第37話:追放令嬢の至高のサラダ
外は猛吹雪が吹き荒れ、窓ガラスをがたがたと激しく叩いている。
しかし、ハイポカウストで常春に保たれた私の私室は、今、甘く芳しい香りで満たされていた。
「お嬢様、お待たせいたしました! 本日の朝、温室で摘み取られたばかりの初物でございます!」
興奮を隠しきれないルークが、恭しく銀のお盆をテーブルの上に置いた。
その瞬間、私の目は完全に釘付けになった。
「……あぁ。なんて、なんて美しいのかしら……!」
テーブルの上に現れたのは、ガラスの器に盛られた、息をのむほど鮮やかな採れたて野菜のサラダだった。
器の中で主役を張るのは、瑞々しい若葉の緑。
葉の先までぴんと張りがあり、内側から弾けそうなほど水分を湛えている。
その隙間を埋めるように、香草の柔らかな葉が散らされ、朝露のような水滴をきらきらと反射させていた。
さらに、薄く切られた白い根菜と、鮮やかな橙色の人参が彩りを添えている。
味付けは、マーサが商人との交渉で勝ち取った上質な油と、ほんの少しの岩塩、そして酸味のある果実の汁だけ。
余計なものは何もない。
野菜そのものの香りを味わうための、実に潔い一皿だった。
そして、その隣には、トマスが丁寧に粉をこねて焼いた、ふっくらとした白いパンが添えられていた。
まだ触るのも熱いほどの焼き立てだ。
表面は綺麗なきつね色に焼け、真ん中から割ると、中から真っ白でふかふかの湯気が、香ばしい小麦の香りとともにふわりと立ち上った。
「ガッハッハ! ヴィクトリアよ、お前がサボりたい一心で作ったあの温室が、まさか真冬にこんな皿を生み出すとはな! 騎士団の連中も、この野菜を見て女神の奇跡だと拝んでいたぞ!」
レオンハルトが腕を組んで豪快に笑う。
その隣では、マーサが書類綴りを抱え、眼鏡をくいっと上げながらも、珍しく満足げに口元を綻ばせていた。
「この厳冬期に、王都の貴族でもなかなか口にできない鮮度の青物です。これだけでも、領地の食卓に大きな価値をもたらします」
周りの声など、今の私にはほとんど耳に入らなかった。
私は震える手でフォークを握り、まずは若葉と香草を贅沢にひと口分、そっと口へ運んだ。
――シャキッ。
静かな部屋に、あまりにも鮮烈で、心地よい音が響いた。
「っ……!? お、美味しい……っ!!」
脳天を突き抜けるような衝撃だった。
歯を立てた瞬間、冷涼で瑞々しい葉が弾け、口いっぱいに清らかな水分と、ほんのりとした土の甘みが広がっていく。
塩漬け肉のスープで疲れ切っていた私の口の中が、一瞬にして生き返るようだった。
続いて、橙色の人参を噛む。
こりっ、と軽やかな歯ごたえ。
噛めば噛むほど、淡い甘みがじわりと広がる。
そこへ香草の香りと、果実の酸味、油のまろやかさが重なり、野菜本来の味をこれでもかと引き立てていた。
間髪入れずに、ちぎった白いパンを口に放り込む。
外側はぱりっと香ばしく、中は驚くほど柔らかい。
噛めば噛むほど、上質な小麦の自然な甘みが広がり、サラダの汁を吸って、口の中で最高の調和を奏でる。
「うぅ……ひぐっ……おいしい……おいしいわぁ……っ!」
気づけば、私の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ち、頬を伝っていた。
「お、お嬢様!? 泣くほど不味かったんですかい!?」
ルークが慌てて顔を覗き込んでくる。
「違うわよ、大馬鹿者……! 逆よ、美味しすぎるのよ……!」
私はハンカチで涙を拭いながら、夢中でサラダを頬張り続けた。
前世のブラック企業時代、午前三時に食べる冷え切った弁当。
今世で追放されてから毎日続いた、顎が壊れそうなほど硬い黒パンと、塩辛いだけの干し肉。
そんな地獄のような食生活を耐え抜いてきた私の胃腸が、今、この瑞々しい恵みによって歓喜の声を上げていた。
これだ。
私が求めていたのは、この瞬間だ。
暖かい部屋。
臭わない厠。
そして、一歩も動かずに目の前へ運ばれてくる、しゃきしゃきの採れたて野菜と、ふわふわの焼き立てパン。
「勝った……。私はついに、過酷な運命に勝利したのよ……!」
背中にふかふかのクッションを当て、温かい紅茶で喉を潤しながら、私は長椅子に深く体を沈めた。
体中が温かな幸福感で満たされる。
あまりの心地よさに、指先一つ動かしたくない。
お風呂。
床暖房。
水洗厠。
そして温室。
生きるために必要な暮らしの仕組みを、私の怠惰が次々と整えてしまった今、黒曜辺境伯領における私の引きこもり生活は、ついに楽園へと到達したのだ。
「ふふっ……もう私は、この部屋から一歩も出ないわ。春が来ようが、何が来ようが、ここで一生ごろごろして過ごすのよ……」
満腹感と極上の幸福感に包まれ、私は幸せな二度寝の中へと意識を落としていった。
現場はルークに任せた。
金庫はマーサが守ってくれる。
食卓には温室の青物が並ぶ。
私の勝ち組引きこもり生活は、永遠に続く――。
そう確信していた。
けれど、この真冬の奇跡のサラダの噂が、閉ざされた辺境の雪壁を越えて、王都の不穏な影を呼び寄せてしまうことに、ヴィクトリアはまだ気づいていなかった。
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