第20話:無敵の土木工兵隊の誕生
「いいこと、ルーク。人間の体力と集中力には限界があるわ。気合でそれを踏み越えさせるのは、現場を預かる者の怠慢よ」
雪混じりの風を避けるための仮設テントの中。
私は簡易的な木のテーブルに羊皮紙を広げ、炭筆で図を描きながら、ルークに前世の叡智――すなわち、シフト管理の概念を叩き込んでいた。
「これまでは全員で一斉に作業して、限界が来たら全員で倒れるように休む。そういうやり方だったでしょう?」
「はい……さっきの俺たちが、まさにそれでやす」
「それでは駄目。作業が丸ごと止まるし、限界を超えるまで我慢する者が出る。寒冷地の現場でそれをやれば、凍傷者を量産するだけよ」
ルークはごくりと喉を鳴らした。
私は羊皮紙に三つの円を描き、矢印でつないだ。
「だから、作業員を三つの班に分ける」
「三つの班……」
「第一班は現場作業。第二班は湯治場や暖かい場所での休息。第三班は屋内待機と食事、それから装備の乾燥と交換よ」
「装備の乾燥?」
「濡れた手袋や靴下のまま外へ出れば、体温を奪われる。休むだけでは足りないわ。次に出る時、乾いた装備を身につけられる状態にするの」
ルークは目を見開き、慌てて木板へ書きつけた。
「作業、休息、待機と装備……」
「そう。これを順番に回す。外での作業は、原則三十分。天候が穏やかで、体調に問題がなければ長くしてもいいけれど、最長でも一時間を超えないこと」
「一時間を超えない……!」
「それに、時間だけで判断しては駄目よ。唇が青い、手足の感覚が鈍い、足がもつれる、受け答えが遅い。そういう者が出たら、予定より早く交代させる」
「なるほど……」
ルークは羊皮紙に描かれた三つの円を、食い入るように見つめた。
「つまり、この班をぐるぐる回せば、誰かが限界まで無理する前に休ませられる。作業そのものも止まらない……?」
「その通り。全員が気合で三時間粘って全滅するより、短く集中して、温まって、食べて、また戻る方が結果的に早い。これが安全第一の考え方よ」
「すげえ……」
ルークの瞳の奥で、何かが噛み合ったように見えた。
農作業と兵士の力仕事しか知らなかった青年が、初めて現場全体を上から見る視点を手に入れた瞬間だった。
「お嬢様……俺、分かりやした。人を休ませるのは、甘やかしじゃねえんですね」
「ええ」
「むしろ、作業を止めないために休ませる」
「そう」
「怪我を出さないために、先に止める」
「その理解でいいわ」
ルークは羊皮紙を両手で持ち、まるで宝物でも受け取ったように胸に抱いた。
「俺、すぐに皆を編成し直してきます!」
そう言うなり、彼は弾かれたようにテントを飛び出していった。
その後の動きは、私が見ても感心するほどだった。
湯治場で体を温め直して戻ってきた兵士たちを、ルークはすぐに三つの班へ分けた。
作業班。
休息班。
待機班。
さらに、各班に記録係と声かけ係を置き、手足の状態を互いに確認させる。
レオンハルトにすら臆することなく、ルークは大きな声で指示を飛ばした。
「辺境伯様! 第三班の待機場所の管理をお願いします! 乾いた手袋と靴下の数を確認してくだせえ!」
「承知した!」
「治療係は湯治場の入口へ! 凍傷の疑いがある奴は、いきなり熱い湯に入れるな! ぬるめからだ!」
「分かった!」
「第一班! これから三十分だけ集中して作業する! 時間が来たら、どれだけ途中でも交代だ! 勝手に延長した奴は、俺がお嬢様の前に引きずっていく!」
「「「うおおおおおおおっ!!」」」
ルークの号令とともに、第一班の兵士たちが作業を再開した。
その動きは、先ほどまでとはまるで違っていた。
ただ闇雲に急ぐのではない。
誰が石を運ぶか。
誰が測るか。
誰が記録するか。
誰が周囲に声をかけるか。
