↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お助けキャラに憧れて転生した俺、他人がピンチの時しか最強になれない ~ただし平時は体力3なので、生活が成り立たない~  作者: 中原九尾


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/19

第5話 断罪の場で皿を運んでいた男

「荷物は落としませんでした、だって」


 翌朝、橋の下でペルネッタが言った。


 俺は固いパンをかじる手を止めた。パンは彼女のおごりである。孤高の覇者の朝食は、14〜15歳の女の子の情けでできている。


「何の話だ」


「昨日の子からの伝言。あんたに伝えてくれって」


 荷物は、落としませんでした。


 俺はその言葉を3回ほど頭の中で転がして、青ざめた。


「……やっぱり気にしてるじゃないか」


「何を」


「俺はあの子に、お前なんかにその荷物が持てるかって言ったんだ。だから『ちゃんと持てました』って言い返してきたんだろう。当てつけだ。完全に怒ってる」


「そうかなあ」


「そうに決まってる。次に会ったら土下座する」


 言ってから、俺は考えこんだ。


「待てよ。お助けキャラの土下座というのは前例がないな。膝は片方だけつくべきか。いや、それだと騎士の礼になる。両膝をついて、ただし背筋は伸ばしたまま」


「兄さん」


「額はつけない。目だけ伏せる。これなら威厳を保ったまま謝れる」


「謝る気ある?」


 ペルネッタはパンをちぎりながら、変な生き物を見る目で俺を眺めていた。


「あのさ。昨日のこと、ちゃんと説明して」


「長くなるぞ」


「いいよ。どうせ朝は暇だし」


 転生のこと。女神様のこと。注文書のこと。


 話しはじめて3分で、最初の横槍が入った。


「待って。強さを選べたのに、わざわざ魔王と同じにしたの?」


「した」


「倍にしなよ」


「女神様と同じことを言うな。倍にしたら俺が魔王を倒してしまうだろう」


「倒しなよ」


「それも女神様が言った」


 10分のところで2つ目が入った。


「自分が危ない時は使えないの? 何で?」


「お助けキャラが自分を助けてどうする」


「死ぬよ?」


「……死ぬな」


「ばかなの?」


 15分のところで3つ目である。


「その黒い炎って何に使うの」


「使わない」


「使わないの」


「出ているだけだ」


「何で頼んだの」


「格好いいからだ」


 ペルネッタは残りのパンを全部口に入れて、しばらく黙ってかんでいた。


 結局20分かかった。


「信じない」


「だろうな」


「信じないけど、柱は折れてたし主は死んでた。で、兄さんは体力3」


「3だ」


「……ばかみたいな力だね」


「格好いいだろう」


「ばかみたい、って言ったんだよ。頼み方が」


 彼女は立ち上がって、上着のほこりを払った。


「決めた。兄さんが消えたあとに残した荷物、これからもあたしが回収してあげる。1回につき銅貨5枚」


「商売にするのか」


「するよ。あと情報も売る。今日のぶん、聞く?」


 俺は財布の中身を全部出した。銅貨5枚。これで一文なしである。


 ペルネッタは枚数を確かめてから、声を落とした。


「今夜、伯爵様のお屋敷で夜会がある。そこで婚約破棄が起きるって噂」


「婚約破棄」


「伯爵家の跡取りが、子爵家のお嬢様を皆の前で捨てるんだって。新しい相手がもういるらしいよ。お嬢様のほうは何も知らされてない」


 俺はパンを落とした。


 大勢の前で身に覚えのない罪を着せられ、すべてを失う令嬢。


 それは主人公の始まり方だ。昨日に続いて2日連続である。この世界は主人公の産地なのかもしれない。


「行く」


「どうやって入るの。招待状ないでしょ」


「……ないな」


「厨房が給仕の手を探してる。日当は銅貨20枚。紹介料は5枚、後払いでいいよ」


 この子は本当に、将来大物になると思う。


   *


 伯爵邸の厨房で、俺は料理長に3回怒鳴られた。


 1回目は、名前を聞かれた時である。


「新入り。名前は」


「名乗るほどの者ではありません」


「名簿に書くんだ! 名乗れ!」


 名簿には「ジン(名乗るほどの者ではない)」と書かれた。括弧の中まで書かなくていいと思う。


 2回目は、最初の皿を運んだ時だ。


 スープである。俺は盆を持ったまま、大広間の扉の陰で立ち止まった。


 熱いうちに出すのは素人だ。


 客が待ちくたびれ、今夜のスープはもう来ないのかと諦めかけた、まさにその瞬間に現れる。それがいちばん効果的な登場である。俺は扉の隙間から客の顔色をうかがい、頃合いを待った。


