表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/60

第19話:絶対働きたくない現場総監督

「急げ急げ! 日が暮れる前に、病兵舎の床下を空けるぞ!」


「おう! 寝込んでる連中を、今夜こそ凍えさせねえ!」


雪混じりの風が吹きつける中、黒曜騎士団の兵士たちは異様な熱気で作業を続けていた。


ツルハシが凍った地面を叩き、石材を積んだソリがぎしぎしと音を立てて運ばれていく。


今日の作業は、全兵舎の一斉改修ではない。


あくまで病兵舎の一室を使った試験施工。


そのはずだった。


しかし、彼らの勢いだけを見れば、今にも領地中の床を全部剥がし始めそうである。


「……どうして、こう極端なのかしら」


私は風除けの布を張った仮設テントの中で、分厚い外套に包まりながら現場を見つめていた。


隣には、木板と炭筆を持ったルークが立っている。


先ほどから、私が教えた通り、作業班ごとの進み具合や資材の数を書き留めていた。


「ルーク」


「はい、お嬢様!」


「あそこ。石材を運んでいる第二班を見て。何か気づかない?」


私が指差した先では、数人の若い兵士が、大きな基礎石を運んでいるところだった。


声は大きい。


動きも速い。


けれど、よく見れば足取りが妙に危うい。


ルークは目を凝らし、しばらく彼らを観察した。


「ええと……運ぶ速度は速いです。けど……あ」


「何?」


「手元が震えてやす。あと、一人、足がもつれかけました。顔色も悪いです。唇が青い」


「他には?」


「……手袋の端から見える指が、白っぽい。赤く腫れてる奴もいます。あれ、まずいんですかい?」


「まずいわ」


私は奥歯を噛み締めた。


寒さの中で無理な作業を続けると、体は心臓や内臓を守るため、手足の先への血流を減らす。


指先の感覚が鈍くなる。


痛みが消える。


その時こそ危ない。


痛くないから平気、ではない。


痛みを感じる余裕すらなくなっているのだ。


「あれは凍傷の手前、あるいはもう入り口にいる状態よ。今すぐ止める」


「はい!」


ルークがテントから飛び出した。


「おい、お前ら! 石を下ろせ! 手と足を見せろ!」


「へへっ、平気っすよ、ルークさん!」


石を運んでいた若い兵士が、引きつった笑顔で親指を立てる。


「これくらい、気合と根性で乗り切ってみせます!」


「そうです! ヴィクトリア様が俺たちのために設計してくださったんだ! 多少の寒さなんて、気合で吹き飛ばしますよ!」


気合と根性。


その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが切れた。


前世の記憶が、嫌でも蘇る。


工期が遅れているんだ、気合で乗り切れ。


熱がある? 気合が足りないからだ。


安全帯なんて面倒なもの、手早く終わらせれば必要ない。


そんな無茶を押しつける声の中で、何人の作業員が倒れたか。


そして私自身も、最後は過労で命を落とした。


「……ふざけないで」


私はテントから飛び出した。


雪を踏みしめ、石材を運んでいた兵士たちの前へ歩み寄る。


「今すぐ、その石を下ろしなさい!!」


私の声が現場に響き渡った。


兵士たちはびくりと肩を震わせ、慌てて石を地面に下ろす。


周囲の作業音も、次々と止まっていった。


「お、お嬢様……? 俺たち、作業が遅かったでしょうか……?」


「違うわ!」


私は若い兵士の腕を掴み、手袋を外させた。


指先は血の気を失い、白くこわばっている。


別の兵士は、耳と頬が真っ赤に腫れていた。


「自分の手を見なさい。感覚はある?」


「え……あれ? あんまり……」


「痛くないから大丈夫、ではないの。痛みを感じにくくなっている時点で危険よ」


私は周囲の兵士たちを見回した。


「いいですか。寒さの中で手足の感覚が鈍くなる。色が白くなる、青くなる、赤く腫れる。足がもつれる。受け答えが遅くなる。これは全部、作業を止める合図です」


「で、ですが、お嬢様……俺たちはまだ動けます!」


「動けるうちに止めるのよ!」


私は思わず怒鳴った。


「動けなくなってから止めても遅いの! 凍傷で指を失ってから後悔しても、戻ってこないわ!」


兵士たちが、水を打ったように静まり返る。


レオンハルトも、少し離れた場所で表情を引き締めていた。


「気合と根性なんてものは、寒さにも凍傷にも勝てません。体が出している危険信号を無視するための言い訳に使うなら、そんなものは今すぐ捨てなさい」


私は息を吸い、はっきりと言い切った。


「安全は、工期よりも、気合よりも、手柄よりも優先されます」


誰も声を出さない。


吹きつける風の音だけが、現場に響いた。


「職人が怪我をして欠員が出れば、工事は遅れる。凍傷者が出れば、治療の手も必要になる。無理をして進めた現場ほど、最後には必ず余計に遅れるのよ」


ルークが、私の言葉を木板に必死で書きつけている。


「本日の作業を一時中断します」


「ちゅ、中断……!」


「今すぐ全員、温まり直しなさい。ただし、凍えた手足をいきなり熱い湯に入れるのは禁止。強く擦るのも禁止です」


「熱い湯も駄目なんですかい!?」


誰かが驚いたように声を上げる。


「急に温めすぎると、かえって痛めることがあります。まずは風を避ける。濡れた手袋や靴下を替える。ぬるめの湯でゆっくり温める。感覚が戻らない者、色がおかしい者は、治療係に見せなさい」


