第33話:追放令嬢の地中熱グリーンハウス
「……で? ガラスの家ができたのはいいんですが、中は外と変わらず極寒のままですぜ、お嬢様。これじゃあ、種を撒いた端からカチコチに凍っちまいます」
完成したばかりの巨大な温室の中で、ルークが白い息を吐きながら肩をすくめた。
外の猛吹雪は遮られている。
日の光も、ガラス越しに降り注いでいる。
それでも、真冬の辺境の冷気を、ガラスの壁だけで防ぎ切ることはできない。
「ふむ! ならば、この中に巨大な火鉢をいくつも置き、薪を盛大に燃やせばいいのではないか!? 足りなければ、俺がここで闘気を練り上げて熱を放とう!」
レオンハルトが腕を組み、またしても筋肉に頼った案を出した。
その瞬間、彼の背後から、冷たい声が突き刺さる。
「却下です」
分厚い書類綴りを抱えたマーサが、銀縁眼鏡をぎらりと光らせた。
「この広さを薪や魔石の炉だけで温めようとすれば、毎日とんでもない量の燃料が消えます。その金は、いったいどこから出すおつもりですか?」
「い、いや、そこは気合で……」
「気合は金貨になりません」
「ひぃっ!? わ、分かった、悪かったマーサ! 怒るな!」
すっかり帳簿係の圧に怯えるようになったレオンハルトが、巨大な体を丸めて後ずさった。
マーサは書類綴りを胸に抱え直し、私に向き直る。
「お嬢様。いくらお嬢様の魔法で建てたとはいえ、これ以上の燃料費の追加は認められません。残念ですが、真冬の農業は諦めていただくしか……」
「安心しなさい、マーサ」
私はふふっと笑い、彼女の言葉を遮った。
「新しい薪も、追加の魔石もいらないわ。燃料を増やさずに、この温室を春の畑へ変えてみせるから」
「……燃料を、増やさずに?」
マーサの目が、すっと細くなる。
その言葉は、彼女にとって何より甘美に響いたらしい。
「そう。すでにこの領地で使われて、そして捨てられている熱を、もう一度働かせるのよ」
「捨てられている熱……?」
ルークとレオンハルトが顔を見合わせた。
私は杖の先で、温室のすぐ隣に建つ領主の館と兵舎を指した。
「私たちの部屋や兵舎を温めている床暖房を思い出して。熱源室で火の魔石を燃やし、その熱を床下や壁の煙道へ通しているでしょう?」
「へい。温まった空気と煙は、壁の中を通って、最後は屋根の上から外へ逃がしてやすね」
「その通りよ。部屋を温め終えたあとでも、その煙道にはまだ熱が残っている。それを、そのまま冬空へ捨てているの」
私は地面を軽く杖で叩いた。
「燃やして生まれた熱を、一度だけ使って終わりにするなんて、あまりにももったいないわ。なら、その熱にもう一仕事してもらえばいい」
「もう一仕事……!」
ルークの目が輝く。
私は温室の床を見下ろし、魔力を練り上げた。
「ただし、煙そのものを温室へ入れるわけではないわ。そんなことをしたら、植物にも人にも悪い。使うのは、煙道を通して伝わる熱だけよ」
ズゴゴゴゴ……ッ。
私の土魔法が地面へ流れ込み、館と兵舎から伸びる排気の道の一部が、ゆっくりと形を変えていく。
密閉された石の煙道が、温室の地下へ潜り込んだ。
それは畑となる土の下を、蛇のように何度も折り返しながら進み、最後は温室の外れから屋根より高い排気筒へとつながっていく。
「熱を持った煙道を、温室の土の下へ通したわ。煙は石の管の中を通るだけ。土には触れないし、温室の中にも漏れない。けれど、管の熱がじんわり土へ伝わる」
私は杖を下ろし、満足げに頷いた。
「これで、捨てられるはずだった熱が、温室の土を底から温め続ける。新しい燃料を使わずにね」
その直後。
ゴォ……という低い音が、足元の奥からかすかに響いた。
温室の床下を通る煙道に、館と兵舎からの熱が流れ始めたのだ。
しばらくすると、凍りついていた土の表面が、ほんのりと柔らかくなり始めた。
「おおっ!? 足元が……土が、少し温かくなってきたぞ!」
レオンハルトが驚いたように声を上げる。
「す、凄え……! 外は猛吹雪だってのに、このガラスの家の中だけ、少しずつ春みたいになってきやした!」
ルークが慌てて手袋を外し、土に触れる。
ガラスが風を防ぎ、日の光を取り込む。
その下では、床暖房の名残の熱が、密閉された煙道を通って土を温める。
真冬の辺境で、温かな畑を作るための仕組みが、少しずつ動き始めていた。
「……見事です」
その様子を見ていたマーサの口から、震えるような声が漏れた。
彼女は銀縁眼鏡を外し、目元を押さえる。
「新たな燃料をほとんど使わず、すでにある設備の余り熱で、新たな実りを生み出す……。なんという無駄のない使い方……。お嬢様、これは帳簿に優しい奇跡です」
「ま、まあね。私はただ、美味しいサラダが食べたいだけなんだけど」
マーサの感動に少し引きつつも、私は温まり始めた土を満足げに踏みしめた。
これで、光と熱の条件は整った。
あとは、ここに野菜の種を撒いて育て、収穫を待つだけだ。
「よし! ならば早速、皆で畑を耕して種を撒こう! そして毎日、川から水を汲んできて、たっぷり水をやるのだな!」
レオンハルトが腕まくりをして気合を入れる。
「……えっ?」
その言葉を聞いて、私の思考がぴたりと止まった。
「……毎日、水をやる?」
「そうですぜ、お嬢様。これだけ広くて温かい畑です。土もすぐに乾いちまう。毎日、朝と夕方に何十杯も水を撒かなきゃ、野菜はすぐ枯れちまいますよ」
ルークが、当然のようにそう言った。
毎日。
朝と夕方。
この広い畑に。
重い水桶を運んで。
水を撒く。
――冗談じゃない。
私は引きこもりたいのだ。
温かい部屋で眠りたいのだ。
そんな果てしない肉体労働を毎日するくらいなら、石みたいな黒パンを齧っていた方がまだましである。
美味しいサラダは食べたい。
でも、水やりという労働は絶対にしたくない。
私の限りなく自己中心的な欲望が、またしても新たな仕組みを呼び起こそうとしていた。
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