第2話 孤高の覇者、スライムに負ける
目を開けると草原だった。
空が青い。雲が白い。遠くに石造りの街が見えていて、その向こうには雪をかぶった山が連なっている。どこからどう見ても異世界である。
俺は自分の手を見た。皮膚に張りがある。腹も出ていない。32歳の体ではなく、高校生くらいまで若返っているらしい。
服は麻のシャツに茶色のズボンだった。どこの村にもいそうな格好である。
背中に手を回してみた。マントはない。仮面も炎もない。あれらは全部、発動した時にだけ出てくる約束だ。
つまり今の俺は、ただの村人である。
それでいい。普段は目立たず、いざという時にだけ姿を変える。それがお助けキャラの正しいあり方だ。
こうなると、やることは1つしかない。
練習だ。
俺は近くの小さな岩に登った。高さは膝くらいだが、高い所には違いない。太陽の位置を確かめて、背中に来るように向きを変える。腕を組む。顎を少し引く。
右手で、ないマントを払った。
「ばさっ」
音は口で言った。
「……遅かったか」
声に出してみた。
いい。すごくいい。前世では風呂場でしか言えなかった台詞が、異世界の風の中に溶けていく。
「見ていられんな」
これもいい。
「勘違いするな。貴様を助けたわけではない」
最高である。
観客は、草むらから顔を出している兎が1羽だった。兎は3秒ほど俺を見て、何事もなかったように草を食べはじめた。初めての登場にしては、客の反応が薄い。
まあいい。本番ではないのだ。俺は気を取り直して、頭の中で念じてみた。こういう世界にはあれがあるはずである。
目の前に、半透明の板が浮かんだ。
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【ステータス】
名前:ジン
年齢:17歳
体力:3
魔力:0
スキル:《常闇に君臨せし孤高の覇
状態:待機中
所持金:銅貨30枚(転生者支度金)
備考1:参考までに、一般的な村人の体力は10です
備考2:スキル名が長いため、表示が1行に収まりません
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備考はどう考えても女神様の字だった。
「収めてくださいよ!」
板に向かって叫んだ。兎が逃げた。
いちばん大事な所で切れている。「覇」で終わっている。覇の何なのか分からない。あれだけ悩んで決めた名前が、表示の都合で途中までしか出ないとはどういうことか。
板の下に、もう1行浮かんできた。
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備考3:長い名前をご希望になったのは、あなたです
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ぐうの音も出ない。
それに体力3である。村人の3割だ。注文どおり「村人未満」だが、未満にもほどがあると思う。7割引きである。
それでも俺は満足していた。体力3の横に「常闇に君臨せし孤高の覇」と書いてあるのだ。途中で切れていても迫力が違う。
さて、まずは街だ。
岩から下りようとして足をすべらせ、尻から落ちた。体力が2になった。
まだ何とも戦っていない。
*
歩き出した俺の前に、ぷるんとした青いものが跳ねてきた。
スライムである。
大きさはバケツくらい。目も口もなく、透き通った体の中で泡が1つ浮いたり沈んだりしている。異世界の最初に出てくる、あのいちばん弱いやつだ。
ちょうどいい。平時の実力を確かめておこう。
俺は落ちていた木の枝を拾って構えた。スライムがぷるんと震える。
こういう時は、まず口上である。
「俺の名はジン。常闇に君臨せし孤高の覇者にして、誰かの窮地にのみ現れる漆黒の」
スライムが跳んできた。
口上の途中で、である。
腹に当たった。柔らかいのに重い。水の入った袋で殴られたような衝撃があって、俺は枝を落とした。
「待て。名乗りの途中だ。礼儀というものが」
もう1発来た。今度はすねだ。
ここは1度、間合いを取り直すべきだ。
俺はないマントを払って、スライムに背を向けた。強者は敵に背中を見せるものである。背中で語るのだ。
