第21話 本物の主人公が来た
ばれなかった。
あの晩、ラザールさんは何も聞かずに酒をついでくれた。「次は我が奢る」と仮面で口をすべらせた直後に、同じ顔で奢りに行ったのに、である。
あの人は鋭そうに見えて、意外と抜けている。
翌朝、手配書ははがされていた。
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【王都日報 グレンツ版 朝刊】
『黒く燃えてる方(口の悪いほう)』の討伐依頼、取り下げ
黒い炎の魔族は別に存在し、すでに討たれた
届け出た賞金稼ぎは賞金の受け取りを辞退
「俺が討ったのは仇だ。金のためじゃない」
なお採石場では山が1つ割れており、石工組合は歓迎している
(記者 ヴィオレーヌ)
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ラザールさんは日当を置いていった。
銅貨30枚。橋の下の俺の寝床に、布に包んであった。書きつけが1枚ついていた。
北を見てくる。酒は、また今度だ。
30枚は手をすり抜けなかった。案内の仕事の金である。3日間、厠に立ち続けた対価だ。
「返済、30枚ね」
ペルネッタが帳面に書いた。514枚が484枚になった。
減った。借金が減ったのは、花屋の4枚以来である。
「それで、今日の情報は80枚」
「減ったぶんより多い」
「聞かなくてもいいよ。たぶん兄さんがいちばん聞きたい話だけど」
「……何だ」
ペルネッタはもったいをつけて帳面を閉じた。
「勇者が来る」
*
固いパンを落とした。
「ゆうしゃ」
「王都から。聖剣に選ばれた勇者だって。北の魔王軍を討ちに行く途中で、今日の昼にグレンツに着く」
立ち上がった。座った。もう1度立ち上がった。
白い部屋で、好きなスキルを選べると言われた時と同じだった。じっとしていられない。
「聖剣」
「うん」
「選ばれた」
「うん」
「本物じゃないか!」
橋の下に声が響いた。
「本物の主人公だ。今までのは違った。いや違わないんだが、荷物持ちも令嬢も聖女も、俺が勝手にそう見ていただけだ。今度のは公式だ。聖剣が選んでいる。世界のほうが、この人が主人公ですと決めている」
「兄さん、息して」
「32年待ったんだぞ。主人公が膝をつき、仲間が倒れ、敵が笑う。そこに現れるために、俺は転生したんだ。魔王と同じ強さにしたのも、仮面も炎も口調も、全部この日のためだ」
「80枚ね」
「払う」
借金は564枚になった。どうでもよかった。
俺は川で顔を洗い、シャツのしわを伸ばし、髪をなでつけた。
「発動したら仮面で隠れるのに?」
「心構えだ」
*
昼前から、南の門で待った。
街の人も集まっていた。勇者の一行を見ようというのである。花を持った子どももいた。
門番には見覚えがあった。初日に俺を10秒で通した人によく似ている。向こうも変なやつの顔は覚えるものらしく、目が合うと槍を持ち直した。
「今日は何だ」
「主人公を待っています。説明していいですか。まず前提として」
「いい。立っててくれ。黙って」
3秒だった。記者の5秒を抜いて、記録が更新された。
俺は頭の中で、段取りを確かめていた。
勇者には仲間がいる。剣士と、魔法使いと、僧侶と、あと1人くらい。5人組が基本だ。主人公は先頭を歩く。明るい顔をしているか、影のある顔をしているか、どちらかである。
最初の出会いでは、俺は名乗らない。
ピンチに現れ、敵を退け、「まだ未熟だな」と一言だけ残して去る。勇者は俺の背中を見送って「今のは、いったい」とつぶやく。次に出てくるのは10話後だ。
完璧である。
念のため、ないマントを払っておいた。
「ばさっ」
隣の子どもが花を持ったまま俺を見上げた。それから母親の後ろに隠れた。本番前の客の反応としては、兎より悪い。
昼すぎに、街道の向こうに人影が見えた。
1人だった。
小柄な影がゆっくり歩いてくる。旅の外套のフードをかぶっている。背中に、体に合わない長い剣を背負っていた。鞘が地面をこすりそうである。
門の前の人だかりがざわついた。
「あれか?」
「1人だぞ」
「一行は5人と聞いたが」
仲間は後から合流する型だ、と俺は思った。そういう回もある。
影が門をくぐった。
フードの下の顔が見えた。
女の子だった。
