↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界樹へ続く歌  作者: 猫病


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/19

第一部 五話 閉ざされた街道

挿絵(By みてみん)


翌朝、ミオは鳥の声で目を覚ました。

正確には、鳥だと思った。

高く澄んだ鳴き声が、草原の向こうから何度も響いている。

毛布から顔を出すと、朝日に染まった空を三羽の生き物が飛んでいた。

鳥に似ているが、翼は半透明だった。羽ばたくたび、薄い膜が朝日を受けて七色に輝く。

その一羽が大きく旋回する。

長い尾から、光の粒がこぼれ落ちた。

「……きれい」

隣から、ルナの声がした。

いつから起きていたのか、毛布にくるまったまま空を見上げている。

「鳥かな」

「ガラスみたいな翼ですね」

「飛びにくそう」

「最初に出てくる感想がそれ?」

ルナが小さく笑った。

昨日の夜、魔物に襲われた。

魔法を見た。

月が二つある空の下で眠った。

それでも朝は来る。

目の前に広がっている景色があまりに穏やかで、すべてが悪い夢だったように思えた。

「朝食にするぞ」

ガレスの声が、短い安らぎを打ち切った。

朝食は黒パンと、干した果実だった。

干し果実は赤黒く、見た目はあまりよくない。しかし口へ入れると、強い酸味のあとに蜂蜜のような甘さが広がった。

「これ、おいしいです」

ルナが目を輝かせる。

「マルカの実。食べすぎると腹を壊す」

セナが注意する。

すでに二個目へ手を伸ばしていたミオは、何もなかったふりをして引っ込めた。

食事が終わると、出発の準備が始まった。

ルナの足首は、まだ少し腫れている。

セナが治癒術をかけ直し、布を巻いて固定した。

「歩けそう?」

「はい。昨日よりずっと楽です」

「痛くなったらすぐに言ってね。絶対に我慢しないで」

「分かりました」

返事をするルナへ、フィオが疑わしそうな目を向ける。

「こいつは我慢する」

「どうして分かるの?」

「昨日からずっと、痛い臭いがしてた」

ルナが困ったように笑う。

「痛みにも臭いがあるの?」

「汗と呼吸で分かる」

「じゃあ、嘘をついても分かっちゃうんだ」

「だいたいは」

フィオの耳が、ぴくりと動いた。

「おまえ、笑ってないのに笑うんだな」

ルナの笑顔が止まった。

「え?」

「痛いのに笑う。怖いのに笑う。変なの」

「フィオ」

セナがたしなめる。

「そういう言い方は失礼だよ」

「間違ってない」

「間違ってなくても、言っていいことと悪いことがあるの」

フィオは納得していない顔で尻尾を振った。

ルナはしばらく黙っていたが、やがて笑顔を消した。

「ごめんなさい。次からは、痛いときに痛いと言います」

「俺に謝るな」

「分かりました」

今度は笑わずに答えた。

フィオは満足したように荷物を背負う。

ミオは二人のやり取りを見ながら、自分にはできないと思った。

ルナの笑顔が不自然だとは感じていた。

けれど、面と向かって指摘するほどの理由も勇気もなかった。

フィオには、相手から嫌われることへの迷いがないらしい。

「これを履け」

ガレスが、ミオの足元へ一足の靴を置いた。

革製の編み上げ靴だった。傷だらけだが、底は厚く、ミオのスニーカーより丈夫そうだ。

「誰の?」

「予備だ。少し大きいだろうが、布を詰めれば使える」

「私のスニーカーじゃ駄目?」

「今日の道を見てから同じことを言えるなら、好きにしろ」

ミオは靴を持ち上げた。

乾燥させた草と革の匂いがする。

「ルナの分は?」

「セナの予備がある。舞台靴よりはましだ」

「舞台衣装だって分かるんだ」

「その格好で畑仕事をするとは思えん」

ルナにはセナの予備の靴と、茶色い外套が貸された。

華やかな衣装の上から地味な外套を羽織ると、少しだけ旅人らしく見える。

