第18話:村を巻き込む大改修と、社畜の憂鬱
「……どうして、こうなったのよぉ……」
翌朝。
猛吹雪こそ小康状態になったものの、空は重たい鉛色のまま。
吐く息は白く、耳の先が千切れそうなほど冷たい。
私は分厚い毛皮の外套にすっぽり包まり、マフラーで顔の半分を覆った状態で、領主の館の裏手にある兵舎エリアに立っていた。
目の前には、黒曜騎士団の兵士たちがずらりと並んでいる。
ツルハシ、スコップ、木槌、縄、石材運搬用のソリ。
やる気だけは満ちあふれているが、正直、今すぐ全員を現場に放ったら何かを壊す未来しか見えない。
なお、なぜか寒さに気合を入れるため上着を脱ぎかけている者が数名いたので、私は開始前に即座に止めた。
「服を着なさい。凍傷者を減らすための工事で、凍傷者を増やしてどうするの」
「「「はっ!!」」」
返事だけは、やたらと良い。
先頭に立つレオンハルトが、マントを翻して声を張り上げた。
「ヴィクトリア様! 黒曜騎士団、第一から第五小隊まで、作業可能な者を集めました! 指示さえいただければ、いつでも床板を引っぺがせます!」
「引っぺがさないで。まず調査よ」
「調査!」
「そう。いきなり全棟を改修するのは危険すぎるわ。まずは病兵舎の一室を試験施工する。そこで構造、煙道、熱源室、床温、排気の流れを確認してから、他の棟へ広げます」
「さすがです……! 最初から全軍展開ではなく、試験施工で安全を確認するとは!」
「当たり前です」
私は引きつった笑顔で答えた。
顔の表面は、すでに寒さで感覚が怪しい。
つい数時間前まで、私はあの完璧な床暖房部屋のベッドで、ぬくぬくと至福の二度寝を満喫していたのだ。
それなのに。
どうして今、極寒の屋外で、数十人の兵士と作業班を前に現場総監督のようなことをしているのか。
答えは簡単である。
断りきれなかったからだ。
昨晩、レオンハルトに呼ばれて集まった小隊長たちとルークが、涙ながらに頼み込んできた。
「ヴィクトリア様、どうか我々に、あの暖かい床の作り方をお授けください!」
「凍えながら眠る兵を、一人でも減らしてくだせえ!」
「病兵舎だけでも……せめて、病兵舎だけでもお願いいたします!」
純度百パーセントの期待と信仰の目。
それを向けられて、
「私は自分の部屋でゴロゴロしたいから嫌よ」
と言い放てるほどの強心臓を、私は持ち合わせていなかった。
前世のブラック企業時代。
「君にしか頼めないんだ」
「この案件を救えるのは君だけだ」
という、甘い言葉に見せかけた無茶振りを断れず、徹夜で図面を引き続けた悲しい習性。
それが、ここでも致命的に発動してしまったのである。
……ああもう。
私の馬鹿。
結局こうやって、自分で自分の首を絞めるのだ。
「ヴィクトリア様? 小刻みに震えておられますが……やはり寒さが堪えますか?」
ルークが心配そうに覗き込んでくる。
「えっ? あ、ううん。なんでもないわ。ちょっと……武者震いよ」
「お嬢様の武者震い……!」
「深読みしないで」
私は咳払いをし、持たされた木板の図面を広げた。
「いいですか。今日の目標は、病兵舎の一室を床下暖房仕様に改修すること。全五棟の一斉改修ではありません。そんなことをしたら、寝床を失った兵士が雪の中で寝る羽目になるわ」
兵士たちが、はっとしたように顔を見合わせる。
「まず第一班は、床板の撤去。ただし、梁は絶対に傷つけないこと。第二班は床下の確認。湿気、腐食、沈み込みがないかを見る。第三班は熱源室の予定地を掘る。場所は外壁側、灰を取り出しやすく、雪で吸気口が埋まりにくい位置にする」
