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第39話:追放令嬢と巨大食糧生産基地

「……ふふっ。やっぱり、ベッドの上でごろごろしながら食べるおやつは最高ね」


完璧な室温に保たれた私の私室。


床暖房の柔らかな熱に包まれながら、私はふかふかのクッションに背を預け、至福の時を堪能していた。


手元にあるのは、温室で採れたばかりの瑞々しい冬苺。


この世界の冬に苺が食べられるなんて、王都の王族ですら滅多に味わえない贅沢だ。


それを惜しげもなく、ルークに用意させた蜂蜜の特製ソースに絡めて口へ運ぶ。


――ぷつっ、じゅわぁ。


甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がり、鼻に抜ける香りが脳を優しくとろけさせる。


「悪臭は消え、お風呂は快適。毎日しゃきしゃきの青物と甘い果物が食べられて、面倒な現場と金庫の管理はルークとマーサが見事にこなしてくれている。……勝ったわ。私はついに、過労死の運命を乗り越えて、究極の引きこもり生活を手に入れたのよ!」


これ以上ない充足感に浸り、私はベッドに深く沈み込んで、うふふ、あはは、と品性のない笑みを漏らした。


もう、私はこの部屋から一歩も出ない。


春になっても、夏になっても、一生この温かい部屋で引きこもり通してやるのだ。


しかし。


私の完璧な堕落の楽園の扉は、やはりというべきか、鋭い靴音と共に勢いよく開かれた。


バンッ!!


「ヴィクトリアお嬢様!! 緊急の帳簿および荷流れの最終報告に上がりました!」


入ってきたのは、分厚い書類綴りを恐ろしいほどの力で抱きしめたマーサだった。


銀縁眼鏡の奥の瞳は、まるで見たこともない財宝の山を前にした竜のように、ぎらぎらと血走っている。


その後ろからは、泥まみれでツルハシを持ったルークと、相変わらず上半身裸で湯気を立てているレオンハルトが、なぜか「やりきった男の顔」をして並んで入ってきた。


「ちょっとマーサ、せめてもう少し静かに入りなさい。せっかくの私の苺時間が台無しじゃない」


私が不満げに苺を突き出すと、マーサは私の言葉を完全に流し、机の上にどすん、と新しい帳簿を置いた。


「お嬢様、苺を食べている場合ではありません! 数字が、数字が大変なことになっています!」


「な、何よ……。また蔵の金が尽きそうなの? 大丈夫よ、水やりの手間はかなり減ったはずだし、追加の魔石も買っていないわよね?」


「逆です!!」


マーサは書類綴りをばしっと叩き、部屋が震えるほどの勢いでまくし立てた。


「お嬢様の授けてくださった地中熱の温室と点滴灌漑を、トマス爺率いる農民たちと騎士団が異様な熱量で広げ続けた結果! 本日、我が黒曜辺境伯領の食糧の蓄えは、この冬を越すのに必要な量の五倍に達しました!!」


「…………はい?」


私は苺をフォークから落としそうになった。


この冬を越すのに必要な量の、五倍。


「ちょっと待ちなさい。意味がわからないわ。必要な量が一倍あれば、領民全員が春まで食べていけるのよね?」


「その通りですぜ、お嬢様!」


ルークが顔の泥を拭いながら、自慢げに胸を張った。


「トマス爺さんたちの執念が凄くてさ! 炭焼き小屋や鍛冶場の余り熱をつないだ増築温室が、今や裏庭どころか、館の周りの空き地まで埋め尽くしちまったんです。お嬢様の教え通りに葦の管で水がぽたぽた落ちるもんだから、種を撒けば撒いただけ、葉物も根菜も香草も、どんどん育っちまって……!」


「ガッハッハ! 食糧庫に入り切らないのだ、ヴィクトリア!」


レオンハルトが豪快に笑いながら、信じられない事実を口にした。


「兵士たちに毎日、山盛りの青物とふかふかの白パンを食べさせ、農民たちの腹を限界まで満たしても、まだ荷車何台分もの野菜と穀物が余っていくのだ! 今や我が領地は、飢え死にの危機どころか、食べきれない糧で倉庫が悲鳴を上げている!」


「な、何それ……。ただ野菜が食べたかっただけなのに、なんでそんな怪談みたいな増え方をしているのよ……」


私は頭を抱えた。


すると、マーサがにやりと、恐ろしいほどの商人の笑みを浮かべて眼鏡を押し上げた。


ここだけは、たしかに鬼文官と呼んでも差し支えない顔だった。


「そして、ここからが私の仕事です、お嬢様。銅貨一枚の無駄も許さない私は、この余った糧を腐らせるような真似はいたしません。直ちに、近隣の領地および王都の大商会へ向けて、この真冬の瑞々しい青物を売り込む道を整えました」


