第14話:古代ローマの叡智、ハイポカウスト
「さあ、ルーク。スープが溢れるから持って、少し下がっていなさい!」
私が杖を構え直すと、ルークは慌ててお盆を机の上へ置き、部屋の隅へ飛び退いた。
「いきますよ……《アース・クリエイト》!」
再び、私の魔力が石造りの館へと流れ込む。
床下の石柱は、すでに並べ終えた。
次に手を入れるべきは、私室を囲む分厚い石壁だ。
ズゴゴゴッ……!
ガガガッ!
重い音とともに、壁の内側の石材が静かに形を変え始める。
表面を崩すのではない。
壁の内部に、細い縦穴を通していくのだ。
床下の空洞から壁の中へ。
壁の中から屋根の上へ。
温められた空気と煙を、外へ逃がすための煙道である。
「お、お嬢様!? 今度は壁の中に穴を……!?」
「ええ。床下を温めるだけでは駄目なの。熱気の出口を作らなければ、煙も熱も行き場を失ってしまうわ」
「出口がないと、どうなるんですかい?」
「最悪、室内に漏れる。だから出口は必須よ」
「必須……!」
ルークがごくりと喉を鳴らす。
私は壁の中に作った煙道の内側を、さらに魔法で滑らかに固めた。
熱気が途中で引っかからないように。
煤が溜まりにくいように。
そして何より、室内へ漏れないように。
「ここは絶対に雑に作れないわ。煙道の継ぎ目から排気が漏れたら、寝ている間に危ないもの」
「こ、怖いことをさらっと言わないでくだせぇ……」
「だから丁寧に作っているのよ」
煙道の下には、掃除用の小さな口を作る。
途中には点検用の蓋。
屋根の上には、吹雪の横風で煙が押し戻されないように、小さな風除けの笠も形成した。
最後に、私は一階の外壁側へ魔力を伸ばす。
この部屋の真下には、使われていない物置がある。
その外壁に近い隅に、小さな熱源室を作るのだ。
「地下深くに大きな炉を作る必要はないわ。熱源は一階の外壁側に置く。灰を掻き出しやすいし、外から空気も取り入れやすいから」
「外から空気を?」
「火が燃えるには空気が必要でしょう? でも、部屋の空気を使わせると寝室が冷える。だから燃焼用の空気は外から取り入れて、排気も外へ逃がす」
「部屋の空気を吸わせない……!」
「そう。私の部屋は、火のための空気置き場ではありません」
私は一階の外壁側に、火の魔石を置く石の受け皿を作った。
その下には灰を掻き出す口。
外気を取り入れる小さな穴。
床下へ熱気を送る入口。
そして、壁の煙道へつながる出口。
さらに、熱気の量を調整するための石の弁も作っておく。
「この弁を開ければ、床下へ流れる熱気が増える。閉めれば弱まる。暖房は、作るだけでは駄目よ。強すぎても弱すぎても困るの」
「床が熱くなりすぎることもあるんですかい?」
「あるわ。だから最初は弱く試す。いきなり全開にする技術者は信用してはいけません」
「なんか今、前世の恨みが混じってません?」
「気のせいよ」
私は額の汗を拭い、空中に浮かせていた床石へ視線を向けた。
「さて、床を戻すわ」
宙に積み上げられていた石板が、一枚ずつゆっくりと降りていく。
ガシャン。
ガシャン。
短い石柱の上に、床石が正確にはまっていく。
床下には、熱気が通るための低い空間が残る。
見た目には元の石床とほとんど変わらない。
ただし、床は少しだけ高くなった。
入口には小さな段差ができている。
「あとでここは段差を削って、つまずかないようにするわ」
「お嬢様、そういうところまで考えるんですね」
「寝ぼけて転んだら腹が立つでしょう」
「理由が徹底して自分本位!」
私は聞かなかったことにした。
退避させていたベッド、クローゼット、机も元の位置へ戻す。
これで、部屋は一見すると普通の寝室に戻った。
床下に空洞があり、壁の中に煙道が通り、一階外壁側に熱源室があることなど、知らなければ誰にも分からないだろう。
「終わりましたよ。これがハイポカウスト式の床下暖房よ」
「はいぽ……なんですか?」
ルークは恐る恐る新しい床を踏みしめ、不思議そうに首を傾げた。
「見た目はただの床ですね」
「見た目はね」