 スープは冷めた。


「なぜ持っていかん!」


「ギリギリを待っていました」


「何のだ!」


 3回目は、皿を5枚割った時である。


 肉料理の皿を運ぶのに、俺は広間の階段を使った。上の踊り場から下りていけば、シャンデリアの光が背中に入る。逆光だ。片手で皿を高く掲げ、1段ずつゆっくり下りる。


 3段目で足を踏み外した。


 皿は5枚重ねていた。


「普通に運べ! なぜ階段の上から来る!」


「高い所から現れたほうが」


「皿がか!」


 皿5枚ぶんの銅貨10枚は、日当から引かれることになった。


 残り10枚。ペルネッタへの紹介料を払うと5枚。働く前から半分以下になっている。


 料理長は最後に、鶏の丸焼きがのった銀の盆を俺の胸に押しつけた。


「お前はもう運ぶな。これを持って壁ぎわに立ってろ。動くな。しゃべるな。階段に近づくな」


 壁ぎわに立った。


 大広間は、絵に描いたような夜会だった。シャンデリアが輝いている。着飾った人々が笑っている。楽団が優雅な曲を奏でている。


 それは突然始まった。


「セラフィーナ・エルメンライヒ! お前との婚約を、今この場で破棄する!」


 音楽が止まった。


 来た。


 本物だ。本物の婚約破棄である。前世で何十回も読んだあの場面が、目の前で始まっている。


 広間の中央に、金髪の若い男が立っている。伯爵家の跡取りだろう。その腕には、小柄な令嬢がしがみついていた。


 指をさされているのは、もう1人の令嬢だ。


 18〜19歳くらいだろうか。黒に近い濃い青の髪を高く結い上げて、背筋をまっすぐ伸ばしている。きつい目元のせいで冷たく見える顔立ちだが、今その顔からは血の気が引いていた。


「……理由を、お聞かせ願えますか」


 次は「とぼけるな」だ、と俺は思った。


「とぼけるな」


 当たった。


「お前がミレイユを階段から突き落としたことは、皆が知っている。茶に毒を混ぜたこともだ」


 階段と毒である。定番が2つとも来た。証拠はどうせ出てこない。こういう時は出ないのだ。


「存じません」


「まだ言うか!」


 跡取りの声が広間に響く。しがみついた令嬢が、わざとらしく肩を震わせた。あの震え方も見たことがある。教科書どおりである。


 俺は盆を持ったまま、まわりを見た。


 誰も動かない。


 招待客たちは扇の陰でささやき合うだけで、1人も前に出ようとしない。濃い青の髪の令嬢は、広間の奥に立つ中年の夫婦のほうを見た。両親だろう。


 2人は、目をそらした。


 令嬢の肩が、ほんの少しだけ下がった。


 そこで、笑えなくなった。


 読んでいた時は、ここで「さあ逆転だ」と思えた。次の頁をめくれば誰かが助けに来ると知っていたからだ。


 目の前の人には、次の頁がない。


 来た。これは来ただろう。どう見てもピンチである。俺は盆を持ったまま、高い所を探した。階段の踊り場がある。近づくなと言われたが、非常時だ。鶏はどうしよう。持っていくしかない。


 1歩踏み出したところで、目の前に板が浮かんだ。


――――――――――――――――――

【判定結果】

対象者の状況:窮地には該当しません

理由:生命の危険がありません

判定:まだいけます

――――――――――――――――――


 まだいけません。


 全然いけていない。見ろ、あの顔を。婚約者に捨てられ、罪を着せられ、親にまで見放されたのだ。これがピンチでないなら何がピンチなのか。


 板がもう1枚出た。


――――――――――――――――――

【補足】

社交上の不利益は、窮地の判定対象に含まれません

――――――――――――――――――


「含めてくださいよ」


 小声で言った。隣に立っていた給仕が、ぎょっとして俺を見た。


「社交界で死ぬのだって死ぬうちでしょう。あなたは神様だから、人づきあいで困ったことがないんですよ」


 板が増えた。


――――――――――――――――――

【補足】

困ったことはあります

――――――――――――――――――


 あるらしい。


 あるなら分かってほしい。


「おい新入り、誰と話してる」


「上司です」


「どこの」


 答えようがなかった。


「セラフィーナ。お前は今夜のうちに、北の修道院へ行け。馬車はもう用意させてある。2度とこの街に戻るな」


 令嬢は何も言い返さなかった。


 ただ1度だけ深く礼をして、踵を返した。扉までの長い絨毯を、顔を上げたまま1人で歩いていく。客たちが波のように左右へよけていった。


 扉の前には誰もいなかった。


 侍従も、衛兵も、わざと離れている。重い両開きの扉を、彼女は自分の手で押さなければならない。


 俺は鶏を持って走っていた。


 動くな、しゃべるな、と言われたのは覚えている。足のほうが覚えていなかった。


 盆を左手に移し、右手で扉の取っ手を引く。重い。びくともしない。体力3には重すぎる。肩で押した。顔に血がのぼる。鶏が盆の上ですべる。ようやく人ひとりぶんの隙間があいた。


