第一章 畑の汁
最初の章に何を置くか、ずいぶん迷った。迷った末に、いちばん当たり前の鍋を置くことにした。畑の汁だ。
畑の汁、という呼び名は、私が付けた総称だ。土地によって名は違う。北ではスールケと呼び、西の平原ではホーフトップと呼び、南の丘ではファジョーラ、湾岸ではバハーラと呼ぶ。スールケは北の言葉で酸い鍋、ホーフトップは農家の鍋、ファジョーラは豆、バハーラは香辛料を指す古い言葉から来ている、と土地の人に聞いた。名はどれも違うが、鍋の中で起きていることは同じだ。畑で穫れたものを刻み、脂で玉葱を炒め、水を張って、火にかけて、時間を待つ。それだけの料理だ。それだけの料理だから、土地の顔がいちばんよく出る。北の畑は冬が長いから、鍋に入るのは塩漬けと乾し物になる。西の平原は根菜と羊の国だから、鍋は根と骨で重くなる。南の丘は豆と油の土地で、湾岸は香辛料の通り道だ。同じ手順で作っても、畑が違えば汁が違う。この本の言いたいことは、この一章でほとんど言い尽くしている気がする。
本書では、料理を北方、西方、南方、湾岸部の四つに分けて並べていきたいと思う。北方は北辺の高地と砦の街々、西方は西の平原から湖水地方まで、南方はサルメア公領の丘陵、湾岸部は南の海沿いの港町とその後ろの村々を指す。厳密な線引きではないことは断っておく。分量はどれも四人前で書いた。
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北方 スールケ
この鍋は、北辺から熱石鉱を運んでくる隊商の賄い婦、ロッタから聞き書きした。店に来て、字は書けないと言ったからだ。北の冬は畑が雪の下だから、鍋に入るのは秋に漬けたキャベツと、夏に干した茸と、塩豚になる。酸っぱいのは腐っているのではない、と念を押された。酸乳は火を止めてから椀の上で落とすこと、これだけは譲らないと言うので、そのとおりに書く。
材料(四人前)
塩漬けキャベツ(漬かって酸味の出たもの) 四百グラン
塩豚 二百グラン
豚の背脂 六十グラン
乾し茸 十五グラン
丸のままの大麦 八十グラン
玉葱 一個(二百グラン)
人参 一本(百グラン)
水 七クルーグ
塩 四グラン
黒胡椒 ふたつまみ
乾しディル ひと枝ぶん
濃い酸乳 大匙四
作り方
一、乾し茸をぬるま湯一クルーグに浸し、小半刻おく。戻し汁は捨てない。
二、塩豚を二ディト角に切り、大麦とともに水六クルーグに入れて中火にかける。煮立ったら灰汁を引き、とろ火に落として半刻煮る。
三、そのあいだに、塩漬けキャベツの汁を手で絞り、粗く刻む。玉葱は薄切り、人参は細切り。
四、別の鍋で背脂を刻んで溶かし、玉葱と人参を中火で五クレド炒める。キャベツを加え、さらに十クレド、焦がさぬよう炒める。
五、四の鍋の中身を二の鍋へ移し、戻した茸を刻んで戻し汁ごと加える。とろ火で小半刻。
六、塩と胡椒で味を決める。キャベツの塩気は漬け具合で変わるから、塩は四グランを上限に、味を見ながら入れる。
七、火から下ろし、椀に盛ってから、酸乳を大匙一ずつ落とし、ディルを散らす。
火入れ帳より。酸乳を鍋に入れて煮ると分かれて台無しになる。ロッタの言うとおりだった。塩漬けキャベツがまだ酸っぱくなっていない時期は、酢を小匙一足すと近い味になるが、同じにはならない。北の人に言わせれば、酸味は冬の長さの味だそうで、こればかりは秤で量れない。
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西方 ホーフトップ