「はっ!」
「第四班は煙道の確認。既存の壁や屋根に通せる場所があるか調べる。煙道は途中で急に曲げない。水平にだらだら伸ばさない。途中で詰まると、排気が逆流して危険です」
「ぎゃ、逆流……!」
「第五班は資材管理。火の魔石、石材、粘土、砂利、点検蓋に使う金具。全部数えて記録。『足りませんでした』は現場では罪です」
「「「はっ!!」」」
私の指示が飛ぶたび、兵士たちが背筋を伸ばす。
レオンハルトは感極まったように拳を握っていた。
「なんという明確な采配……。まるで戦場の布陣だ」
「工事現場です」
「同じです」
「違います」
だが、兵士たちはすでに動き始めていた。
ガガガッ、と床板を外す音。
ザクッ、ザクッ、と凍った地面を掘る音。
縄で測量する声。
木板に寸法を書き込む音。
現場が一気に騒がしくなる。
「よし野郎ども! ヴィクトリア様が見ているぞ、気を抜くな!」
「病兵舎の床を温めるんだ! 寝込んでいる連中を、今度こそ凍えさせねえ!」
「お嬢様の設計を一寸たりとも狂わせるな!」
彼らの士気は、異常なほど高かった。
それはそうだ。
完成すれば、寒さに怯えながら眠る夜が少し減る。
病人や負傷者が、煙に咳き込まず、冷え切った床に体温を奪われずに済む。
その価値を、彼らは痛いほど知っているのだ。
しかし、現場を見つめる私の目は、すぐに作業の粗さを拾い始めた。
「あっ、待って! そこの第二小隊! 床を支える石柱の間隔が広すぎるわ。それでは上の床板がたわむ。荷重が中央に集まって、最悪、床が抜けるわよ!」
「ゆ、床が抜ける!?」
「怖がる前に直す!」
「は、はいっ!」
「そっちの第三小隊! 熱源室の吸気口を雪の吹き溜まり側に作らないで。すぐ埋まるわ。風向きと積雪を見なさい。空気が入らなければ火は安定しないのよ!」
「空気が入らないと、火が……!」
「消えるか、不完全に燃えるか、ろくなことにならないわ!」
「承知しました!」
「第四班! 煙道の曲がりが急すぎる。そこに煤が溜まるわ。もっとなだらかに。掃除口も忘れないで!」
「掃除口もですか!?」
「当たり前でしょう! 掃除できない煙道は、未来の事故よ!」
気がつけば、私は寒さも忘れて、現場中に声を飛ばしていた。
駄目だ。
気合と根性で工事を進めようとする素人集団を見ると、どうしても口を出してしまう。
図面と違う施工。
危険な段取り。
後で詰む設計。
そういうものを見逃すのは、元エンジニアとしての魂が許さない。
「お嬢様! この熱源室の深さはこれでよろしいですか!」
「もう少し浅くていいわ。深ければいいものではないの。灰を掻き出せない構造にしたら、三日で詰むわよ!」
「お嬢様! こちらの床板の継ぎ目は!」
「仮置きでいいわ。最終固定は煙道の漏れ確認が終わってから! 先に塞ぐと、後で開ける羽目になるわ!」
「お嬢様! この石柱、少し欠けました!」
「使わない! 端へ避けて! 荷重を受ける部材に欠けた石を混ぜるんじゃない!」
あちこちから、
「お嬢様!」
「ヴィクトリア様!」
「監督!」
と声が飛ぶ。
最後の呼び方は誰だ。
やめなさい。
懐かしくて嫌な汗が出る。
私は広い現場を右へ左へと歩き回り、時には魔法で補修し、時には兵士の手元を止め、時には木板に簡単な断面図を描いて説明した。
頭の中では、ずっと泣き叫んでいる。
違う。
私はこんなことがしたいわけじゃない。
暖かい部屋に帰りたい。
ベッドでゴロゴロしたい。
しかし体は勝手に動く。
口は勝手に指示を出す。
