第1話 ご注文は以上でよろしいですか
主人公になりたいと思ったことは1度もない。
子どもの頃からそうだった。友達がみんな赤い服の主人公に夢中になっている横で、俺だけは別の男を見ていた。
主人公が膝をつく。仲間も倒れる。敵が高笑いをして、もう駄目だと誰もが思う。
その瞬間に現れる男だ。
だいたい高い所に立っている。だいたい逆光で顔が見えない。風もないのにマントがなびいていて、敵に向かって二言三言だけ偉そうなことを言う。それから信じられない強さで全部を片づけて、礼を言われる前にいなくなる。
次に出てくるのは10話くらい先だ。
あれがいい。あれになりたい。
毎週出てきて悩んだり成長したりするのは主人公に任せておけばいいのであって、俺は年に数回だけ現れて全部持っていく側に回りたかった。
ところが現実には、敵の高笑いも絶体絶命の主人公もなかなか転がっていない。
仕方がないので身の回りのピンチで練習することにした。
落とした財布を拾って追いかける。渡した瞬間に走って消える。
迷子の手を引いて交番の前まで連れていく。警官がこちらを見る前に角を曲がる。
終電を逃して途方に暮れている学生に、タクシー代を握らせて夜の闇に溶ける。これは翌月の食費にかなり響いたのでおすすめしない。
礼は受け取らない主義だ。名前も名乗らない。お助けキャラというのはそういうものだからである。
おかげで32歳になるまで、俺の名前を覚えている人間は職場の経理担当くらいしかいなかった。
そして最後のピンチは、増水した川だった。
子どもが流されているのを見つけて、考える前に飛び込んでいた。岸まで押し上げたところまでは覚えている。泣き声が聞こえたから、たぶん間に合ったのだろう。
ただ1つだけ心残りがある。
俺は橋の上から、逆光を背負って飛び込んだのだ。登場としては生涯でいちばんの出来だった。それなのに退場のほうは、ただ流されただけである。
登場が決まって退場が決まらない。
お助けキャラとしては三流の最期だった。
*
「戸波迅さん。32歳。死因は溺死」
気がつくと、白い部屋で事務机の前に座っていた。
机の向こうには女の人がいる。銀色の長い髪に白い衣、背中には光の輪。どこからどう見ても女神様だ。そして机の上には書類が山になっている。
山の高さがすごい。女神様の顔が半分しか見えない。
「転生課です。お疲れさまでした」
「転生課」
「はい。あなたのような方の、次の行き先を担当しております」
女神様は書類を1枚めくった。声に疲れがにじんでいる。たぶん俺は今日の何十人目かなのだろう。
「生前の記録を確認しました。人助けの件数が812件。うち、礼を受け取った回数が0件」
「数えてくれてたんですか」
「仕事ですので。ちなみに812件のうち、相手に顔を覚えられている件数も0件です」
「よし」
「よし、ではありません。記録を取る側が大変だったのです。助けた直後にあなたが走り去るので、担当の者が毎回見失っていました」
それは申し訳ないことをした。
「とはいえ善行は善行です。規定により、あなたには特典が出ます。お好きなスキルを授けたうえで、別の世界へ転生していただけます」
「好きなスキル」
「はい」
「好きな、スキル」
「はい。なぜ2回おっしゃったのですか」
俺は椅子から立ち上がっていた。
立ち上がって、座って、もう1度立ち上がった。じっとしていられない。心臓はもう止まっているはずなのに、胸のあたりがうるさくて仕方がなかった。
「好きなのを選べるんですか。本当に。何でも」
「規定の範囲でしたら。たいていの方は、最強の剣技や無限の魔力などを」
「要りません!」
声が裏返った。
女神様の手が止まる。
「……はい?」
「主人公の力は要りません! 俺がなりたいのはそっちじゃないんです!」
机に両手をついていた。書類の山が少し崩れたが、今はそれどころではない。
32年だ。32年間ノートの隅に書きためて、誰にも見せずに温めてきたものを、ついに出せる相手が現れたのである。しかも相手は神様だ。叶えてくれる側の人だ。
「女神様。お助けキャラってご存じですか」
「存じませんが」
「ご存じない!」
「なぜ嬉しそうなのですか」
「説明していいですか。説明しますね」
「まだ返事をしておりません」
*
「まず前提として主人公というのは負けるんです。負けないと話が進まないので必ず1回は負けます。仲間も倒れます。敵は笑います。見ているこっちはもう駄目だと思うわけです。そこに来るんですよ。来るんです。誰が来るかというと今まで3回くらいしか出ていない男です。だいたい昔は敵だったか、敵か味方かよく分からなかったやつです。それが高い所に立ってるんです。なぜ高い所かというと格好いいからで他に理由はありません。逆光で顔は見えないんですが見えなくても全員が誰だか分かるんです。ここが大事で、分かるのに名乗らないんですよ。名乗らないで敵にだけ一言いうんです。『遅かったか』とか『見ていられんな』とか。心配して来たくせに心配したとは絶対に言わない。そこがいいんです。分かりますか」