この一枚は客の持ち込みではなく、私が遍歴のころ、西の街道筋の宿場で皿を洗いながら覚えたものだ。宿の女将は名を出すのを断ったので、土地の名だけ書く。羊の首の骨と、畑にあるものを全部、というのが女将の言葉で、それを写せば終わりだが、それでは秤と匙の章を書いた甲斐がないので、量って書き直した。西の平原の鍋は根菜で重く、羊の骨でとろりとする。冬のホーフトップは蕪が多く、夏は豆が入る。ここでは秋の形で書く。
材料(四人前)
羊の首肉(骨付き) 五百グラン
水 八クルーグ
玉葱 一個(二百グラン)
リーキ(白い部分) 一本(百五十グラン)
人参 二本(二百グラン)
蕪 二個(二百グラン)
白人参 一本(百グラン)
キャベツ 四分の一個(二百五十グラン)
丸のままの大麦 六十グラン
羊の脂またはバター 二十グラン
塩 八グラン
黒胡椒 ふたつまみ
パセリ ひと握り
作り方
一、羊の首肉を骨ごと三ディトほどに切り分け、水八クルーグとともに鍋に入れ、強火にかける。煮立ったら灰汁を丁寧に引き、玉葱を皮を剥いて丸のまま落とし、とろ火で一刻煮る。
二、そのあいだに根菜を切る。人参と白人参は一ディトの輪切り、蕪は四つ割り、リーキは一ディトの小口。キャベツは二ディト幅のざく切り。
三、小鍋で羊の脂を溶かし、リーキを中火で三クレド炒めて香りを出す。
四、一の鍋から玉葱を取り出して捨て、大麦と、人参、白人参、蕪、炒めたリーキを加える。とろ火で小半刻。
五、キャベツを加え、さらに十クレド。
六、塩と胡椒で味を決める。骨は椀に入れてよい。西の平原では骨を吸うのが作法だ。
七、刻んだパセリを散らし、固いパンを添える。
火入れ帳より。玉葱を丸のまま煮て捨てるのは、女将の流儀だ。刻んで入れれば甘くなるが、汁が濁る。捨てる玉葱は賄いの者が食う。私も食った。首肉が手に入らなければ、肩の骨付きでよいが、脂は減らすこと。蕪を多くすると冬の味に、青豆を足すと夏の味になる。この鍋を作ると、あの宿の裏庭の井戸の音を思い出す。
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南方 ファジョーラ
この紙片は、サルメア学府から学院に移ってきた学生、アルドが冬の初めに書いて持ってきた。故郷の母親の鍋で、ただ飯になった。翌日も別の紙片を持ってきたので二度目もただにしたが、三日目の紙片は二日目と同じ鍋の豆を替えただけだったので、断った。本人は納得しなかった。しかし三日目の紙片も、ファジョーラが家ごとに違うことを教えてくれたという意味では、無駄ではなかった。南の丘の鍋は、豆と油と瓜でできている。肉は入っても入らなくてもよい。
材料(四人前)
ひよこ豆(乾) 二百グラン
煮瓜(皮と種を除いて) 四百グラン
青菜(ふだん草か、それに近い葉) 二百グラン
玉葱 一個(二百グラン)
にんにく 二片
南の木の実の油 大匙三
塩豚 百グラン(精進の日は省く)
乾しローズマリー 小匙一
塩 六グラン
黒胡椒 ふたつまみ
水 八クルーグ
固くなったパン 四切れ
作り方
一、ひよこ豆は前の晩から、たっぷりの水に浸しておく。
二、浸した豆の水を切り、水八クルーグと塩豚(二ディト角)とともに鍋に入れ、中火で煮立てて灰汁を引き、とろ火で一刻煮る。豆が指で潰れる柔らかさになるまで。
三、玉葱は粗みじん、にんにくは潰す。煮瓜は三ディト角に切り、青菜は太い茎を除いて三ディト幅に刻む。
四、別の鍋で油を中火で温め、玉葱とにんにくを七クレド、色づき始めるまで炒める。ローズマリーを加える。
五、四の鍋に煮瓜を加えて三クレド炒め、二の鍋の豆を煮汁ごと移す。とろ火で小半刻、瓜が崩れ始めるまで。
六、お玉で豆を一杯すくって鉢で潰し、鍋に戻す。汁に濃度が付く。
七、青菜を加えて五クレド。塩と胡椒で味を決める。
八、椀の底に固いパンを一切れ敷き、上から汁を張る。油を小匙一ずつ回しかける。