背中に3発目が来た。
俺は草の上に倒れていた。
空が見える。青い。その視界のすみで、スライムが俺の胸の上に乗って上下に跳ねている。跳ねるたびに息が詰まる。
「ちょ、待っ、重い、すみません」
謝ってしまった。
スライムに謝ってしまった。しかも異世界に来て初めて口にした「すみません」である。お助けキャラがいちばん言ってはいけない言葉を、いちばん弱い魔物に向かって言った。
スライムは20回ほど跳ねたあとで飽きたらしく、ぷるんぷるんと草むらへ帰っていった。
目の前に板が浮かんだ。
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【戦闘結果】
結果:敗北
相手の損害:なし
戦闘時間:2分10秒(うち1分50秒は、相手が上で跳ねていた時間です)
現在の体力:1
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内訳まで書かなくていいと思う。
負けた。
常闇に君臨せし孤高の覇者は、転生して10分でスライムに負けた。しかも向こうは勝ったとも思っていない。飽きて帰っただけである。
俺は寝転んだまま、今の戦いを振り返った。
登場、なし。口上、未完。決め台詞、「すみません」。
ただ、倒れ方は悪くなかったと思う。仰向けで、片手を空に伸ばしていた。あれは絵になる。強敵に敗れた男の倒れ方である。
相手がスライムだったことだけが惜しい。
*
街までの道で、荷車に2回轢かれかけた。
「どこ見て歩いてやがる!」
「すみません!」
2回目の「すみません」である。
「道の真ん中で腕組んで突っ立ってんじゃねえ!」
「すみません、ちょっと山を見てまして」
3回目。
山を見ていたのは本当だ。あの峰の上に立ったら逆光がどう入るかを考えていたら、後ろから馬が来ていた。
街の名前はグレンツというらしい。
門には槍を持った門番が立っていた。
「止まれ。名前と職業は」
「ジンです。職業は、お助けキャラです」
「何だそれは」
「ご存じない!」
門番が1歩下がった。
「説明していいですか。まず前提として主人公というのは負けるんです。負けないと話が進まないので必ず」
「いい。通れ」
「まだ基本編にも入ってないんですが」
「通ってくれ。頼む」
通された。
女神様は20分聞いてくれたのに、門番は10秒だった。あの人がどれだけ我慢強かったのか、今になって分かる。
門番は俺の背中を見送りながら「変なやつは通すなと言われてるんだが」とつぶやいていた。通したあとで言わないでほしい。
石畳の大通りに露店が並んでいる。焼いた肉の匂いがする。行き交う人の中には、剣を背負った男や杖を持った女もいる。冒険者だ。本物の冒険者である。
あの中に、主人公がいるかもしれない。
そう思うと胸が熱くなった。
俺は通りの端に立って、道行く人を1人ずつ見ていった。
赤い髪の少年。大剣を背負っている。主人公らしさは高い。ただし仲間が5人もいて全員が笑っている。あれは当分ピンチにならない。
フードをかぶった銀髪の少女。訳ありの雰囲気がある。期待できる。と思ったら露店で串焼きを3本買って幸せそうにしていた。平和である。
片目に傷のある大男。あれは主人公ではない。どちらかというと俺と同じ側だ。商売敵かもしれないので顔を覚えておく。
ついでに街の高い所も確かめた。
時計台。高さは申し分ないが、登る階段が見当たらない。教会の鐘楼。逆光は朝しか取れない。宿屋の屋根。低いが足場がいい。酒樽の山。論外だが、いざという時は使える。
前世でもよくやった。駅前の歩道橋は夕方がいちばんいい、というようなことを俺は全部覚えていた。
通りがかりの冒険者に声をかけてみる。
「すみません。近いうちにピンチになるご予定はありますか」
「は?」
「仲間に裏切られるとか、強敵に囲まれるとか」
「縁起でもねえこと言うな!」
追い払われた。4回目の「すみません」だった。
主人公のピンチというのは予告なしに起こる。前世では自分の足で探し回ったが、あれは体力のある32歳だからできたことで、体力1の17歳には荷が重い。
どうしたものかと考えながら歩いていると、路地の奥から声が聞こえてきた。
