第22話 勇者ルチル
剣が、間違えたのだと思う。
私の村は麦を作っている。見わたすかぎりの麦畑と、粉ひきの風車が3つ。それで全部だ。
村の広場に古い岩がある。岩には剣が1本刺さっている。いつからあるのかは誰も知らない。
秋の祭りには若い者が順番にその柄を握る。
抜くまねをして、抜けなくて、皆で笑う。そういう遊びだ。何百年もそうしてきた。抜けた者は1人もいない。だから遊びになっていた。
16歳の秋、私の番が来た。
握った。
抜けた。
するりと、鞘から抜くように。
広場が静まり返った。
私は剣を持ったまま、どうしていいか分からなかった。戻そうとした。岩の裂け目はもう閉じていた。
ひと月後に王都から迎えが来た。
聖剣の勇者、と呼ばれた。
私は麦刈りのルチルだ。鎌なら誰にも負けない。村でいちばん速く、いちばんきれいに刈る。それだけが取り柄だった。
剣など、持ったこともなかった。
*
仲間が4人ついた。
ブラムは盾を持った騎士だった。岩のように大きくて、口数が少なくて、朝は誰よりも早く起きて火をおこした。
イーダは魔法使いで、口が悪かった。私の髪を「麦わらみたい」と言って、毎晩自分の櫛でとかしてくれた。
ソルは若い僧侶で、料理がうまかった。野営の鍋で煮こみを作った。旅のあいだ、私はあれより温かい物を食べたことがない。
ケイは斥候で、私と同い年だった。足が速くて、よく笑った。
4人は私を勇者とは呼ばなかった。
ルチル、と呼んだ。
王都で、私は毎日誰かに頭を下げられていた。勇者さま、と。そのたびに胃が縮んだ。私は何もしていない。剣が抜けただけだ。
4人だけが名前で呼んでくれた。
ブラムは剣を教えてくれた。
「お前の振り方は剣じゃない。鎌だ。腰を落としすぎる。直せ」
直らなかった。10年、鎌を振ってきたのだ。体がそう動く。
「いいじゃないの、鎌で」
イーダは笑った。
「麦は倒れるんでしょ。倒れりゃいいのよ」
倒れなかった。
私の剣は藁の人形も斬れなかった。当たっても、こつんと鳴るだけだった。聖剣は光りもしなかった。
それでも4人は怒らなかった。
そのうち斬れるさ、とケイは言った。ソルは黙って、私の椀に煮こみを多めによそった。
北の峠で、あれに会った。
腕が、4本あった。
*
斧が、ブラムの盾を割った。
盾ごと、ブラムを。
槍が、イーダの胸を貫いた。私の前に立って、呪文を唱えている途中だった。血が私の外套にかかった。
鎚が、ソルを潰した。倒れたイーダに駆け寄ろうとしていた。
私は剣を振った。
泣きながら、何度も振った。
こつん。
こつん。
鎧に当たって、鳴るだけだった。あれは私を見もしなかった。
「走れ、ルチル!」
ケイが叫んだ。
私の腕をつかんで、峠の下へ突き飛ばした。そして振り返って、短剣を抜いた。
あれの4本目の腕が剣を振った。
私は走った。
走ってしまった。
転がるように峠を下りて、森に入って、足が動かなくなるまで走った。後ろは見なかった。見られなかった。
誰も、来なかった。
どこからも、誰も。
王都では毎日聞かされた。勇者には必ず助けが現れる、と。聖剣が導く、と。物語ではいつもそうだ、と。
誰も来なかった。
4人は私を守って死んだ。
勇者でも何でもない、麦刈りの娘を。
剣が間違えたせいで。
あの朝、広場で私が柄を握らなければ。順番が1つ違っていれば。4人は今も、どこかで笑っていた。
*
それから10日、歩いた。
森の中で、同じ所ばかり回っていたのだと思う。街道に出た時、振り返ると、あの峠はまだ半日ほどの所に見えていた。そこからは北へ歩いた。
なぜ北なのかは自分でも分からない。4人が向かっていた方角だったからだと思う。他に行く所がなかった。村に帰って、何と言えばいいのか。
食べられなくなった。
口に入れると、ソルの煮こみを思い出す。喉が閉じる。
グレンツという街に着いた。
門の前に人が集まっていた。花を持った子どもがいた。5人の一行を待っていたのだと、顔を見れば分かった。
1人で、ごめんなさい。
誰の顔も見ずに通った。
食堂に入った。煮こみが出てきた。
よりによって、煮こみだった。
匙が持てなかった。
「あの。勇者さん、ですよね」
向かいに知らない人が座っていた。
痩せた若い男の人だ。私より1つか2つ上に見えた。
「……そう呼ばれてる」
その人は、握手がどうとか、値打ちがどうとか、わけの分からないことを言った。それから、妙に確信のある声で言った。
「大丈夫ですよ。あなたがピンチになったら、必ず誰かが来ますから。主人公というのは、そういうものなので」
胸の中で、何かが冷たくなった。
王都の人たちと、同じことを言う。
「……来なかったよ」
