 湊一は頷く。


「堰き止めても、そこに溜まる。行き場がなくなれば、別の場所へ行く」


「ならば、水を支配するのではないのか?」


 直孝が尋ねる。


 湊一は首を振った。


「無理です」


 即答だった。


「人間が水を完全に支配できるなんて思ったら、たぶん負けます」


「……」


「水がどこへ行こうとしているかを見る。その上で、人が困らない場所へ流す。溜める。逃がす」


 澪が。


 じっと湊一を見ていた。


「白瀬」


「ん?」


「そなた……妙な男じゃな」


「今日何回目だよ」


「されど」


 澪は少しだけ笑う。


「水を嫌ってはおらぬようじゃ」


「嫌うどころか好きだよ」


「即答か」


「川も好きだし、堤防も水門も好きだし、昔の水路なんか見つけたら――」


「もうよい」


「まだ途中なんだけど」


「十分じゃ!」


 その時。


「はははっ」


 直孝が笑った。


 家臣たちが驚いて主を見る。


「面白い男じゃ」


 直孝は立ち上がった。


「ならば、その目で見てみよ」


「何をです?」


「我が領地をじゃ」


     ◇


 高台へ出た。


 そこで。


 湊一は言葉を失った。


「…………」


 知っている。


 山の形。


 遠くの稜線。


 本明川。


 間違いなく諫早だ。


 なのに。


「全然……違う」


 建物がない。


 道路がない。


 現代の町がない。


 そして。


 何よりも。


「海が近い……」


 現代なら陸地であるはずの場所に。


 広大な干潟。


 さらに向こうには。


 有明海が広がっていた。


 湊一は一歩前へ出た。


「これ……」


 頭の中で。


 令和の地図と、目の前の景色が重なっていく。


「白瀬?」


 澪が呼ぶ。


「ちょっと待って」


 湊一は海を凝視した。


「ここが川で……あっちが潮の筋なら……いや、でも今の海岸線がここってことは……」


「何を一人で申しておる」


「考えてる」


「顔が怖いぞ」


「今、頭の中で地図作ってるから話しかけないで」


「そなた本当に地図が好きじゃな!」


 直孝が静かに言った。


「この春、また土地を失った」


 湊一の顔から笑みが消える。


「上地……」


「そうじゃ」


 直孝は眼下を見た。


「田も、人も、収められる米も減った」


「……」


「一度失った土地を取り返すは容易ではない」


 湊一も海を見る。


 取られた土地。


 取り戻す。


 争う。


 でも。


 別の方法がある。


「殿」


「何じゃ」


「取られた土地を力で取り戻そうとしたら、戦になります」


「分かっておる」


「だったら」


 湊一が海を指した。


「新しい土地を作ればいい」


 家臣たちが黙った。


 直孝が眉を寄せる。


「どこにじゃ」


「あそこです」


 湊一の指の先。


 有明海。


「……海?」


「はい」


 今度は。


 ガタ吉まで黙った。


「海と喧嘩して勝つつもりか?」


 直孝が尋ねる。


「違います」


 湊一は首を振った。


「海と喧嘩したら、人間が負けます」


 潮風が吹き抜ける。


「海と川の癖を読んで、人が暮らせる境目を少しずつ前へ動かすんです」


 澪の髪が風に揺れた。


「……それが、先ほど申しておった干拓か」


「そう」


 湊一は頷いた。


「まず干潟を見る。潮を見る。泥を見る。川を見る」


「どれほどの土地が作れる?」


 直孝が聞く。


「分かりません」


「……何?」


 家臣たちまで固まった。


 ガタ吉が叫ぶ。


「そこは景気よう言わんか!」


「無理だよ!」


 湊一は指を折った。


「泥の深さ。地盤の固さ。潮の高さ。潮の流れ。川の流量。土地の高さ。距離。人手。材料。全部分からない」


「未来から来たのであろう!」


「未来人だって測ってない土地の数字は分からん!」


 直孝が。


 また笑った。


「ならば」


 海を指す。


「測れ」


「……はい?」


「未来の土木屋」


 直孝の目が鋭くなる。


「我らが海から、どれほどの土地を得られるのか」


「……」


 湊一は海を見る。


 頭の中に。


 トータルステーション。


 レーザー測量。


 GPS。


 ドローン。


 精密な地形図。


 現代の道具が次々と浮かぶ。


 そして。


 自分の手元を見る。


 何もない。


「……マジか」


「何じゃ?」


 ガタ吉が聞く。


「測量機器が一個もない」


「そくりょうきき?」


「土地の高さとか距離を測る道具」


 ガタ吉が胸を張った。


「泥ん深さなら、おいに任せろ」


「そうだった」


 湊一がガタ吉を見る。


 次に澪を見る。


 水守。


 河童水工衆。


 この時代の職人。


 そして。


 未来の知識。


「……ない物ばっかり数えてもしょうがないか」


 口元が。


 少し上がる。


「殿」


「何じゃ」


「やってみます」


 白瀬湊一。


 二十七歳。


 休みの日なら、地図を眺めているだけで一日を潰せる男。


 そんな男が。


 四百年前の有明海で。


 とうとう、自分の専門分野へ足を踏み入れた。


 だが。


 海から土地を作る以前に。


 彼らにはまず――。


 海の高さを測る道具すらなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


いよいよ作品タイトルにつながる「海から土地を作る」という発想が出てきました。


ただし、未来の知識があるから何でもできる――とはいきません。


重機も、精密な測量器も、現代の地図もない江戸初期。


次回、まずは「どうやって海を測る?」ところから始まります。


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