第1話 十年以上かけて修行した俺は、そこそこ戦えるやつになっていた
あれから十年と少しの月日が流れた――。
俺は心の中で、大地のグリモワールの最後のページを閉じる。
それまでグリモワールを包んでいた光が消え、古びた土色の分厚い本へと戻っていく。
俺は目を開けた。
鼻の頭まで伸びた黒い前髪が揺れている。
「……ふぅ」
俺はゆっくり息を吐き、両手を上げて叫んだ。
「よし! 全部読んだぞ!」
バシャ!
1メートル程度の小さなゴーレムが、俺の声に驚いて尻餅をつき、川から運んできた水をこぼす。
さらにもう一体のチビゴーレムも、そいつに足を引っ掛けて転び、水の入った桶をひっくり返した。
「なに遊んでんだよ……」
俺は思わず苦笑した。
険しい山々の合間にぽっかりできた平原――
真ん中には、太い枝がどこまでも広がる古木が立っている。
一部は朽ちているものの、生い茂る葉は緑に輝き生命力に満ちていた。
枝の上には小屋と手作りのハシゴがあり、巻き付いた数種のつる植物が、時の流れを感じさせる。
その古木が作る濃い影の中、俺は大地のグリモワールを読み終えた達成感に浸っていた。
「十年以上かけてグリモワールを完読したね。
おめでとう、タキ」
心の中で、いつもの声が聞こえた。
「ありがとう、しょこたん」
俺はそう言って、目を閉じ意識を集中する。
すると書物がぎっしり並んだ小さな空間の真ん中に、書庫の神の姿が浮かんできた。
「君にそう呼ばれ始めてから、もう十年以上か。
改めて変な名前だね」
沢山の文字が書かれた、てるてる坊主のような身体に立派な角……そこから下がる古びたランタンと鍵も、出会った頃と変わらない。
「子どもの頃につけたあだ名だからな」
俺は笑った。
目を開けて横を見ると、二人の神が笑顔で拍手し、グリモワールの読破を祝ってくれている。
一人は3メートルを超える古木の神――
もじゃもじゃとした髭を蓄え、丸坊主の頭には小鳥がとまっている。
もう一人はこの草原に咲く万年朝顔の神――
無数の花びらが集まった丸いかたまりから目と手だけが出ており、フワフワと浮いている。
俺は二人を見て微笑み、軽く頷いた。
そしてまた目を閉じて、意識を集中させる。
「しかし今日まで魔法に武術、勉強に狩りってかなり忙しくやってきたよな。
明日からはゆっくり寝てもいいか?」
書庫の神は、何かの書物を読んでいる。
「いや。朝はもっと早くなる」
「えー、なんでだよ」
「明日からは……旅に出るからね」
「……本当か! やっとあの川を越えるんだな!」
書庫の神は書物を読むのをやめ、俺に視線を移した。
「君も大きくなったし、僕も冒険してみたい」
冒険という言葉に俺の心は踊った。
「よし。昼からは武術訓練だな!」
俺は草むらに寝転がっていたゴーレムを見る。
子どもの頃に城から逃してくれた、あのゴーレムだ。
「ほら、行くぞ」
ゴーレムはノソノソと立ち上がった。
書庫の神が、次の訓練内容を告げる。
「今日は双斉流剣術、八の型ね」
「了解!」
俺は肩よりも伸びた髪を、適当に紐で束ねながら答えた。
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俺たちは草原の端まで歩き、二人の神様とチビゴーレムから離れた。
服を一枚脱いで、身軽になる。
細身の身体ではあるが、毎日の鍛錬でついた筋肉が浮かんでいる。
俺は二本の短い木刀を手に持ち、ゴーレムめがけて突っ込んだ。
ゴーレムが地面を殴る。
ドゴン!
足元から土柱が突き上がった。
俺はそれを足場にして跳ぶ。
回転しながら宙を舞い、そのままゴーレムの背後へ回り込む。
だが――
ゴーレムの胴体だけが、ぐるりと回った。
拳が飛んでくる。
ガキィン!
二本の木刀で受け止めた。
が、その反動で後ろに飛ばされる。
ゴーレムが再び地面を叩く。
ドゴン!
土柱が次々と突き上がる。
俺は身体をひねり、その間を抜けた。
そして土柱の隙間からゴーレムの足元に滑り込み……
ドンッ!
二本の木刀でゴーレムの胴を叩いた。
「それまで」
頭の中から、書庫の神の声がする。
「これで百二十五連勝。また記録更新だね。
では、いつものように元に戻して」
「了解了解」
俺は木刀をズボンの裾に挟み、片膝をついて地面へ手を当てた。
『大地の復元魔法――レストア グラウンド!』
ゴゴゴゴゴ……!