「だから、金は返さないって言ってるでしょ」
子どもの声だ。
続いて低い男の声がした。
「ガセを売っといて、その口のきき方か」
「ガセじゃない。あんたらが行くのが3日遅かっただけ」
俺は足を止めた。
路地をのぞくと、突き当たりの壁を背にして女の子が立っている。14〜15歳くらいだろうか。くすんだ赤毛を短く切って、体に合っていない大きな上着を着ている。その前を、大人の男が2人でふさいでいた。
片方が女の子の襟首をつかんだ。
来た。
ピンチだ。転生初日にして、いきなりのピンチである。
*
俺は路地の入り口でまわりを見回した。
高い所。高い所はないか。屋根は無理だ、登れない。樽がある。酒樽の山は論外だと10分前に判定したばかりだが、いざという時が思ったより早く来た。
樽に手をかけた。
すべって落ちた。
2回目。足をかけたところで樽が転がり、俺も転がった。大きな音がした。
路地の奥が静かになっている。
見ると、男2人と女の子が、そろってこちらを向いていた。襟首をつかんだ手もそのままである。
「……何やってんだ、あれ」
「知らない」
女の子が答えた。脅されている最中とは思えない、冷めた声だった。
気にしないでほしい。今、準備中なのである。
「続けててください。すぐ行きますから」
「何をだよ」
3回目も落ちた。
4回目で、ようやく樽の上に立った。膝が震えている。太陽の位置を確かめる。背中側だ。逆光になっている。腕を組む。顎を引く。
条件は揃った。
あとは仮面と炎が出て、俺の口が勝手に偉そうなことを言うのを待つだけである。
待った。
何も出ない。
もう少し待った。仕方がないので、ないマントをもう1度払ってみた。路地の3人は、まだ俺を見ている。
目の前に板が浮かんだ。
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【判定結果】
対象者の状況:窮地には該当しません
理由:対象者は自力での解決が可能です
判定:まだいけます
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「まだいけます、じゃないんだよ!」
声に出してしまった。
「襟首つかまれてるでしょうが! 大人2人ですよ! どこをどう見たらいけるんですか!」
板は答えない。代わりに下に1行増えた。
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補足:この表示はご本人以外には見えません
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路地の3人から見ると、俺は樽の上で何もない空中に向かって怒鳴っていることになる。
「……おい、あいつ誰と話してる」
「知らないってば」
しまった。完全に登場してしまった。
スキルは出ていない。仮面もない。炎もない。体力は1である。それでも樽の上に立って全員の注目を集めてしまった以上、これはもう登場だ。お助けキャラは、登場した場面から黙って帰ったりしない。
俺は息を吸った。
「その子から、手を離せ」
言えた。第一声で「すみません」と言わずに済んだ。素の俺にしては上出来である。
樽から降りようとして足を踏み外し、石畳に肩から落ちた。
「すみません、今のなしで」
5回目だった。
*
そのあとのことは、あまり格好よく語れない。
殴られた。
1発目で転がり、立ち上がって2発目をもらい、また立ち上がって3発目で壁まで飛んだ。体力1の体は、殴られるたびに紙くずのように転がった。
それでも俺は、女の子と男たちの間に戻った。
理由は単純で、殴られているうちにスキルが出ると思ったからである。俺がここまでやられているのだ。これがピンチでなくて何なのか。
板が浮かんだ。
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【判定結果】
対象者の状況:変化なし
補足:なお、ご本人の窮地は対象外です
判定:まだいけます
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そうだった。