15〜16歳くらいだろうか。麦色の髪を肩で切っている。そばかすがあった。目の下に濃いくまがあった。頬がこけていた。外套の裾は破れて、乾いた泥と、泥ではない黒っぽいしみがついていた。
花を持った子どもが、渡しそびれて立ちすくんだ。
女の子は誰の顔も見ずに、人だかりのあいだを通っていった。
背中の剣だけが白く光っていた。
*
後をつけた。
お助けキャラが主人公をつけ回すのはどうかと思うが、下見である。
女の子はいちばん近い食堂に入った。
鍋の女将さんの店だった。
俺は少し離れた席に座った。ペルネッタにもらった経費で、水を頼んだ。
女の子の前に、煮こみの椀が置かれた。
食べなかった。
匙を持った。口に運ぼうとした。手が震えて、こぼれた。もう1度すくった。同じだった。匙を置いて、椀を両手で包んで、湯気を見ていた。
採点をしようとした。
聖剣。本物。10点。
出自。村娘らしい。10点。主人公は辺境の村から出る。
仲間。いない。
表情。
採点が、止まった。
声をかけてはいけない。お助けキャラは主人公と馴れ合わない。素顔で話しかけるなど、もってのほかである。
気がつくと、向かいに座っていた。
「あの。勇者さん、ですよね」
女の子が顔を上げた。
疲れた目だった。
「……そう呼ばれてる」
「握手してもらっても、いや、握手は駄目だ。馴れ合うと値打ちが」
「何?」
「何でもないです」
何をしているのだ俺は。
言うべきことを探した。励ましたかった。励ます資格のある言葉が、1つしかなかった。
「大丈夫ですよ」
「何が」
「あなたがピンチになったら、必ず誰かが来ますから。主人公というのは、そういうものなので」
女の子は俺を見た。
長いこと見ていた。
「……来なかったよ」
小さな声だった。
俺は口を閉じた。
外套のしみをもう1度見た。泥ではない黒っぽいしみを。
仲間は、後から来るのではなかった。
「私、勇者じゃないんだ」
女の子は椀に目を戻した。
「剣が、勝手に選んだだけ。村の祭りで、抜けるはずのない剣が抜けちゃって。それだけ。私は麦を刈ってた。剣なんか、持ったこともなかった」
主人公はみんなそう言うんです。
言いかけて、やめた。
それは、型の話だ。
目の前の子は匙が持てないほど震えている。
朝、俺は橋の下で叫んだ。本物の主人公だと。32年待ったと。主人公が膝をつき、仲間が倒れ、敵が笑う、そこに現れるために転生したのだと。
仲間が倒れる、と俺は嬉しそうに言ったのだ。
倒れたのである。この子の仲間は。
「……すみません」
「何で謝るの」
「いろいろと」
女の子は少しだけ口の端をゆるめた。変な人、という顔だった。
俺は席を立った。立つ前に、1つだけ言った。型の話ではなく、言いたくて言った。
「選ばれただけの人が、最後に自分で選ぶんです。それまでは、誰かに持ってもらっていいと思います。剣でも、荷物でも」
なぜそんなことを言ったのか、自分でも分からなかった。迷宮の少年の顔が浮かんでいた。
女の子は何も答えなかった。
店を出る時、女将さんが小声で言った。
「あの子、ここへ来る前の宿場でも食べられなかったそうだよ。もう10日近くだって」
*
板が出たのは、次の日の朝だった。
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【登場可能です】
対象者:勇者1名
理由:12分後に敗北する見込みです
場所:北の街道、1つ目の丘
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12分後。
今すぐ行ける。行けば、12分前に着く。
走り出して、足が止まった。
待て。
主人公の戦いだ。
お助けキャラが12分前に現れて、敵を指で弾いて終わらせたら、どうなる。あの子は何もしていないことになる。聖剣を抜くこともなく、自分が何者なのかも分からないまま、助けられただけで終わる。
ギリギリに現れるのには、意味があったのだ。
主人公が全力を出しきり、それでも届かなかった所へ来るから、主人公の戦いは主人公のものになる。
早く助けさせてください、と俺は女神様に頼んだ。じいさんを6時間待たせたくなくて。
それは正しかった。今でもそう思う。
けれども、主人公には主人公の見せ場がある。
どうすればいい。
早く行けば、見せ場を奪う。遅く行けば、あの子はまた、誰も来なかったと思う。
来なかったよ、と言った声が耳に残っていた。