「お足元に、お気をつけて」


 息が切れていた。給仕の台詞としては合っていたと思う。


 令嬢は立ち止まり、俺の顔を見た。それから俺の手の鶏を見た。


 何も言わずに、小さくうなずいて出ていった。


 直後に侍従長に襟首をつかまれ、厨房まで引きずられて4回目を怒鳴られた。鶏は最後まで落とさなかったので、そこは評価してほしい。


   *


「北の修道院までは馬車で丸1日。途中に、切り立った崖の下を通る細い道がある」


 裏口で待っていたペルネッタが、地面に枝で地図を描いた。


「気になることがあってさ。お嬢様の馬車、御者が伯爵家の人間じゃなかった。見たことない顔」


「どういうことだ」


「あのお嬢様がいなくなって得する人がいるってこと。修道院に着いて手紙でも書かれたら困る人がね」


 口封じか。


 俺は鶏の盆を握りしめた。


「ところで兄さん、何でまだそれ持ってるの」


「返しそびれた」


「鶏ごと?」


「厨房に戻ったら、5回目を怒鳴られると思って」


 ペルネッタは鶏を見て、俺を見て、何も言わずに地図に戻った。


「馬車は街道を大回りする。徒歩なら山を突っ切れば、夜明け前に崖道の上に出られるよ」


「山を突っ切る」


「体力3で」


「……行く」


「鶏は」


「持っていく。夜食だ」


 ペルネッタは枝を捨てて、ため息をついた。


「あのさ。さっき扉を開けたの、見てたよ」


「怒られた」


「だろうね。あれ、スキルと関係ないでしょ」


「ない」


「じゃあ何でやったの」


「扉が重そうだった」


 彼女はしばらく俺を見ていた。それから懐から小瓶を1本出して、俺の手に押しつけた。


「回復薬。つけにしとく」


 この子がつけを認めたのは、たぶん史上初である。


   *


 山越えのことは、結果だけ書いておく。


 転がり落ちた回数、3回。


 川に落ちた回数、2回。


 回復薬を飲みきった地点、全行程の半分。


 鶏を食べた回数、0回。1回目に川へ落ちた時に流れていった。あれは俺の日当より高い鶏だったと思う。


 崖の上に這い上がったのは、東の空が白みはじめた頃だった。


 体力1。膝が笑っている。銀の盆だけはなぜか手放していなかった。鶏のいない盆を抱えて、俺は夜明けの崖に立った。


 崖の下を、細い道が通っている。高さは20mほどあるだろう。


 その道に、馬車が止まっていた。


 まわりを黒い服の男たちが囲んでいる。5人。全員が剣を抜いている。御者台の男が、馬車の扉を外から開けた。


 中から令嬢が引きずり出された。


 夜会のドレスのままだ。濃い青の髪はほどけている。地面に膝をついた彼女の前で、男の1人が剣を持ち上げた。


 令嬢は逃げなかった。


 顔を上げて、まっすぐ剣を見ていた。


――――――――――――――――――

【登場可能です】

――――――――――――――――――


 今回は待たされなかった。着いたのがギリギリだったからである。


 俺は盆を草の上に置いて、立ち上がった。


 その瞬間、背後の山の端から太陽が昇った。


 本物の太陽だ。おとといのような支給品の光の玉ではない。朝の最初の光が俺の背中に差して、長い影が崖の下まで伸びていく。


 高い所。逆光。


 全部ある。


 本物が、全部ある。


 目の前がにじんだ。32年と2日、ずっと待っていた景色が今ここにあった。前世では歩道橋がせいぜいだったのだ。それが今は崖である。20mの崖の上に、朝日を背負って立っているのである。