頼られると、期待に応えようとしてしまう。
これこそが、私を過労死へ追いやった最悪の呪いだった。
「……はぁ、はぁ……」
数時間後。
寒さと疲労で息を切らしながら、私は兵舎の壁に寄りかかり、そのままずるずると座り込んだ。
「お疲れ様です、お嬢様! 温かいお茶をお持ちしました!」
ルークが水筒を抱えて駆け寄ってくる。
私は震える両手でそれを受け取り、熱いお茶を少しずつ啜った。
「ありがとう……。でも、もう限界……。私、帰って寝たい……」
「お嬢様……」
ルークは申し訳なさそうに眉を下げた。
「本当に、すみやせん。お嬢様みたいな方に、こんな泥臭い現場監督までやらせちまって……」
「いいのよ……。私が断りきれなかっただけだから……」
私が鼻をすすりながら答えると、ルークははっと顔を上げた。
そして、ぎゅっと拳を握りしめる。
「俺、お嬢様の役に立ちたいです」
「え?」
「お嬢様が言ってた、荷重とか、煙道とか、安全とか。そういうの、もっと俺に教えてくだせえ。俺が覚えます。俺が現場を見られるようになれば、お嬢様がこんな寒い外に立たなくて済むでしょう?」
その言葉に、私の目がかっと見開かれた。
それだ。
私が直接指示を出すから疲れるのだ。
私の代わりに現場を見られる人間を育てればいい。
優秀な現場監督代理を作り、指揮権を丸投げする。
そうすれば私は、暖かい部屋のベッドでゴロゴロしながら、報告だけを受け取る真の権力者になれる。
つまり、合法的ニートである。
「ルーク……あなた、本当にそう思ってくれるのね?」
「はい! お嬢様をこんな寒い外に立たせ続けるなんて、俺の男が廃ります!」
私は水筒を置き、がしっとルークの両肩を掴んだ。
「素晴らしい心がけよ、ルーク!」
「お、お嬢様?」
「今からあなたに、現場監督としての極意を叩き込むわ。まずは、あの脳筋兵士たちが最も軽視している概念からよ」
「概念……?」
私は立ち上がり、作業中の兵士たちを指差した。
「安全第一」
その言葉を聞いた瞬間、ルークはごくりと喉を鳴らした。
「安全……第一……!」
「そう。早く作るより、怪我を出さないこと。気合より確認。根性より段取り。事故が起きた現場ほど、結局遅れるのよ」
「お嬢様……!」
ルークの目に、またしても信仰めいた光が宿る。
まずい。
少し方向性を誤ると、また聖女扱いが加速する。
だが、今は構わない。
ついに私のもとへ舞い降りた、労働回避の光明。
私はルークを一人前の現場監督代理へ育て上げるため、再び目をぎらりと光らせた。
「いい、ルーク。まずは全員を止めて。工具を持ったまま走るな、足場に物を置くな、声かけなしに床板を外すな。この三つを徹底させるの」
「は、はい!」
「それができたら、次は寸法確認。記録係もつけるわ。現場は記憶で回すものじゃない。記録で回すものよ」
「記録……!」
「そして最後に、私を呼ぶ前に、あなたが一度確認すること」
「俺が……!」
「そう。あなたが見るの」
ルークは胸を押さえ、感極まったように震えた。
「俺……俺、必ず覚えます! お嬢様の代わりに、この現場を回してみせます!」
「その意気よ」
私は満足げに頷いた。
暖かい部屋への帰還。
ふかふかベッドでの昼寝。
その夢へ続く道が、いま一本だけ見えた気がした。
私は可愛い部下を、辺境初の現場監督代理へ育てるため、極寒の兵舎で新たな教育計画を開始したのだった。
最後まで読んで頂いてありがとうございます!
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