第3話:お風呂場作りは計画的に(後編)
「お嬢様……倉庫の隅に転がってた『火の魔石』のクズ石、樽いっぱいにかき集めてきやしたぜ!」
木枯らしが吹きすさぶ裏庭に、ルークが息を切らして駆け戻ってきた。
その腕に抱えられた木樽の中には、親指ほどの大きさしかない赤黒い小石がゴロゴロと入っている。
王都の貴族なら見向きもしない、魔物の死骸から採れる低純度の魔石。暖炉の焚き付けくらいにしか使えないゴミだが、私にとっては十分すぎる「燃料」だ。
「ご苦労様、ルーク。それじゃあ、さっそく躯体工事から始めるわ」
私は冷気でかじかむ手に息を吹きかけ、裏庭の固く凍った地面を見据えた。
頭の中に展開するのは、古代ローマの公衆浴場を、個人用サイズにダウンスケールした完全防寒のバスルームの図面。
「《アース・クリエイト》!」
ズゴゴゴゴォォォ……ッ!!
私の魔力に応え、大地が重々しい唸り声を上げた。
足元の土から岩石の成分が抽出・圧縮され、滑らかな灰色のブロックとなって次々と空中に浮かび上がる。
それらがパズルのように組み合わさり、瞬く間に一つの強固な「石造りのドーム建築」を形成していった。
熱が逃げないよう天井はアーチ状にし、床には保温性の高い火山岩質の石材を敷き詰める。
「うおおっ!? なんてこった、一瞬で石の家が建っちまった!」
ルークが尻餅をつき、後ろで見ていたレオンハルトも驚愕に目を見開いている。
「よし、建屋は完成。次は配管と給湯システムね」
私はさらに魔法を操り、先ほど作った「ろ過システム(浄水場)」からドーム内の浴槽へと繋がる石のパイプを地中に這わせた。
そして、浴槽のすぐ横の地中に、魔石を燃やすための小さな「釜(ボイラー室)」を形成し、そこにも水が通るように二本のパイプを繋ぐ。
「魔石をボイラー室にセットして……着火」
私が魔法で小さな火花を飛ばすと、ボイラー室の中のクズ魔石が赤い光を放ち、周囲の水を熱し始めた。
「……あの、総裁」
ルークが、恐る恐るバインダー(木の板)を抱えて尋ねてきた。
「魔石の熱で釜の水を温めるのはわかりやす。でも……どうやってそのお湯を、この湯船まで運ぶんでさぁ? ポンプも水車もねえのに、水が勝手にパイプを登ってくるとは思えねえんですが」
現場監督の卵として、ルークの着眼点は非常に鋭い。
私はふふっと笑い、ルークに向けて人差し指を立てた。
「――それはね、ルーク。温かい水は『軽く』て、冷たい水は『重い』からよ」
「……水に、重いも軽いもあるんですかい?」
「ええ。水は熱せられると膨張して、密度が下がる(軽くなる)のよ。だから、釜の中で熱湯になった水は、パイプを通って自然と『上』にある湯船へと昇っていくわ」
私は杖の先で、地中のパイプの構造を図解するように指差した。
「そして、熱湯が湯船に入ってきた分、湯船の底に溜まっていた『冷たくて重い水』が、下のパイプを通って釜へと押し出される。……これが『自然循環方式』よ」
「…………ッ!」
「温度の差(比重差)がある限り、お湯は勝手にぐるぐると循環し続ける。魔力も動力も一切使わずに、半永久的に一定の温度を保つ魔法のシステムよ」
私が説明を終えた直後だった。
ゴボッ……ゴボボボボッ……!!
石造りの浴槽の底から、大きな気泡とともに、熱々のお湯が勢いよく湧き出し始めた。
瞬く間に浴槽が満たされ、ドーム状の浴室内に、乳白色の濃厚な湯気が立ち込める。
「うわぁ……あったけぇ……」
ルークが、湯気に包まれて放心したように呟いた。
外は息が白くなるほどの極寒だというのに、このドームの中だけは、まるで春の陽だまりのように暖かく、湿度に満ちている。
「完璧だわ……! 温度設定は約40度。副交感神経を優位にして、睡眠の質を極限まで高める黄金温度よ!」
私は歓喜に打ち震えた。
硫黄の匂いも、泥の臭いもしない。完璧にろ過された清らかなお湯だ。
これでようやく、泥とホコリにまみれた体を洗い流し、天国のような休息を得ることができる。
「さっそく入るわ。あなたたちは外に出て見張っていなさい。絶対に中を覗かないように!」
私はドレスのボタンに手をかけながら、レオンハルトたちを追い出そうとした。
しかし、その時。
「……なんという、ことだ……」
背後で、レオンハルトが膝から崩れ落ちていた。
彼は湯気の中から湧き出る大量の熱湯を見つめ、ワナワナと激しく震えている。
「お、お前……いや、ヴィクトリア様。貴女はこれを、我が国境守備隊のために……?」
「はい?」
私が首を傾げると、レオンハルトは顔を覆い、なんと男泣きに泣き始めたではないか。
「ここは魔物との最前線! 兵士たちの傷は常に不衛生な泥に晒され、破傷風や感染症で多くの命が失われてきた……!
だが、これほど清潔で、しかも大量の『熱湯』が無動力で無限に供給される施設があれば……医療器具の煮沸消毒も、兵士の傷の洗浄も完璧に行える!」
「……え? あの、辺境伯様?」
私の困惑をよそに、レオンハルトは立ち上がり、後ろにいたルークや、騒ぎを聞きつけて集まってきた兵士たちに向かって号令をかけた。
「王都の連中は、精神論で『愛国心があれば寒さなど耐えられる』とほざくばかりだった……。
だが貴女は違う! 前線の兵士の命を、文字通り『数字』と『設備』で救おうとしておられるのだ!」
「「「うおおおおおっ!?」」」
「皆の者、聞けぇッ! ヴィクトリア様は、我らの命を救うため、ご自身の魔力をすり減らして『奇跡の治癒院(公衆衛生施設)』を建造してくださった! この御恩、死んでも忘れるな!!」
「「「うおおおおおおおッ!! 聖女様ぁぁぁ!! 軍医将軍閣下ぁぁぁぁッ!!」」」
……うるさい。
ものすごく、うるさい。
兵士たちは「俺は三ヶ月風呂に入ってねえ! これでシラミとオサラバだ!」と歓喜の涙を流して抱き合い、ルークは「おらが村の女神様バンザイ!」と叫んで狂喜乱舞している。
私は、ただ黙ってその光景を見つめていた。
(……違う。これは『私専用』のリラックスルームなのよ。公衆浴場じゃないのよ)
喉まで出かかったその言葉を、私はそっと飲み込んだ。
数百人の屈強な兵士たちの熱狂を前に、前世の社畜時代に培った「空気を読むスキル(事なかれ主義)」が発動してしまったのだ。
「……順番に入りなさい。ただし、利用前には必ず掛け湯をして、泥を落としてから浴槽に入ること。ルールを守れない者は出入り禁止(出禁)にします」
「「「ははぁーっ!! 仰せのままに!!」」」
地面に額をこすりつける勢いで土下座する男たちを見て、私は深いため息を吐いた。
お風呂は完成した。
しかし、これでは大行列ができて、私がゆっくり入る隙がない。
私が平穏なニート生活を手に入れるための戦いは、まだ始まったばかりだった。