役割が決まっただけで、現場の動きは目に見えて整っていく。
「そこ! 石柱の間隔がずれてるぞ、測り直せ! 床が傾いたら寝てる奴が転がるだろ!」
「排気の道は急に曲げるな! 煤が溜まるって、お嬢様が言ってただろ!」
「工具を足元に置くな! 転んだら作業が遅れる!」
「手袋が濡れてる奴は交換してこい! 根性で乾かすな!」
ルークは、もうただの農兵ではなかった。
図を見て、現場を見て、人の状態を見て、必要な声を飛ばしている。
まだ荒い。
まだ危なっかしい。
だが、確かに現場監督代理としての芽が出始めていた。
私は少し離れた場所からその様子を眺め、深く息を吐いた。
……いい。
非常にいい。
これなら、私は少しずつ手を離せる。
現場が気合と根性だけで突っ走る集団から、段取りで動く作業場へ変わり始めている。
「ルーク」
私が声をかけると、彼はきびきびと振り返り、駆け寄ってきた。
「お嬢様! 第一班の作業、順調です! あと少しで交代時間になりやす!」
「見ていたわ。いい指揮だった」
「ほ、本当ですかい!?」
「ええ。声かけ、記録、装備確認。どれも悪くない。もう病兵舎の試験施工については、現場の管理をあなたに任せます」
「……!」
ルークの顔がぱっと輝いた。
「お任せくだせえ! 俺、絶対に誰も怪我させやせん!」
「その意気よ」
私は満足げに頷いた。
そして、ついに念願の言葉を口にする。
「じゃあ、私はもう帰るから。あとはよろしくね」
「はい! お嬢様はどうか、ご自室でゆっくりお休みくだせえ!」
ルークは胸を張った。
「お嬢様が授けてくださったこの安全の仕組みで、俺たちは誰一人指を失うことなく、病兵舎を暖かくしてみせます!」
その声に気づいたレオンハルトと兵士たちが、一斉にこちらを向いた。
吹きつける雪の中、彼らは深々と頭を下げる。
「ヴィクトリア様に敬礼!」
「「「はっ!!」」」
やめて。
そういうのは目立つからやめて。
とはいえ、ここで水を差すのも面倒だった。
私は公爵令嬢らしい笑みを浮かべ、小さく手を振る。
そして、今度こそ踵を返し、領主の館へと急ぎ足で戻った。
◆ ◆ ◆
「……あぁぁぁぁ……っ!」
自室の重い木の扉を閉め、鍵をかけた瞬間。
私を包み込んだのは、甘いほどに優しい温もりだった。
外の雪と、過酷な現場と、兵士たちの熱すぎる視線。
そのすべてが、分厚い扉の向こうへ遠ざかっていく。
私だけの部屋。
私だけの床暖房。
私だけの安全地帯。
床下に作ったハイポカウストは、私が不在の間も静かに働き続けていた。
石床はほんのり温かく、部屋の空気は穏やかに保たれている。
「ただいま、私の愛しの聖域……」
私は冷え切った毛皮の外套を脱ぎ、椅子の背へ投げる。
重ね着した冬用のドレスも緩め、薄い部屋着になった。
裸足を温かい石床へ下ろす。
じんわりとした熱が、足裏から全身へ染み込んでいく。
「最高……。これよ、私が求めていたのは……」
私はそのままベッドへ向かい、ほんのり温まった毛布の中へ倒れ込んだ。
「んん……ふふっ」
顔に当たる隙間風はない。
暖炉の煙に咳き込むこともない。
外では兵士たちが、自分たちのために懸命に働いている。
そして私は、こうして暖かい部屋でベッドに寝転がっている。
これは怠惰ではない。
労働を正しく委譲した結果である。
たぶん。
きっと。
「……私の完全休養生活が……今度こそ、本当に始まるのよ……」
過労死した元社畜の魂は、古代の床暖房と、育ち始めた優秀な部下という盾を手に入れた。
ポカポカのベッドの中で、私はだらしない笑みを浮かべる。
今度こそ誰にも邪魔されない。
そう信じて、私は至福のまどろみへと落ちていった。
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