「治療係を呼べ!」


レオンハルトが即座に命じた。


「凍傷の疑いがある者を優先して、湯治場の洗い場へ運べ! 浴槽に入れるな。ヴィクトリア様の指示通り、ぬるめの湯からだ!」


「はっ!」


兵士たちが一斉に動き出す。


だが、先ほどまでのような勢い任せではない。


互いの顔色を見て、手袋を確認し、足元のふらつく者に肩を貸している。


「工具はその場に放置しない! 端へ寄せて!」


ルークが叫んだ。


「石材の下に手を入れるな! いったん置いてから離れろ! 治療係が通る道を空けろ!」


私は思わず彼を見た。


ルークは顔を真っ赤にしているが、声はよく通っていた。


さっき教えたばかりのことを、もう現場で使っている。


なかなか筋がいい。


「……ルーク」


「はい!」


「今の指示は良かったわ。動線を確保したのは正解」


「ど、動線……!」


「人が安全に通る道のことよ。怪我人を運ぶなら、まず道を空ける。覚えておきなさい」


「はい!」


ルークは真剣な顔で頷き、木板へ書き足した。


その様子を見て、私は少しだけ肩の力を抜いた。


怒鳴ったせいで喉が痛い。


寒さで頬も痛い。


でも、止めてよかった。


あのまま作業を続けさせていたら、本当に指を失う者が出ていたかもしれない。


「……ヴィクトリア様」


レオンハルトが静かに歩み寄ってきた。


いつもの勢い任せの感動ではなく、今度は指揮官としての重みを帯びた表情だった。


「我々は、寒さに耐えることを強さだと思っていました。痛みを訴えないことを、兵の誇りだと」


「それで兵を失えば、本末転倒です」


「その通りです」


レオンハルトは深く頭を下げた。


「今日、貴女に止められなければ、私は兵たちの勇ましさに目を奪われ、危険を見落としていたでしょう。感謝します」


「感謝より、仕組みにしてください」


「仕組み?」


「毎回、私が怒鳴るのは嫌です」


本音が漏れた。


私は咳払いをして続ける。


「寒冷地作業のルールを作ります。作業時間と休憩時間を決める。手足の状態を互いに確認する。濡れた手袋や靴下は交換する。顔色が悪い者は即座に止める。工具を持って走らない。石材の下に手を入れない。作業前と作業後に人数を確認する」


「……まるで軍規のようですね」


「現場の軍規です」


私はルークを振り返った。


「ルーク。あなたが記録係兼、安全係をやりなさい」


「俺が、ですか?」


「ええ。まず全員を班ごとに分ける。作業開始時刻、休憩時刻、手足の確認、体調不良者、怪我人、使った資材。全部記録するの」


「全部……!」


「現場は記憶で回すものじゃない。記録で回すものよ」


ルークの目に、強い光が宿った。


「俺、やります」


「本当に?」


「はい。俺がお嬢様の代わりに、皆を見ます。誰かが倒れる前に、必ず止めます」


その言葉に、私は目を細めた。


それだ。


私が全部見るから倒れるのだ。


私の代わりに現場を見られる人間を育てればいい。


現場監督代理。


いや、辺境初の安全管理者。


ルークをそこまで育てれば、私は暖かい部屋で報告を聞くだけで済む。


なんて素晴らしい未来だろう。


「ルーク」


私は彼の肩をがしっと掴んだ。


「今からあなたに、現場管理の基礎を叩き込むわ」


「はい!」


「まずは安全第一。早く作るより、怪我を出さない。次に整理整頓。工具と資材を置く場所を決める。三つ目は声かけ。重い物を動かす時は、必ず周りに知らせる」


「安全第一、整理整頓、声かけ……!」


「そして記録。誰が、いつ、どこで、何をしているか。分からない現場は、必ず事故を起こします」


「分かりました!」


ルークは木板を握りしめ、きりっと顔を上げた。


「俺、必ず覚えます。お嬢様を、こんな寒い場所に立たせ続けないために!」


「その意気よ」


私は満足げに頷いた。


周囲では兵士たちが、互いに手を確認しながら湯治場へ向かっている。


レオンハルトは小隊長たちを集め、すでに休憩と交代の段取りを命じ始めていた。


現場が少しずつ、ただの気合任せの集団から、管理された作業場へ変わっていく。


よし。


これなら、きっと私は帰れる。


暖かい部屋へ。


ふかふかのベッドへ。


「お嬢様!」


ルークが、真剣な顔で振り返った。


「次は何をすればいいですか!」


私は震える手で外套の襟を引き寄せながら、にやりと笑った。


「まずは全員の休憩表を作るわ。誰がいつ休むか、誰が湯治場へ行くか、誰が現場に残るか。それを決めるの」


「はい!」


「そして、その表をレオンハルト様に渡しなさい。現場は根性ではなく、段取りで回すのよ」


「段取り……!」


ルークの炭筆が、木板の上を勢いよく走り始める。


私はそれを見届けながら、心の中で小さくガッツポーズを決めた。


労働回避の光明。


それは、現場を任せられる人材を育てることだった。


私はこの日、極寒の兵舎で、ルークへの特別講義―労働安全衛生の第一歩を開始したのである。

最後まで読んで頂いてありがとうございます!

ブクマ・評価・リアクションを押して頂けると嬉しいです!(◍•ᴗ•◍)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