自分のピンチでは絶対に発動しないように、と言ったのは俺だ。二重線まで引かせた。あの時の俺は実に格好よかったが、今の俺としては1発殴ってやりたい。もう十分殴られているけれども。
「おい、こいつ何なんだ」
「知らねえよ。お前の知り合いか」
男が女の子に聞いた。女の子は首を横に振った。その顔が、何か理解できないものを見るようにこわばっている。
「どけ。お前に用はねえんだ」
「どかない」
「何でだよ」
「登場したからだ」
「何を言ってんだお前は」
4発目が来た。
倒れながら、俺は気づいた。
今の「どかない」は良かった。短くて、迷いがなくて、お助けキャラらしい。惜しいのは声が裏返ったことである。
立ち上がった。
「すまん。今のをもう1回やらせてくれ」
「は?」
「『どかない』のところだ。声が裏返った。あんたの『どけ』からもう1回頼む」
男たちは顔を見合わせた。
「……どけ」
言ってくれた。意外と付き合いがいい。
「どかない」
今度は決まった。
5発目が来た。それはそれとして殴るらしい。
倒れた拍子に、口から飛んだ血が男の袖にかかった。
「あ、すみません。汚して」
「何で謝るんだよ! 気味が悪いんだよお前!」
6回目の「すみません」を、殴っている相手に言ってしまった。
前世では812回、誰かを助けてきた。ただしそのほとんどは、財布を拾うとか道を教えるとかいったものだ。殴られて助けたことは1度もない。
痛い。普通に痛い。泣きそうである。
板がまた出た。
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【判定結果】
判定:まだいけます(3回目)
補足:何度ご確認いただいても、結果は同じです
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確認していない。勝手に出ているのだ。
それでも立った。
足が震えている。口の中は鉄の味がした。男たちが気味悪そうに1歩下がる。
「……何で立つんだ、こいつ」
「立たないと、後ろが見えるだろ」
自分でも何を言っているのか分からなかった。たぶん、俺が倒れたらあの子が丸見えになる、と言いたかったのだと思う。
男が拳を振り上げる。
その顔に、横から白い粉が飛んだ。
「ぶっ」
男が目を押さえてうずくまる。もう1人の顔にも粉の袋が命中した。2人そろって盛大にくしゃみを始める。
誰かが俺の手首をつかんだ。
「走って!」
女の子だった。
助けに来た相手に、手を引かれて逃げている。
お助けキャラの退場は、誰にも追えないほど鮮やかでなければならない。俺の初めての退場は、14〜15歳の女の子に引きずられながら、3歩ごとにつまずくというものだった。
*
路地を3つ抜けて、橋の下まで来たところで俺は倒れた。
走ったのは100mくらいだと思う。体力1にしては頑張ったほうである。
女の子は息も切らさずに、俺の顔をのぞきこんでいた。緑色の目が、呆れと警戒を半分ずつ浮かべている。
「兄さん、ばかなの?」
「……初対面で」
「ばかでしょ。あたし、胡椒の袋を4つ持ってた。あんなの1人で逃げられたんだよ」
判定は正しかったわけだ。
対象者は自力での解決が可能です。女神様の基準は、どうやら俺よりずっと冷静らしい。つまり俺は、何の必要もないのに殴られたことになる。
「じゃあ、何ですぐ投げなかったんだ」
「投げようとしたら、樽に登ろうとして落ちてる変なのがいたから。見ちゃうでしょ、あんなの」
「見ないでくれ」
「4回も落ちたら見るよ。あいつらも見てたし」
ぐうの音も出ない。
「で、何で入ってきたの。あたしのこと知らないよね。金にもならないよ」
「困ってるように見えた」
「それだけ?」
「それだけだ」
女の子は黙った。
しばらく俺の顔を見ていて、それから視線を俺の背中にずらした。
「あと、さっきから何。その、肩のとこを手で払うやつ」
「マントを払っている」
「マントないよ」
「今はない」
「今は?」
「いずれ出る。その時に慌てないように、普段から払っておくんだ」
「……殴られすぎた?」
「殴られる前からだ」