 ありがとうございます、女神様。ありがとうございます、太陽。


 泣いている場合ではない。


 俺は飛んだ。


 飛んでから、20mというのは体力1が飛んでいい高さではないと気づいた。発動が0.5秒遅れていたら、令嬢より先に俺が死んでいた。


   *


 着地で道がへこんだ。


 仮面はもう顔についている。背中でマントが朝の風をはらんでいる。視界は葉書1枚。それでも今日は朝なので、おとといよりはずっとよく見えた。


 よく見えたので、気づいた。


 俺の体が、燃えている。


 黒い。足元から肩まで、黒い炎がめらめらと立ちのぼっている。熱くも何ともない。けれども朝の光の中で、その黒は恐ろしいほどはっきり見えた。光を吸いこむような、底のない色をしている。


 闇より深い黒だ。


 女神様は本当に、闇より深い黒を作ってくれたのだ。色見本には1種類しかないと言っていたのに。括弧の中に雑な字で書いていたのに。


 格好いい。


 これは格好いいぞ。おとといは見えなくて損をした。俺は自分の腕を眺め、足を眺め、できれば全身を鏡で見たいと思いながら顔を上げた。


「ひっ」


 黒服の1人が剣を落とした。


「ま、魔族だ!」


「魔族が出た!」


 違う。


 御者が悲鳴を上げて馬に飛び乗り、馬車を置いて逃げていく。残った男たちは腰が引けたまま、剣の先をこちらに向けていた。


 ここで初めて、俺は自分の姿を客観的に考えた。


 角のある黒い仮面。全身から噴き出す黒い炎。崖の上から降ってきて、道をへこませた男。


 完全に悪役である。


 あの白い部屋では、格好いいとしか思わなかった。助けられる側からどう見えるかを、俺は1秒も考えていなかった。20分も熱弁しておいて、その1秒がなかった。


 落ち着いてください、怪しい者じゃありません。そう言おうとした。


「騒ぐな、羽虫ども」


 怪しい者そのものだった。


 いや違うんです。話し合いましょう。剣をしまってもらえれば、こちらも何もしませんから。


「退け。3つ数える」


 話し合う気のない台詞が出た。しかも勝手に数えはじめている。


「1」


 待て。数えるな。俺は数えるとは言っていない。


「2」


 早い。間が短い。せめてゆっくり数えてくれ。口を閉じようとしたが、顎は俺の言うことを聞かなかった。


 黒服たちは退かなかった。破れかぶれになったのか、5人まとめて斬りかかってくる。


 殺したくない。おとといの牛は魔物だったが、今日は人間だ。押したら壁まで飛ぶ。飛んだら死ぬ。加減はご自身でお願いいたします、と板にも言われた。


 息だ。息を吹くだけにしよう。誕生日の蝋燭を消すくらいの息だ。


 ふっ、と軽く吹いた。


「3」


 5人は道の端まで転がって、崖下の茂みに頭から突っこんだ。足だけが5人ぶん、茂みの上に並んで突き出ている。ぴくぴく動いているので生きてはいるらしい。


 蝋燭を消す息で、大人が5人飛ぶ。魔王は誕生日をどう祝っているのだろう。


 よかった、と言おうとした。


「……命拾いしたな」


 今回は珍しく、だいたい合っていた。


   *


 振り向くと、令嬢は地面に膝をついたままだった。


 俺を見上げている。顔は真っ白だ。それでも目はそらさなかった。


「……あなたも、わたくしを殺しに来たの」


 違います、と首を振ろうとしたが、体は腕を組んで仁王立ちしたままだった。違うと言いたい時に首も振れない体というのは、設計に問題があると思う。設計したのは俺だ。


「なら、早くなさい」


 彼女は笑った。


 笑い方を忘れた人が、無理に口の端を上げたような顔だった。


「もう構わないのよ。帰る場所もないの。信じてくれる人もいない。修道院で一生を終えるのも、ここで終えるのも、たいして変わらないでしょう」


 胸のあたりが冷たくなった。


 この人は剣を見ても逃げなかった。勇気があるからではない。逃げる理由がなかったのだ。


 駄目だ、と思った。


 前世で川に飛びこんだ時と同じだった。考えるより先に口が開いていた。


 死なないでください。もったいないですよ。


「死ぬことは許さぬ」


 自分の声に、自分で驚いた。


「貴様の命は、貴様が決めてよいほど安くはない」


 偉そうである。


 人の命について、俺は何の権利があって許すだの許さぬだの言っているのか。日当から皿代を引かれている男が言うことではない。ただ、言いたかったことからは、それほど遠くなかった。