火入れ帳より。南の丘では、瓜が崩れて汁が黄色くとろりとするのを良しとする。崩れないうちに火から下ろすと、北の人間の作ったファジョーラだと笑われるらしい。パンを底に敷くのは、汁を吸わせて食うためで、これは南の鍋の多くに共通する。油の質で味が決まるので、古い油は使わないこと。アルドの母親の鍋には、この上に固い塩気の強い乾酪を削り落とすそうだが、手に入らなかったので書かない。
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湾岸部 バハーラ
この紙片を置いていったのは、港町の香辛料商、ザイドだ。店に来るたびに合わせ香を売ろうとして、私が買わないので、代わりにこの鍋を書いた。ただ飯にはしたが、合わせ香の配合は最後まで教えなかった。湾岸の畑の汁は、豆と穀物と玉葱で、そこに香辛料と酸味が入る。港の裏の村々では毎日の鍋だそうで、香辛料は貴重品ではなく、塩と同じ扱いを受けている。港の畑には香辛料が生えているようなものだ、とザイドは言った。
材料(四人前)
レンズ豆 二百五十グラン
玉葱 二個(四百グラン)
バターまたは羊の脂 四十グラン
挽き割り麦 五十グラン
湾岸の合わせ香(七種) 小匙一
塩 六グラン
水 八クルーグ
香菜の葉 ひと握り
乾し薄荷 小匙一
酸っぱい果実の汁、なければ酢 大匙二
作り方
一、玉葱を二個とも薄切りにする。
二、鍋で脂の半分を溶かし、玉葱の半分を入れて、とろ火で二十クレド、焦がさぬよう混ぜながら、深い茶色になるまで炒める。取り出して置く。これは仕上げに載せる。
三、同じ鍋に残りの脂を足し、残りの玉葱を中火で五クレド炒める。合わせ香を加えて一クレド、香りが立つまで。
四、レンズ豆と挽き割り麦を洗って加え、水八クルーグを張る。煮立ったら灰汁を引き、とろ火で小半刻。豆が崩れて汁がどろりとするまで。
五、塩で味を決める。刻んだ香菜を加えて二クレド。
六、火を止め、酸っぱい汁を回し入れる。
七、椀に盛り、二の茶色い玉葱と、指で揉んだ乾し薄荷を上に散らす。
火入れ帳より。合わせ香が手に入らないときは、クミンをふたつまみ、黒胡椒をひとつまみ、桂皮の粉をひとつまみ。ザイドの七種には遠いが、鍋の向きは同じになる。酸味を入れるのは火を止めてからで、煮ると香りが飛ぶ。茶色い玉葱は、二十クレドを惜しむと苦くなるか白いままかのどちらかで、真ん中がない。湾岸の鍋は、玉葱を二度使う。一度は汁の甘みに、一度は上に載せる香ばしさに。同じ玉葱がこれほど別の顔をするのを、私はこの鍋で知った。
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四つの鍋を並べて、気づいたことをひとつだけ書いておく。どれも、脂で玉葱を炒めるところから始まる。北は背脂、西は羊脂、南は木の実の油、湾岸はバターを使う。脂は違っても、玉葱を炒めて甘みを出し、そこへ畑のものを重ねるという順番は、四つの土地で一度も違わなかった。違うのは、そのあとに何を入れるかで、酸味か、骨か、油か、香辛料かが分かれる。畑の汁とは、玉葱の甘みの上に、その土地がいちばん自慢したいものを載せた鍋なのだと思う。自慢の中身は、土地の数だけある。
※現実の読者のための覚え書き
塩漬けキャベツはザワークラウトで、濃い酸乳はサワークリームで代えられる。煮瓜はかぼちゃかズッキーニ、南の木の実の油はオリーブ油、酸っぱい果実の汁はレモン汁、乾し薄荷はドライミントを使う。湾岸の合わせ香は、クミン、黒胡椒、シナモンに、コリアンダー種とターメリックを少量加えると近くなる。分量は四人前で、一グラン=1グラム、一クルーグ=200ミリリットル、一クレド=1分。