言ってしまった。
その人の顔から、色が引いた。
私の外套を見ていた。イーダの血のしみを。
気づいたのだ、と分かった。この人は、今、気づいた。
怒りは続かなかった。代わりに、10日間誰にも言えなかったことが、口からこぼれた。
「私、勇者じゃないんだ。剣が、勝手に選んだだけ」
その人は、すみません、と言った。
何で謝るのと聞くと、いろいろと、と答えた。
変な人だった。
席を立つ前に、その人はもう1つだけ言った。
「選ばれただけの人が、最後に自分で選ぶんです。それまでは、誰かに持ってもらっていいと思います。剣でも、荷物でも」
持ってもらう相手は、もういない。
そう思った。
*
次の朝、街の北の丘で、あれが待っていた。
4本の腕。黒い鎧。
斧と、槍と、鎚と、剣。
ブラムを割った斧。イーダを貫いた槍。ソルを潰した鎚。ケイを斬った剣。
「聖剣の勇者というから来てみれば。小娘が1人か」
あれはつまらなそうに言った。
「仲間はどうした。ああ、あれか。峠で潰した4匹が、そうだったか」
4匹、と言った。
聖剣を抜いた。
切っ先が震えた。止まらなかった。
斬れない。分かっている。こつんと鳴って、それで終わる。
それでもいい、と思っていた。
ここで終われば、4人の所へ行ける。謝れる。剣が間違えたんだ、ごめんなさい、と。
空から、黒いものが降ってきた。
*
私とあれのあいだに人が立っていた。
黒い仮面。頭から目元までを覆って、片側にだけ角がある。黒いマントが朝の風に広がっていた。体じゅうから、黒い炎が上がっていた。
朝日がその人の後ろから差していた。
「貴様か。王と同じ匂いのする者は」
あれが言った。声の調子がさっきと違った。
斧が振り下ろされた。
ブラムを割った斧だ。
その人は指でつまんだ。
剣が来た。もう1本の指で止めた。槍も。鎚も。
両手の、指4本で。
あの4つを。
息ができなかった。
峠で、私は見ていた。あの斧がどれほど重いか。あの槍がどれほど速いか。ブラムの盾も、イーダの魔法も、何ひとつ止められなかった。
それが今、指のあいだで止まっている。
来た。
誰かが、来た。
必ず誰かが来ますから、と昨日の人は言った。私は来なかったと答えた。
来たのだ。
10日遅れて。
喉の奥が熱くなった。どうして、あの時じゃなかったの。どうして、峠じゃなかったの。
仮面が振り返った。
「今だ。斬れ」
「……え」
「遠慮は要らぬ。斬れ」
私に言っていた。
わけが分からなかった。それでも、聖剣を握って踏みこんだ。振った。
こつん。
鎧に当たって、鳴った。
峠と、同じ音だった。
あれが私を見下ろした。仮面の人も私を見ていた。
消えてしまいたかった。
「腰が入っておらぬ。足を開け」
もう1度振った。こつん。
もう1度。こつん。
あれが仮面の人に怒鳴っていた。貴様がやれ、と。この小娘の剣では日が暮れる、と。
そのとおりだ。
敵にまで、そう言われた。
「ならぬ。貴様を討つのは勇者だ」
仮面の人はそう答えた。
勇者。
その言葉が石のように落ちてきた。
手から、聖剣がすべった。
膝が地面についた。
*
「……なんで」
声が勝手に出ていた。
「なんで、自分でやらないの」
止まらなかった。
できるんでしょ。そんなの、指で止められるんでしょ。じゃあやってよ。私なんかに振らせないでよ。
私じゃ無理なんだよ。見たでしょ。当たっても切れないの。峠でもそうだった。みんな、私を守って、私が何もできないあいだに。
10日ぶんの涙がいっぺんに出た。
「勇者じゃないんだってば。剣が間違えたんだよ。最初から、あなたみたいな人が持てばよかったんだ」
それが本当の気持ちだった。
この人が、あの朝、村の広場にいればよかった。この人が柄を握ればよかった。そうすれば4人は死ななかった。私は今も、麦を刈っていた。
仮面の人は黙っていた。
4つの武器を指で止めたまま、長いあいだ、私を見ていた。
あきれられたのだと思った。
それから、声がした。
「立て」
低い声だった。
「魔王を討つのは我ではない。貴様だ」
顔を上げた。
我ではない、と言った。
山を割ると噂される人だ。あの4つを指で止めている人だ。その人が自分ではないと言っている。
お前だ、と。
剣は間違えていない、と。
そんなはずはない、と思った。
思ったのに、その声には、少しの迷いもなかった。王都の人たちが言う「勇者さま」とは違った。あの人たちは聖剣を見て言っていた。
この人は、私を見て言っていた。
こつんとしか鳴らせない私を。泣いて、剣を落として、膝をついている私を。全部見たうえで、それでもお前だ、と。
「それまでは、我が持つ」
仮面の人は続けた。
