第40話:追放令嬢の完璧な食卓
「――うん。やっぱり、この世で一番美味しい香辛料は『サボり』ね」
完璧な常春に保たれた私の私室。
床下から伝わる柔らかな熱に包まれながら、私はお気に入りの特等席で、目の前に並んだ奇跡の料理を前に、うっとりとため息をついていた。
テーブルを彩るのは、あの狂信的な拡張工事によって、王国でも類を見ない冬の菜園となった温室から、今朝摘み取られたばかりの野菜たちだ。
ルビーのように輝く小粒の赤い実を口に放り込めば、ぷつりと弾けた皮から濃厚な甘みが溢れ出す。
しゃきしゃきの若葉は噛むたびに瑞々しい大地の恵みを歌い上げ、トマス爺さんが魂を込めてこねた白いパンは、手で割ると中からふんわりと香ばしい湯気を立ち昇らせる。
「悪臭は消え、お風呂はいつでも極楽。面倒な帳簿や現場の采配は、マーサとルークが見事に片づけてくれている。そして、ただ『美味しい野菜が食べたい』と願っただけで、これほど完璧な食卓が向こうから運ばれてくる……」
そう。
私は、ただの一歩も動いていない。
すべては私の「働きたくない」「快適に引きこもりたい」という純粋な怠惰が、周囲の人間を巻き込み、勝手に暮らしの仕組みを整えていった結果なのだ。
カツン、カツン、カツン。
「失礼いたします、ヴィクトリアお嬢様。本日の売上と、王都の動きについてご報告に参りました」
鋭い靴音と共に、分厚い書類綴りを抱えたマーサが、一切の無駄のない動きで部屋に入ってきた。
その後ろからは、ツルハシを持ったままの現場頭ルークと、相変わらず上半身裸で筋肉から湯気を立てているレオンハルトも並んで入ってくる。
「マーサ、お疲れ様。今、最高に幸せな食事中だから、手短に頼むわね」
私が蜂蜜漬けの冬苺を頬張りながら言うと、マーサは銀縁眼鏡をくいっと押し上げ、どこか昂ぶった光を宿した瞳で帳簿を開いた。
「はい。現在、我が領地の冬野菜は、王都の市場で恐ろしいほどの値をつけております。他領の貴族たちが『女神の野菜』を求めて金貨を惜しまず積むため、金庫の残りは先週とは比べものにならないほど膨らみました。すでに第一金庫が物理的に歪み始めており、急ぎ第二金庫の建設をルーク殿に依頼しております」
「お嬢様、任せてくだせえ!」
ルークが泥だらけの顔でにかっと笑う。
「お嬢様の財を銅貨一枚たりとも無駄にしねえよう、内壁をなめらかな石で固めた頑丈な金庫を、一気に組み上げてみせます! これもお嬢様が俺たちを水汲み地獄から救って、余力を残してくださったおかげですぜ!」
「ガッハッハ! その通りだ! 潤沢な金と糧により、黒曜騎士団の兵たちの筋肉は今や過去最高に膨れ上がっている! 王都の財務局の小役人どもが『辺境の不当な富を調べる』などと寝言を言っているようだが……お前の安眠を脅かす有象無象どもは、このレオンハルトがまとめて粉砕してくれよう!」
レオンハルトが豪快に笑い、腰の巨剣をちゃきりと鳴らした。
現場。
筋肉。
帳簿。
私の誇る最強の部下たちは、私の知らないところで王国を揺るがすほどの富と力を築き上げ、「お嬢様のサボる聖域を何者からも死守する」と血気盛んに拳を握り合っている。
王都が警戒しているとか、いよいよ面倒な騒ぎになりそうだとか。
普通なら、ここは大いに慌てる場面なのだろう。
私は、蜂蜜のソースがたっぷりかかった焼き立ての白パンを、もう一口ぱくりと口に放り込んだ。
もちもちとした柔らかな食感と、濃厚な甘みが口いっぱいに広がり、頭の中の細かな悩みが一瞬ですべて吹き飛んでいく。
……まあ、美味しいからいいか。
考えてみれば、寒さも、悪臭も、空腹も、この領地からは消えた。
王都の元婚約者や理不尽な貴族たちが何を企んでいようが、ここには彼らの常識を遥かに超えた暮らしの仕組みと、胃袋を掴まれて熱狂した仲間たちが揃っている。
私の休養生活を脅かすものなど、もう存在しない。
たぶん。
「ルーク、マーサ、レオンハルト様。いつも通り、あとは全部あなたたちに任せるわ。私はもう眠いから、お仕事に戻ってちょうだい」
「「「ははっ!!」」」
三人は私の怠惰極まる言葉を、なぜか「すべてを見通した上での采配」と壮大に勘違いし、感激に震えながら深く頭を下げて退出していった。
静かになった常春の部屋で、私は至高の満腹感に包まれながら、ふかふかのベッドへと飛び込んだ。
毛布を頭まですっぽりと被り、幸せな二度寝の底へ落ちていく。
衣。
食。
住。
そして、清潔な水と厠。
生きるために必要なすべての仕組みを、私の我が儘が整えてしまった。
追放されたはずの公爵令嬢は、周囲の熱狂と王国の激震を完全に他人事として流しながら、辺境の楽園で、どこまでも、どこまでも深く、至高の堕落を貪り続けるのだった。
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