「地下……じゃなくて、一階の外壁側に炉を作ったのは分かりやす。床の下と壁の中に空気の道を作ったのも、なんとなく分かりやす。でも、本当にこれで部屋が暖まるんですかい? 分厚い石の床越しじゃ、熱が伝わらない気がするんですが」
「いい質問ね」
私は満足げに頷いた。
ルークは怯えたように一歩下がる。
「お嬢様がいい質問って言う時、だいたい長い説明が始まりやす」
「今回は短くするわ」
私は床石を軽く杖で叩いた。
「石は金属みたいにすぐ熱くなるわけではない。でも、ゆっくり熱を蓄える。そして一度温まると、今度はゆっくり冷める」
「つまり……温まりにくいけど、冷めにくい?」
「その通り。床下を通る熱気が、石の床を内側から温める。温まった床は、部屋へじんわり熱を返す。足元からゆっくり暖まるから、暖炉みたいに顔だけ熱いということになりにくい」
「床そのものが、やっぱりでっけぇ湯たんぽになるんですね!」
「ええ。その理解でいいわ」
私は今度、壁を示した。
「熱気は床下を通ったあと、壁の中の煙道を上がって屋根の外へ抜ける。煙や燃えたあとの空気は、室内には入れない。部屋に入れるのは、床や壁を通して伝わる熱だけ」
「火も煙も部屋の外。熱だけ中へ……」
ルークは床と壁を交互に見つめ、ぶるぶると震えた。
「お嬢様……それ、魔法より魔法じゃねえですか……!」
「構造よ」
「構造がすげぇんです!」
ルークはその場に膝をつき、床に両手をついた。
「この床が温かくなったら、兵舎の連中、泣きますよ。いや、俺がもう泣きそうです」
「泣くのは試運転が成功してからにしなさい」
私は杖を構え、熱源室へ魔力を伸ばした。
「では、実証実験に入るわ」
「い、いよいよですかい!?」
「ただし弱火からよ。最初は煙道が冷えているから、いきなり強く焚くと排気の流れが安定しないことがある」
「煙突にも準備運動がいるんですかい?」
「雑に言えばそう」
私は熱源室に置いておいた火の魔石の小片へ、そっと魔力を送った。
赤い光が、じわりと灯る。
ゴォ……。
床下の奥から、低い音がかすかに響いた。
温められた空気が、石柱の間をゆっくりと流れ始める。
壁の中の煙道へ向かって、静かな流れが生まれていく。
私は目を閉じ、魔力で空気の流れを探った。
床下。
煙道。
屋根の上の排出口。
今のところ、逆流はない。
室内に煙の匂いもない。
「……よし。第一段階、問題なし」
「おお……!」
ルークが息を呑む。
私は床に手を置いた。
当然、すぐには温かくならない。
石は鈍い。
だが、その鈍さがいい。
時間をかけて温まった石は、時間をかけて部屋を包む。
「すぐには効かないわ。これは暖炉の火みたいに、目の前を一気に熱くする仕組みではないもの」
「じゃあ、待つんですね」
「ええ。待つのも設備運用の一部よ」
しばらくして、床石の奥に、ほんのわずかな温もりが生まれた。
冷え切った石が、眠りから覚めるように、ゆっくりと熱を持ち始めている。
「ルーク。触ってみなさい」
「へい……」
ルークは恐る恐る床へ手を当てた。
そして、目を見開いた。
「……あったけぇ」
次の瞬間、彼は床に両手をつき、感極まったように叫んだ。
「あったけぇぇぇぇ! 石の床が、石の床が冷たくねえです! お嬢様、これ、奇跡です! 床が人間に優しい!」
「床が人間に優しい、という表現は初めて聞いたわね」
「だって、辺境の床は人間を殺しにきますから!」
それは、少し分かる。
私は満足げに頷いた。
「システム起動。これでようやく、極寒の辺境にも、人間が眠れる部屋が生まれるわ」
「お嬢様……!」
ルークは床に額を擦りつけかけた。
「やめなさい。まだ試運転中よ」
「はっ!」
私は温まり始めた床を見下ろし、小さく笑った。
常夏とまではいかない。
永遠の春でもない。
けれど、冷え切った床に体温を奪われずに済む。
それだけで、私の睡眠環境は劇的に改善するはずだ。
悪くない。
実に悪くない。
「今夜こそ……私は勝つ」
私は床下から伝わるかすかな熱を感じながら、極寒の寝室攻略に向けて静かに拳を握った。
最後まで読んで頂いてありがとうございます!
ブクマ・評価・リアクションを押して頂けると嬉しいです!(◍•ᴗ•◍)