ミオも、制服のシャツの上へ薄手の革の上着を借りた。

袖が長い。

肩も余る。

鏡がなくても、似合っていないのは分かった。

「ちょっと格好よくなったよ」

ルナが言う。

「嘘」

「本当です。バンドの衣装みたい」

「アイドルに衣装を褒められても、営業にしか聞こえない」

「今は仕事じゃないよ」

ルナの言葉に、ミオは返事ができなかった。

今は仕事ではない。

それなら、ルナは何者なのだろう。

星宮ルナは芸名なのか。本名なのか。

笑顔や丁寧な話し方まで、全部仕事のために作られたものなのか。

「出発するぞ」

ガレスに促され、一行は野営地を後にした。

朝の草原は、夜とはまるで違って見えた。

腰まで伸びた草は銀色がかった緑色で、風が吹くたび大きな波を作る。

ところどころに、昨夜光っていた青い花が咲いている。

朝になると花びらは白くなり、中心だけが淡い青色を残していた。

「星花だ」

セナが教えてくれた。

「星花?」

「夜になると光るでしょう? 昔はこの辺り一面に咲いていたんだって」

「今は違うの?」

「水の流れが変わって、ずいぶん減ったらしいよ」

セナは一輪の花へ触れた。

「リーネの街では、旅立つ人に星花を渡す習慣があるの。離れていても、同じ星の下にいるっていう意味で」

「素敵ですね」

ルナが腰を屈める。

しかし花を摘まず、見るだけに留めた。

ミオも足を止めたかったが、先を行くガレスとの距離が開いていることに気づき、歩き続けた。

午前中、一行は東の湿地へ入った。

足元は柔らかく、油断すると靴が泥へ沈む。

フィオが先導し、水の浅い場所を選んで進む。

目的の薬草は、水面に浮かぶ丸い葉の下に生えていた。

セナが採取方法を二人へ教える。

「根元から抜かないで、上から三節目を切るの。根を残しておけば、また生えるから」

「これで合ってる?」

ミオは借りた小刀で茎を切った。

「うん。でも葉の裏を見て。赤い斑点があるものは毒を持ってるから触らないでね」

「先に言ってよ!」

「今言ったよ」

「切ったあとに!」

ミオは慌てて葉を裏返す。

幸い、赤い斑点はなかった。

ルナはミオより慎重だった。

一枚ずつ葉の裏を確認し、形を崩さないよう籠へ入れていく。

「意外と上手だな」

フィオが言う。

「こういう作業は得意なの」

「アイドルって、薬草も採るんだ」

ミオが尋ねる。

「採らないよ。衣装の細かい飾りを直したり、ファンの人に渡すカードを書いたりするから、手先を使うことには慣れてるだけ」

「全部スタッフがやるんだと思ってた」

「全部やってもらえるほど偉くないです」

ルナは少しだけ意地悪そうに笑った。

ミオは、自分がまた勝手な想像をしていたことに気づく。

昼過ぎには、必要な量の薬草が集まった。

薬草の籠と水袋を分けて持ち、一行はリーネへ続く旧街道を目指した。

ミオも小さな籠を一つ持った。

重くはない。

それでも、誰かの役に立つ荷物を持っているという事実が嬉しかった。

異変に最初に気づいたのは、フィオだった。

彼の耳が前方へ向き、鼻が風の臭いを探る。

「止まれ」

一行が足を止める。

「何かいる」

フィオは地面へ膝をついた。

街道の土に残された跡を調べる。

ミオには、大小の穴が無数に開いているようにしか見えない。

「何の足跡?」

セナが尋ねる。

「岩角獣。かなり多い」

「群れか?」

「百じゃ足りない」

ガレスの顔が険しくなる。

彼は道の先にある小高い丘へ登った。

腹ばいになり、草の間から向こう側を確認する。

「まずいな」

ガレスが低く呟いた。

ミオも見ようと丘へ近づいた。

「私も――」

「来るな」

ガレスの声が飛ぶ。

「見るだけ」

「離れていろ」

「状況が分からないまま待ってろっていうの?」

「そうだ」

命令口調が、ミオの神経を逆撫でした。

自分だけ何も知らないまま守られる。