走った。
着いてから考える。俺の人生は、だいたいそれである。
*
丘の上にあの子がいた。
聖剣を抜いている。両手で握って、切っ先が震えていた。
向かいに腕が4本ある巨人が立っていた。
黒い鎧を着ている。関門に来た軍勢と同じ鎧だ。4本の腕に、剣と斧と槍と鎚を1つずつ持っていた。
「聖剣の勇者というから来てみれば」
巨人はつまらなそうに言った。
「小娘が1人か。仲間はどうした。ああ、あれか。峠で潰した4匹が、そうだったか」
あの子の肩が跳ねた。
高い所。丘の横に岩がある。3回落ちて登った。朝日は背中だ。
飛んだ。
*
2人のあいだに着地した。
12分前である。まだ1太刀も交わしていない。
巨人が目を見開いた。
「貴様か。王と同じ匂いのする者は」
有名になっている。
どんな匂いなのかは気になった。灰色の男にも同じことを言われている。豚小屋と肥料置き場には落ちたが、あれは洗ったはずだ。
背中で、あの子が息をのむのが聞こえた。
さて。
倒してはいけない。倒すのはこの子だ。けれどもこの子を死なせてもいけない。
手加減だ。
転生してから1度も成功していない、あの手加減である。花束を置いた時だけできた。相手は花束だった。
巨人の斧が来た。指でつまんだ。
ここで折ってはいけない。折ったら見せ場がなくなる。つまんだまま、止めておくだけにした。
剣が来た。もう1本の指でつまんだ。槍も、鎚も。
4本の腕の武器を、両手の指4本でつまんで止めた。
巨人が押す。動かない。引く。動かない。
後ろを振り返った。
今です。どうぞ!
「今だ。斬れ」
あの子は聖剣を握ったまま固まっていた。
「……え」
え、ではない。隙だらけである。4本とも止めてある。こんなにお膳立てのいい敵はいない。
遠慮しないで。
「遠慮は要らぬ。斬れ」
あの子はおそるおそる踏みこんだ。聖剣を振った。
こつん、と鎧に当たった。
巨人があの子を見下ろした。
あの子が巨人を見上げた。
俺は2人を見ていた。
気まずい沈黙が流れた。
腰が入っていない。あれでは麦も刈れない。いや麦は刈っていたはずだ。そうか、鎌と剣は振り方が違うのか。
もう少し腰を入れて。足を開いて。
「腰が入っておらぬ。足を開け」
指導になった。
助けに来た男が、敵の武器を全部つまんだまま、主人公に剣の振り方を教えている。
あの子はもう1度振った。こつん。
3度目。こつん。
「おい」
巨人が俺に言った。
「何のつもりだ」
答えようがない。
「貴様がやれ。この小娘の剣では日が暮れる」
敵に急かされた。
駄目です。あなたを倒すのはこの子なので。
「ならぬ。貴様を討つのは勇者だ」
「ふざけるな! 殺すならひと思いに殺せ!」
敵に命乞いの逆をされた。
押さえつけられたまま小娘につつかれ続けるのは、魔王軍の将としては耐えがたいらしい。気持ちは分かる。
後ろで、音がした。
聖剣が地面に落ちた音だった。
*
あの子は膝をついていた。
両手がだらりと下がっている。顔はうつむいて、見えなかった。
「……なんで」
かすれた声だった。
「なんで、自分でやらないの」
肩が震えていた。
「できるんでしょ。そんなの、指で止められるんでしょ。じゃあやってよ。私なんかに振らせないでよ」
顔が上がった。
泣いていた。
「私じゃ無理なんだよ。見たでしょ。当たっても切れないの。峠でもそうだった。みんな、私を守って、私が何もできないあいだに」
声が途切れた。
「勇者じゃないんだってば。剣が間違えたんだよ。最初から、あなたみたいな人が持てばよかったんだ」
胸が痛かった。
俺は何をしていたのか。
見せ場を奪わない、と思っていた。主人公の戦いは主人公のものだ、と。
この子は見せ場などほしくなかったのだ。
ただ、怖かった。10日も飯が食えないほど。
それを俺は、斬れだの、腰が入っていないだのと。
全部やめて、指に力を入れようかと思った。4本の腕ごと、丘の向こうへ投げてしまおうかと。
できなかった。
それをやったら、この子は一生「私じゃ無理だった」と思って生きていく。剣が間違えた、と。守られただけだった、と。
仲間の人たちはこの子を守って死んだ。
間違いだった剣のために死んだことに、してはいけない。
言葉を探した。型の言葉ではないものを。
ここは、君の見せ場だから。
違う。そうじゃない。