マーサは新しい帳簿のページをめくり、そこに書かれた金額を指差した。


「よろしいですか、お嬢様。今は、どこの土地も雪に閉ざされ、貴族たちですら干し肉と硬い保存パンで冬をしのいでいる時期です。そんな中、王都の食卓へ採れたての青物と香草を届けたら……どうなると思いますか?」


「……高く、売れたの?」


「高く、などという生易しい話ではありません」


マーサの気迫に、後ろの屈強な男二人がびくっと肩を跳ねさせる。


「王都の目の肥えた大貴族たちが、冬の青物という贅沢を求めて、金貨を惜しまず積み上げました。春や夏なら銅貨で買えるような葉でさえ、今は銀貨で奪い合われています。さらに、我が領地はすでにある余り熱と水の仕組みで育てているため、余計な魔石代がほとんどかかりません」


マーサの指先が、帳簿の上の数字を強く叩く。


「つまり、売れば売るほど、金庫に余りが生まれます。我が黒曜辺境伯領の財政は、破産寸前の赤字から一転し、王国でも指折りの豊かな領地へと変わりつつあります」


「おおおおっ!! マーサ様、すげえ!! 金庫がうなぎ登りだ!!」


ルークが狂喜して叫ぶ。


「これで俺たちの給金も、新しいツルハシも買い放題ですぜ!」


「ガッハッハ! 素晴らしいな! これなら、黒曜騎士団の鎧を新調することも夢ではないぞ!」


レオンハルトも筋肉を躍動させて喜んでいる。


しかし、私はただ一人、冷や汗をだらだらと流しながら震えていた。


ちょっと待ちなさいよ。


何がどうしてこうなったの?


私は、ただ自分が温かい部屋で、臭わない厠を使い、たまに美味しいサラダと苺を食べて、一生ごろごろするための仕組みを作っただけだ。


それなのに、部下たちの異様な働きぶりと、マーサの恐ろしい帳簿さばきが合わさった結果、この極寒の辺境伯領は、今や王国の冬の食卓を揺るがす巨大な食糧の産地へと変貌してしまった。


「……マーサ」


私は震える声で尋ねた。


「これだけ目立つ真似をしたら……王都の、あの私を追放した連中の耳にも、噂が届くんじゃ……」


その言葉が出た瞬間、部屋の中の空気が、ぴしりと凍りついたように静まり返った。


マーサは眼鏡の奥の目を、すっと細めた。


「当然、届くでしょうね。というより、すでに王都の財務局の元同僚から『辺境で何が起きているのか』と探りの手紙が何通も届いています」


「ひぃっ!?」


「ですが、お嬢様」


マーサは私のベッドの前まで進み出ると、深く頭を下げた。


「我が領地は、お嬢様の叡智によって、清潔で、温かく、食糧に満ちた要塞となりました。金も、糧も、兵士の士気も、すべてがかつてないほど満ちています。王都の愚か者どもが、今さら貴女の価値に気づいて迎えに来ようが、嫉妬に狂って奪いに来ようが――」


マーサが顔を上げる。


そこには、絶対的な主君への忠誠が宿っていた。


「私が築いた帳簿方と金庫の蓄えが、お嬢様の『サボるためのこの部屋』を、何者からも守ってみせます。ですからお嬢様は、どうぞ安心して、次の苺をお召し上がりください」


「お嬢様! 俺たち現場も、お嬢様を絶対に働かせねえために、この仕組みを命がけで守り抜きますぜ!」


ルークが泥だらけの拳を胸に当てる。


「ガッハッハ! 我が黒曜騎士団の武力も、今や潤沢な食糧で全員の筋肉が全盛期を迎えているからな! 誰であれ、お前の安眠を邪魔する者は、このレオンハルトが叩き潰してくれよう!」


レオンハルトが豪快に笑い、剣の柄を叩いた。


違うのよ。


私はただ、目立たず、誰にも気づかれず、静かに引きこもりたかっただけなのに。


なんでこんな、王都と全面的に揉める寸前の巨大組織の主みたいになっているのよおおおっ!?


私の切実な悲鳴は、やはり彼らの熱い忠誠心にかき消され、一ミリも届かなかった。


ただ野菜が食べたかっただけ。


そのあまりにも身勝手な私の欲望が、辺境を王国有数の豊かな食糧拠点へと押し上げてしまった。


至高の苺を満喫した私を待っていたのは、さらなる引きこもり生活の安定――ではなく、王都の権力者たちをも巻き込む、次なる大騒動の足音だった。

最後まで読んで頂いてありがとうございます!

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