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第27話:鬼経理・マーサの登場

「な、なんですか、この帳簿は……! ただ入ってきた金と出ていった金を、日記のように並べているだけ……! これが……これが一領地の財政管理だというのですか……ッ!?」


王都から赴任してきたという二十二歳の新任文官、マーサ。


彼女は銀縁の眼鏡の奥で目を血走らせ、レオンハルト様から手渡された領地の帳簿を、わなわなと震える手で握りしめていた。


「『魔石を購入、たくさん』? 『職人への褒美、がんばったので多めに』? ……金額は!? 枚数は!? 受け取った者の印はどこにあるんですか!!」


「……いや、職人たちが夜通しで働いてくれたからな。労いとして、俺の財布から金貨の袋をそのまま渡した。細かい釣りはいらん、と言ってな」


レオンハルトは腕を組み、どこか誇らしげに、無骨な武人らしく堂々と答えた。


学問や数字にはめっぽう弱く、内政がほとんど勘と根性で回っていた彼らしい、極めて大ざっぱな返答である。


その瞬間、マーサの顔から表情がすっと消えた。


「……袋のまま、渡した?」


声の調子が、ぞっとするほど低くなる。


冷たい笑顔が、彼女の顔に貼り付いた。


「袋の中身は金貨何枚ですか? それは領地の蔵金ですか、辺境伯様ご自身の私財ですか? どちらにせよ、帳簿に残さず金貨を流せば、帳面の残りと金庫の中身が合わなくなるでしょうが!! あなた方は領地の台所をなんだと思っているのですか、おままごとですかァッ!?」


「うっ……!?」


普段は魔物を前にしても一歩も引かない辺境伯が、マーサの放つ帳簿の圧に押され、あからさまにたじろいだ。


「だ、だが! ヴィクトリアが作った設備のおかげで、兵士たちは凍傷から救われ、病も減ったのだぞ! 金が足りないなら、俺の愛馬と先祖代々の鎧を売る! だから問題ないだろう!」


「家宝を切り売りして日々の支払いに充てるなど、台所が火を噴く寸前の家がやる最後の手段です!! 馬鹿なんですか、筋肉で帳簿を殴れば数字が揃うとでも思っているんですか!!」


完全に理で殴られ、レオンハルト様は「ぐぬぬ……」と沈黙した。


……うわぁ。


言い方はともかく、正しすぎて反論できない。


私は少し離れた場所から、火の粉が飛んでこないよう静観していた。


しかし、マーサの鋭い視線は、すぐさま私へと向けられた。


「そこのお嬢様! あなたもです!」


「ひゃいっ!?」


「噂は聞いています。この過剰な整備を進めたのは、あなたですね! 確かに設備は素晴らしい。ですが、この火の魔石の減り方……領地の蔵が耐えられる速さではありません! このまま金貨を溶かし続ければ、来月には領地ごと干上がって、皆で雪をかじる羽目になりますよ!」


「そ、それは……最初に多くの費えがかかっただけで、長い目で見れば、病人が減り、働ける者が増え、兵士の損耗も抑えられるはずで……」


私は前世の現場管理の知識を引っ張り出し、少し早口で弁明を試みた。


すると、マーサの眼鏡の奥の瞳が、ぴくりと反応した。


「……ほう。公爵家のお嬢様が、ずいぶん実務めいたことを仰るのですね。ですがね!」


マーサは、ばんっ、と机を叩き、私に顔を近づけた。


「その『長い目』で成果が出る前に、手元の金貨が尽きるんです! このお小遣い帳同然の帳簿で、どうやって設備の価値や、残った支払いの額を読み取れと言うのですか! 私は王都で、こういう杜撰な計画のせいで末端の者が泣きを見る地獄を、嫌というほど見てきたんです!」


彼女の言葉には、ただの怒りではなく、血を吐くような悲痛さが混じっていた。


聞けば、彼女は王都の商会や財務局で、平民の女という理由で手柄を奪われ続けていたらしい。


上役の不正な帳簿付けを容赦なく指摘し続けた結果、煙たがられてこの辺境へ飛ばされてきたのだという。


「……数字が、合わない。王都でも、何日徹夜しても、上役が勝手に抜いた不明金のせいで、銅貨一枚分の計算が合わなくて……」


怒鳴り散らしていたマーサだったが、極度の疲労と、辺境の絶望的な帳簿を前にして、ついに精神の糸が切れかけたようだった。


目の下の濃い隈をさらに深くし、焦点の合わない目でぶつぶつと呟き始める。


「私が……私が全部、一人で数え直さなきゃ……。入った金と……出た金と……。ああ、数字が雪崩のように……」


「マーサ!?」


ふらりと体が傾く。


そのまま床に倒れ込もうとした彼女を、私は慌てて駆け寄り、細い肩を抱きとめた。


「レオンハルト様! この子、過労と空腹よ! ルークに言って、すぐに温かいスープを持ってこさせて!」


「あ、ああ! わかった!」


レオンハルト様が慌てて部屋を飛び出していく。


私は腕の中で意識を失いかけているマーサを見下ろし、深くため息をついた。


……放っておけないわ、こんなの。


彼女の顔は、前世でゼネコンの詰所の床に段ボールを敷いて仮眠をとっていた、あの頃の私とまったく同じだった。


真面目すぎるがゆえに仕事を背負い込み、数字の海で溺れかけ、組織の不条理にすり潰されようとしている者の顔。


「……よく頑張ったわね、マーサ。もう、一人で数字の海を泳がなくていいわ」


私は、彼女の冷え切った手を握った。


彼女は数字の重要性を誰よりも理解している。


このずさんな辺境の財政を立て直すには、彼女のその、銅貨一枚のズレも許さない几帳面さが必要不可欠だ。


「少し眠ったら、私が教えてあげる」


私は静かに告げた。


「このお小遣い帳を、領地の金の流れがひと目で分かる帳面へ作り替える方法を。入った金と出た金を、二つの面から照らし合わせる――『複式簿記』という、究極の帳合法をね」


元・社畜エンジニアと、王都から流された鬼帳簿係。


泥水をすすってきた裏方同士の魂が共鳴し、辺境のずたぼろな財政に大革命を起こすための最強の組み合わせが、今ここに生まれようとしていた。

最後まで読んで頂いてありがとうございます!

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