君にしかできないんだ。俺は魔王と同じ強さで、魔王には絶対に勝てない。そう注文した。最後に魔王を倒せるのは、俺じゃない。
「立て」
声が出た。
「魔王を討つのは我ではない。貴様だ」
あの子が俺を見上げた。
もう1つ、言わなければならなかった。
昨日、食堂で言ったことだ。素顔で言って、何の力もなかった言葉を。
それまでは、誰かに持ってもらっていい。
「それまでは、我が持つ」
4本の武器を、指でつまんだまま、そう言った。
「貴様は、振るだけでよい」
*
あの子は聖剣を拾った。
立った。
足は震えていた。それでも、さっきより開いていた。
目が変わっていた。
俺ではなく、巨人を見ていた。峠で4人を潰した、4本の腕を。
指を離すべきだと思った。
押さえたままの敵を斬らせても、この子の中には何も残らない。最後の1太刀だけは、本物でなければならない。
怖かった。
離せば、4本の腕があの子に落ちる。間に合わなければ、死ぬ。
それでも、離した。
斧と剣と槍と鎚が同時に振り下ろされた。
聖剣が、光った。
白い光だ。背中の俺の光の玉など、比べものにならない。
あの子は踏みこんで、振った。
麦を刈る振り方である。
腰が、入っていた。
4本の腕が、武器ごと、ひと薙ぎで落ちた。
巨人は、自分の肩を見て、あの子を見て、信じられないという顔をした。それから俺を見た。
「……王が、お待ちだ。北の城へ来い。同じ匂いの者よ」
それだけ言って、崩れた。
あの子は、聖剣を振りきった姿勢のまま、立っていた。
肩で息をしていた。自分の手を見ていた。
お見事。
本当に、お見事でした。
「見事だ、勇者」
今度は、直す所がなかった。
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【解決を確認しました】
【退場します】
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あの子が振り向いた。
何か言おうとしていた。俺の指先はもう透けていた。
聖剣を近くで見たかった。
32年あこがれた本物の聖剣である。最後に1度だけ、と手を伸ばした。
ばちん、と弾かれた。
聖剣は勇者以外を拒むらしい。魔王と同じ強さの指がしびれた。
さすが、本物である。
「……さらばだ」
しびれた指を振りながら、俺は丘の上から消えた。
*
落ちた先は、麦畑だった。
刈り入れ前の、金色の畑である。穂が顔に当たった。
向こうから、鎌を持った人が走ってきた。
この世界では、農家は鍬を、漁師は櫂を、パン屋は麺棒を持って走ってくる。麦の時期の農家は、鎌である。
逃げながら、採点をした。
しようとして、やめた。
高い所が何点、逆光が何点。そういうことを数える気になれなかった。
橋の下に戻ると、ペルネッタが待っていた。
「どうだった、本物の主人公」
「……思ってたのと、違った」
「強くなかった?」
「強かった。最後は、すごく」
俺は火のそばに座った。
「震えてたんだ。飯が食えてなかった。仲間が、みんな死んでた」
ペルネッタは黙って聞いていた。
「俺はずっと、主人公だ主人公だと言ってきた。仲間に見捨てられたら主人公の始まりだとか、罪を着せられたら主人公だとか。嬉しそうに」
「言ってたね」
「あれは、その人のいちばんつらい日だったんだな」
火がはぜた。
「知ってたよ」
「え?」
「兄さんが、口ではそう言うけど、行ったらちゃんと相手の顔を見てること。あたしは知ってた」
彼女は枝で火をつついた。
「でも、自分で気づいたんなら、よかったんじゃない」
しばらく、2人で黙っていた。
「それより兄さん。あの勇者、兄さんを探しはじめたよ」
「……やっぱりか」
「何したの」
「斬れと言った。腰が入っていないと言った。足を開けと言った。泣かせた」
「ひどいね」
「ひどい。土下座の列に、勇者が加わった」
「そうかなあ」
ペルネッタは帳面を開きかけて、閉じた。
いつもなら、ここで次の情報の値段を言う。
今日は、言わなかった。
「兄さん。1個、ただで教えとく」
ただ、という言葉を、この子の口から聞いたのは初めてだった。
「昨日から、知らない連中が街の情報屋を回ってる。金貨をばらまいてる。黒い炎の仮面は普段どこにいるのか、誰と一緒にいるのかって」
火の向こうで、緑色の目がこちらを見ていた。
「あたしの所にも、来たよ」