女の子は口を半分開けたまま、何か言いかけてやめた。代わりに上着のポケットから布きれを出して、俺の口元に押しつける。血をふけということらしい。乱暴だが、布はきれいだった。
「名前は」
「名乗るほどの者じゃない」
これは言えた。前世から数えて813回目にして、ついに本物の場面で言えた。地面に寝転がって鼻血をふきながらではあるが、言えたことに変わりはない。
「ふうん。じゃあ『樽の人』って呼ぶ」
「ジンだ」
2秒で名乗ってしまった。樽の人はさすがに嫌だった。
「あたしはペルネッタ。情報屋」
「情報屋」
「見習いだけどね。どこで誰が何をしてるか、誰が困ってて誰が儲けてるか。そういうのを集めて売ってる」
俺は寝転んだまま目を見開いた。
誰が困っているかを、知っている。
「ペルネッタ」
「何?」
「これからピンチになりそうな人間の話って、売ってるか」
ペルネッタは眉をひそめた。
「何それ。人の不幸で儲ける気?」
「逆だ。助けに行く」
「その体で?」
「この体では行かない。いや、行くのはこの体なんだが、着いてからが違う」
「何が違うの」
「説明していいか。まず前提として主人公というのは負けるんだ。負けないと話が進まないので」
「長い?」
「20分」
「じゃあいい」
門番より判断が早かった。
ペルネッタは俺を頭のてっぺんから足の先まで眺めた。腫れた顔。震えている膝。元気なのは口だけである。どう見ても信用できる男ではない。
それなのに、彼女は小さく息を吐いて言った。
「1件につき銅貨5枚」
「買う」
「まだ何も言ってないよ」
「買う」
「値切らないの?」
「お助けキャラは値切らない」
「知らないよ、そんな決まり」
銅貨30枚のうち5枚が消えた。支度金というのは、たぶんこういう使い方をするものではない。
ペルネッタは銅貨を数えてしまいこみ、声を落とした。
「北の迷宮に、今朝『鉄の牙』ってパーティーが潜った。腕はいいけど評判が悪い。荷物持ちの子を1人連れてるんだけど、その子の扱いがひどいって、前から噂になってる」
「ひどい、というと」
「深い階で魔物に囲まれたら、荷物持ちを置いて逃げる。そういうことを平気でやる連中」
俺は起き上がっていた。
体じゅうが痛い。それなのに胸のあたりだけが、女神様の前にいた時と同じくらいうるさい。
仲間に見捨てられ、迷宮の底にたった1人で残される少年。
それは、主人公の始まり方だ。
「ペルネッタ。北の迷宮って、どっちだ」
「行くの? 今から? その顔で?」
「顔は現地で隠れる」
「何言ってるのか1個も分かんない」
彼女は呆れきった顔で北を指さした。そのくせ、俺が立ち上がってふらつくと、黙って肩を貸してくれた。
誰にも頼らず1人で現れて1人で去る。それが孤高の覇者である。
14〜15歳の女の子の肩につかまって歩きながら、俺はその言葉の意味をもう1度考え直していた。
「兄さん、重い。あと歩きながら腕組まないで。支えにくい」
「すみません」
7回目だった。
*
——同じ頃、転生課では。
女神は、机の上に届いたばかりの記録を読んでいた。
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【転生者ジンの記録 第1日】
スライムとの交戦:1件(敗北)
荷車との接触未遂:2件
門番への熱弁:1件(10秒で打ち切り)
スキル発動:0件
判定への異議申し立て:1件(口頭、樽の上にて)
「すみません」の使用:7回(うち1回はスライムに対して)
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女神は額に手を当てた。
それから記録の最後の行に目をとめて、少しだけ首をかしげた。
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窮地に該当しない者をかばって負傷:1件
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「……スキルが出ないと分かっていて、なぜ立ったのでしょう」
答える者はいない。
女神はその行に、小さく丸をつけた。