昨夜から、ずっとそればかりだ。

ミオは姿勢を低くし、ガレスの後ろへ進んだ。

丘の頂上から、街道の先が見えた。

茶色い大地を、巨大な獣の群れが埋め尽くしている。

一頭一頭は牛ほどの大きさだった。灰色の分厚い皮膚と、岩のような角を持っている。

百どころではない。

数え切れないほどの獣が街道を横切り、東から西へ移動している。

地面が低く震えていた。

「すご……」

「下がれ!」

ガレスがミオの肩をつかむ。

強く引かれ、ミオは丘の斜面を転がり落ちた。

「痛っ!」

籠の中から薬草がこぼれる。

「何すんの!」

「動くなと言ったはずだ!」

ガレスが声を荒らげた。

「見るくらいいいでしょ!」

「群れの外側に、見張りの個体がいる。気づかれれば、ここまで突っ込んでくる」

「そんなの知らない!」

「知らないから、指示に従えと言っている!」

ガレスの怒声に、ミオは言葉を失った。

「おまえが死ぬだけなら、好きにしろ」

彼はミオを睨んだ。

「だが、おまえを助けようとした誰かも死ぬ」

その言葉が、胸の奥へ突き刺さった。

「ガレス、言いすぎだよ」

セナが間に入る。

「甘やかせば、次も同じことをする」

「でも」

「いい」

ミオは立ち上がった。

泥のついた薬草を拾い、籠へ戻す。

「もう勝手に動かない。これでいいんでしょ」

ガレスは何も答えなかった。

ルナが近づこうとしたが、ミオは背中を向けた。

「それで、どうする?」

声だけをガレスへ向ける。

「この群れ、いついなくなるの」

「岩角獣の渡りなら、早くても七日。長ければ半月だ」

「迂回路は?」

「北へ向かえばある。十日は余計にかかる」

ガレスが食料袋を確認する。

「薬草を傷めず運ぶことも考えると、無理だな」

「戻るの?」

セナが不安そうに尋ねる。

「戻っても依頼は失敗だ。違約金を払うことになる」

「もう一つ、道がある」

フィオが言った。

全員の視線が集まる。

「あそこ」

彼が指した先には、草に覆われた石造りの入口があった。

半分ほど地面へ埋まり、内部には暗闇が広がっている。

「泣き石の旧水路か」

ガレスが顔をしかめる。

「通れるの?」

セナが尋ねる。

「昔はリーネまで続いていた。だが、何年も使われていない」

「どうして?」

「崩落と魔物だ」

ガレスはしばらく考えた。

岩角獣の群れ。

食料の残量。

薬草を届ける期限。

そして、ミオとルナ。

すべてを順番に見比べる。

「旧水路を使う」

ガレスは決断した。

「中で夜を越すことになる。明るいうちに準備するぞ」

石造りの入口を塞いでいた蔦を切り払う。

湿った冷気が、暗闇の奥から流れてきた。

その風に混じり、人の泣き声のような音が聞こえる。

細く。

長く。

誰かが助けを求めるように。

「今の、何?」

ルナがガレスのそばへ寄る。

「水滴の音だ。壁の鉱石に当たると、ああ聞こえる」

「だから、泣き石?」

「そうだ」

ガレスが火種石で灯したランタンを掲げる。

光は数メートル先までしか届かない。

その向こうには、出口の見えない闇が続いていた。

ミオは腰に結んだ灰色の旅嚢を握った。中には赤いギターが眠っている。

広い草原にいる間でさえ、魔物から逃げられなかった。

こんな狭い場所で襲われたら、今度こそ何もできない。

「怖い?」

隣でルナが尋ねた。

「別に」

「私は怖い」

ルナは笑っていなかった。

ただ、正直にそう言った。

ミオはしばらく黙り、やがて小さく息を吐いた。

「……私も」

二人はガレスたちの後に続き、泣き石の旧水路へ足を踏み入れた。

最後尾のフィオが、入口に簡単な印を残す。

外から差し込む光が、少しずつ細くなる。

やがて石の扉が閉じられ、草原も、二つの月も、完全に見えなくなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。