緑の光を放ちながら、土柱は沈み、地面の穴が塞がっていく。
……荒れた草原は、数秒ですっかり元の姿に戻った。
俺は辺りを眺めながら書庫の神に語りかける。
「なあ、しょこたん。
復元魔法とか、小さなゴーレムの生成じゃなくてさ。
そろそろドカーンと大魔法をためして……」
そこで書庫の神が割って入る。
「ダメだね」
「えー、魔力もそこそこ高くなってると思うんだけど」
「何度も言うけど大魔法はとても危険。
身体がバラバラになるよ。
せっかく君の親が守った生命も無駄になる」
「……わかったよ。
せっかくグリモワール全部読んだのに無意味かよ」
俺がぼやくと、書庫の神は静かに答えた。
「ねえタキ、この十年以上の年月の中で……
無意味なことなんて何一つないんだよ」
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その日の夜。
古木の枝の上にある小屋。
壁には靴くらいの大きな蛍が数匹とまり、淡い光を放っている。
俺は床に敷いた動物の毛皮の上で坐禅を組み、精神を集中させていた。
しばらくして、目を開く。
「よし。これで、この辺りにある国の法律は全部覚えた」
書庫の神が、分厚い書物のページをめくる。
「では、スベルグ共和国で泥棒をしたら?」
「銀貨二十枚と、百日間収容の罰則!」
「うん。よくできました」
「そりゃ毎日勉強してるからね。
……よし、次は神学の途中からだ」
書庫の神が本を閉じる。
「いや、今日はもう寝よう。明日は朝早いから」
「そうか……初めての冒険か……。楽しみだな」
俺はその場で上を向いて寝転がり、明日からの冒険を想像した。
当分はうまく眠れそうになかった。
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翌朝。
晴れ渡った空の下――
広場でゴーレムの胸を開き、俺はその中に旅の荷物を詰め込んでいる。
「よし。これで全部だ」
古木の神と花の神が二人並び、俺を見送ってくれた。
俺は二人と握手を交わす。
古木の神がシワだらけの手で、新しい二本の木刀を渡してくれた。
俺は木刀を受け取り、軽く振った。
ヒュン!
「お、軽くて頑丈そうだな。ありがとう」
今度は花の神が、涙を浮かべながら小さな瓶を差し出した。
中には黄金色の蜜が入っていた。
俺は一口なめる。
「……うわ」
瓶を見つめる。
「これ、酔っ払うやつだよ。未成年に渡すなよ」
花の神が笑った。
その横では、二体の小さなゴーレムが寂しそうに立っている。
俺はしゃがんで二体の頭を撫でた。
「お前たちもありがとな。
長い旅になるから連れて行けないけど、ここで神様たちと仲良く暮らせよ」
二体のチビゴーレムが、涙を拭うような仕草をする。
「そんな顔するなって」
俺は笑いながら古木の枝にある小屋を眺めた後、声を張り上げる。
「さあ、行こう!」
座っていた大きい方のゴーレムが立ち上がる。
俺はその胴体を手のひらで数回叩く。
「昔みたいに、お前に乗れたら楽なんだけどね」
ゴーレムが申し訳なさそうに頭を掻く。
「まあ、仕方ないよ」
俺たちは草原から山に向かって歩き出す。
古木の神と花の神。
二体の小さなゴーレム。
みんなが手を振っている。
俺も手を振り返す。
少し歩いたところで、もう一度振り返った。
グリモワールの読書、ゴーレムとの戦闘訓練、食料集め、小屋での勉強と、何かと忙しく過ごした十年以上の月日……。
本当に楽しかった。
寂しさなんて微塵も感じたことがなかった。
人間は俺一人だったけど、見守ってくれる仲間はたくさんいた。
俺は前を向き、歩きながら呟いた。
「ありがとう楽園。広い世界を見てくるよ」
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俺とゴーレムは深い山の奥へ進む。
やがて、大きな川にぶつかった。
対岸は遠く離れており、流れもかなり速い。
「……これ、どうやって渡るんだよ」
ゴーレムを見る。
「俺はなんとか泳ぐにしても、お前は沈むだろうし」
「新しい魔法に挑戦してみる?」
書庫の神の提案に、俺は顔を上げた。
「新しい魔法ね……でも飛べるようなのはないし……」
「グリモワール六十四ページ。木も大地の一部だよ」
「ああ、あれか!」
俺は川の横にある大きな木を見上げる。
「では――」
膝をついて片手を地面につけ、息を吸い込む。
『大地の魔法! フォレスト アクセル!』
その瞬間、川岸の木々が緑に光った。
何十本もの枝がみるみる伸びていく。
さらに何百本もの蔓や蔦も伸びる。
ギギギギ……!
やがて――
枝と蔦が複雑に絡みあった、大きなアーチ状の橋が完成した。
俺は額の汗を拭う。
「ふぅ……できた」
書庫の神が静かに言う。
「初めてにしては、なかなかだね」
「じゃ、行こう」
ギシッ ミシッ
俺とゴーレムは、落ちないように注意しながら、時間をかけて作りたての橋を渡った。
この先にあるのは――
まだ見たことのない、広い世界だ。
第1話 終わり