指のあいだの、斧と槍と鎚と剣を、少しも動かさずに。
「貴様は、振るだけでよい」
持つ、と。
ブラムを割った斧を。イーダを貫いた槍を。ソルを潰した鎚を。ケイを斬った剣を。
私が10日間、1人で背負って歩いてきた4つを。
この人は今、指で持っている。
それまでは誰かに持ってもらっていい、と昨日の人は言った。持ってもらう相手はもういない、と私は思った。
いた。
ここに、いた。
振るだけでいい。
振ることなら。
振ることだけなら、私は10年やってきた。
*
聖剣を拾った。
立った。
足が震えていた。構わなかった。
足を開いた。ブラムに何度も直された、あの開き方ではない。畑に立つ時の開き方だ。腰を落とす。重心を低くする。
お前の振り方は剣じゃない。鎌だ。
そうだよ、ブラム。
私は鎌しか知らない。
いいじゃないの、鎌で。麦は倒れるんでしょ。
うん、イーダ。
倒すよ。
仮面の人が指を離した。
離した、と分かった。4つの武器が同時に私へ落ちてきた。
信じてくれたのだ。
止めたままでも斬らせることはできたはずだ。それをしなかった。私が自分で刈ると信じて、手を離した。
怖くなかった。
目の前にあるのは、4本の太い茎だった。
聖剣が、光った。
白い光が手の中からあふれた。柄が温かかった。祭りの朝に握った時と、同じ温かさだった。
あの時もこうだったのだ。
剣は、間違えたのではなかった。
誰よりも速く、誰よりもきれいに刈る手を、探していただけだ。
踏みこんだ。
刈った。
ひと薙ぎだった。
手ごたえは麦と同じだった。
4本の腕が武器ごと落ちた。斧も、槍も、鎚も、剣も。地面に転がって、もう誰も傷つけなかった。
あれは信じられないという顔で私を見た。仮面の人に何か言い残して、崩れた。
私は振りきった姿勢のまま立っていた。
手を見た。
鎌を握る時と同じ、たこのある手だった。
「見事だ、勇者」
仮面の人が言った。
勇者。
その言葉が、初めて痛くなかった。
*
振り向いた時、その人の指先はもう透けていた。
待って、と言おうとした。
その人は聖剣に手を伸ばした。
ばちん、と音がして、指が弾かれた。
その人はしびれたように手を振っていた。
拒んだのだ。
聖剣が、あの人を。
あの4つを指で止めた人でも、この剣は持てない。
最初からあなたみたいな人が持てばよかった、と私は泣いた。
持てなかったのだ。初めから。
この剣は本当に私を選んでいた。そしてあの人は、それを私に見せるために、最後にわざと手を伸ばしてくれたのだと思う。
「……さらばだ」
黒い炎が朝日の中にほどけた。
丘の上には、私と、白く光る剣だけが残った。
*
街に戻って、あの食堂に入った。
煮こみを頼んだ。
匙を持った。
手は、震えなかった。
口に入れた。温かかった。ソルのとは味が違った。それでも、温かかった。
食べながら、泣いた。
10日ぶりの飯だった。椀を空にして、もう1杯頼んだ。女将さんは何も聞かずに、多めによそってくれた。ソルと同じことをした。
「鍋の人に、会ったのかい」
女将さんが言った。
「鍋の人?」
「黒い炎の。うちの常連だよ。口は悪いけどね」
「……はい。会いました」
「あの人、うちでは何も食べていかないんだよ。毎回断るんだ。あんたは、たんとお食べ」
その日のうちに、私は街を出た。
まっすぐ北の城へではなく、峠へ。
4人はあの日のままそこにいた。
1日かけて、4つの墓を掘った。聖剣で土を掘った。勇者の剣の使い方ではないと思う。それでも剣は文句も言わずに光っていた。
ブラムの盾の欠片を。イーダの櫛を。ソルの鍋を。ケイの短剣を。
1つずつ、置いた。
「斬れたよ」
声に出して言った。
「鎌の振り方で。直らなかった。ごめんね、ブラム」
風が峠を渡っていった。
「剣は、間違えてなかったって。すごく強い人が、そう言ってくれた」
4人が死んだのは、間違いのためではなかった。
私がそれを本当にしなければならない。
魔王を討つのは、私だ。
怖い。今でも怖い。あの丘で斬れたのは、あの人が4つを持っていてくれたからだ。次は持ってくれる人がいないかもしれない。
それでも、北へ行く。
今度は4人が向かっていたからではない。私が、行くと決めたからだ。
選ばれただけの人が、最後に自分で選ぶんです。
食堂の、あの変な人の言葉だ。
あの人にももう1度会いたい。
来なかったよ、と言ってしまった。あの人は青い顔をして謝っていた。
伝えなければ。
来たよ、と。
10日遅れたけれど、ちゃんと来た。あなたの言ったとおりだった、と。
峠を下りながら、私は聖剣の柄に手を置いた。
温かかった。
麦の季節が終わるまでに、魔王の城に着きたい。