 令嬢の目が大きくなっている。


 もう1つ、どうしても言っておきたいことがあった。


 昨日の夜会、俺もあそこにいました。あなたは何もしていないと思います。


「あの場の愚か者どもの目は節穴だ。我は見ていた」


 伯爵家の皆さんを愚か者呼ばわりしてしまった。


 日当を払ってくれる相手なのに。


 それに「我は見ていた」である。壁ぎわで鶏を持って見ていただけの男が、ずいぶん意味ありげに言ったものだ。陰からすべてを見通していたように聞こえる。実際には階段に近づくなと言われていた。


「あなた……あの場に、いらしたの」


 令嬢がよろめきながら立ち上がる。手が伸びてくる。


 答えようとした。けれども、指先がもう透けはじめていた。


――――――――――――――――――

【解決を確認しました】

【退場します】

――――――――――――――――――


 待ってくれ。まだこの人を修道院まで送っていない。馬車も御者もいないのに、こんな山の中に置いていくのか。これは解決なのか。女神様の解決の基準はどうなっているんだ。


「……達者でな」


 それは置いていく側の台詞である。


 右手から輪郭がほどけていく。黒い炎が朝日の中で細く揺らいで、マントの裾から空に散っていく。


 令嬢の指が、消えかけた俺の袖をつかもうとして、空をつかんだ。


 その時になって思い出した。


 銀の盆だ。


 崖の上に置いてきた。伯爵家の紋章が入った、あの盆を。


   *


 落ちた先は、石の床だった。


 風が強い。見回すと、すぐ横に大きな鐘が下がっている。下を見ると、グレンツの街の屋根が小さく並んでいた。


 教会の鐘楼の上である。


 初日に下見をした、あの鐘楼だ。逆光は朝しか取れないと判定した場所に、朝、転送されている。皮肉がきいている。


 追跡不能な場所、という条件は今回も守られていた。問題は、俺自身も下りられないことだ。梯子の戸には外から鍵がかかっている。


 することがないので、採点をした。


 高い所。崖、20m。10点。


 逆光。本物の朝日。10点。むしろ20点やりたい。


 到着。ギリギリ。10点。


 戦闘。息。10点。


 台詞。5点。今回は半分くらい合っていた。


 退場。10点。


 忘れ物。盆。


 生涯最高の出来である。前世の812回を全部足しても、今朝の1回にかなわない。


 俺は鐘楼の手すりにもたれて、余韻にひたった。


 正午の鐘が鳴った。


 真横で、である。


 ペルネッタが見つけてくれたのは、その少しあとだった。


「何でそんな所にいるの」


「え?」


「何でそんな所にいるの!」


「聞こえない! 鐘が!」


 梯子を下りても、耳の奥でまだ鐘が鳴っていた。彼女は指を折りながら、大きな声で報告を始めた。


「お嬢様は無事。通りかかった商人の荷車に拾われて、修道院に着いたって。茂みに刺さってた5人は衛兵が引き取った」


「よかった」


「それと、あの崖道に黒い炎の魔族が出たって、街じゅうの噂になってる」


「魔族じゃない」


「知ってるよ。あと料理長が怒ってる。銀の盆を返せって。銅貨40枚だって」


 日当は20枚。皿で10枚引かれ、紹介料で5枚引かれ、残りは5枚。


 そこから40枚を引く。


「……俺は1晩働いて、山を越えて、35枚の借金を作ったのか」


「回復薬のつけが10枚あるから45枚ね」


「鶏は」


「請求に入ってなかった。忘れてるんじゃない」


「黙っておこう」


「孤高の覇者がそれ言う?」


 俺は教会の石段に座りこんだ。


 登場は、生涯で最高だった。


 ただ1つ気がかりなのは、あの令嬢の最後の顔だ。


 消える直前、彼女は俺の袖をつかもうとしていた。あれはたぶん、文句を言おうとしたのだと思う。山の中に置き去りにされるのだから当然である。


 しかも現場には、伯爵家の紋章入りの盆が残っている。


 あれを見つけたら、彼女はどう思うだろう。


 自分を捨てた家の手先が、わざわざ追ってきたと思うのではないか。


「ペルネッタ。盆の回収を頼めるか」


「もうないよ」


「ない?」


「あのへんの猟師に聞いた。崖の上には何もなかったって。誰かが持ってったんじゃない」


 誰が、と聞く前に、彼女は肩をすくめた。


「お嬢様が荷車に乗る時、ドレスの下に平たい物を抱えてたって、商人が言ってたけどね」


「……証拠として押さえられたのか」


「そうかなあ」


「訴えられる。伯爵家の手先として訴えられる。土下座の相手が2人になった」


 ペルネッタは何か言いかけて、やめた。


 言っても20分かかると思ったのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。