「分かり」
「それで戦うとめちゃくちゃ強いんです。主人公が3話かけて勝てなかった相手を半分の時間で倒します。じゃあ最初からお前が戦えという話なんですが、それは言ってはいけない約束です。倒したあとも大事で、主人公が『ありがとう』って言おうとするともういないんですよ。いないんです。背中だけ見えてるか、羽根が1枚落ちてるかです。『勘違いするな、お前を助けたわけじゃない』って言い残す型もあります。助けてるんですけどね。完全に助けてるんですけど。で、次に出てくるのは10話後です。10話後にまたいちばんいい場面だけ持っていきます。どうですか」
息が切れた。死んでいても息は切れるらしい。
女神様は頬杖をついていた。
いつからそうしていたのかは分からない。目は開いているが、焦点が俺の後ろの壁あたりに合っている。背中の光の輪が、さっきより明らかに暗い。
「……終わりましたか」
「まだ基本編です。次に型の分類があって、師匠型と元ライバル型と謎の実力者型と」
「結構です」
「あと復活する型がありまして、これは死んだと思わせておいて」
「結構です、と申し上げました」
女神様は片手を上げて俺を止めた。その手が少し震えている。
「要点だけ確認させてください。あなたは、話しはじめてからここまでに20分お使いになりました」
「そんなに」
「途中で3回、お茶を淹れに立とうかと思いました」
それでも最後まで聞いてくれたのだ。いい人だと思う。
「つまり、普段は姿を見せず、誰かの窮地にだけ現れて、敵を倒して去る方になりたいと」
「そうです」
「それは主人公とどう違うのですか」
「全然違います。主人公は毎回出ます。俺は出ません」
「出ないのですか」
「出ないほうが価値が上がるんです」
女神様は何か言いたそうな顔をしたまま、新しい紙を1枚出した。上の端に「注文書」と書いてある。
「では具体的なご希望を伺います」
「まず、普段は弱くしてください」
「弱く」
「はい。そのへんの村人より弱いくらいで」
「……強くしてほしい、という方しか来たことがないのですが」
「普段から強いと、周りが頼ってくるじゃないですか。頼られたら毎回出なきゃいけない。それはもう主人公です」
女神様はしばらく俺の顔を見つめてから、紙に何かを書きこんだ。
「その代わり、誰かがピンチの時だけ最強になるようにしてください」
「ピンチの時だけ」
「誰かが、です。ここ大事なので二重線を引いておいてください。俺自身のピンチでは絶対に発動しないように」
「ご自分が危ない時に使えないのですか?」
「お助けキャラが自分を助けてどうするんですか」
言いきった俺を、女神様は珍しい虫を見るような目で眺めている。
「……分かりました。発動条件は他者の窮地のみ、と。それで、最強というのはどの程度をご希望ですか。規定の範囲であれば上限まで出せますが」
いい質問だ。俺はここをいちばん長く考えてきた。
「これから行く世界で、いちばん強いのは誰ですか」
「魔王ですね。現在の魔王は歴代でも突出しておりまして、並ぶ者はおりません」
「じゃあ、魔王と同じ強さで」
女神様のペンが止まった。
「同じ」
「同じです」
「魔王より強く、ではなく?」
「同じでお願いします」
「なぜですか。上限まで出せると申し上げました。魔王の倍でも構わないのですよ」
「倍にしたら俺が魔王を倒しちゃうじゃないですか」
「倒してください」
「駄目です」
俺は机に身を乗り出した。ここを分かってもらえないと全部が台無しになる。
「いいですか女神様。魔王を倒すのは主人公の役目です。お助けキャラが倒したら、主人公は何のために旅をしてきたんですか。俺の仕事は、主人公が魔王の前までたどり着けるように、途中の強い敵を片づけることなんです」
「……」
「あと、同じ強さだと『貴様、いったい何者だ』って魔王に言ってもらえる可能性が高い。倍だと言う暇もなく終わります」
「それが本音ですね?」
「半分はそうです」
女神様は目を閉じ、こめかみを指で押さえた。光の輪が少し傾いている。
「長くこの仕事をしておりますが、魔王と同じで止めてほしいと言われたのは初めてです」
「ありがとうございます」
「褒めておりません」
それでも紙にはちゃんと書いてくれた。やっぱりいい人である。
*
「次に見た目なんですが」
「まだあるのですか」
「ここからが本題です」
女神様の肩が1cmほど落ちた。
「発動している間だけ、仮面をつけた姿にしてください。頭と目が隠れるやつ。口元は出ていたほうがいいです。形はちょっと変わってるほうがいい。角があるとか、左右で違うとか」
「なぜ顔を隠すのですか」
「正体不明だからいいんです。あと仮面は、スキルの一部にしてください。俺が自分で用意すると、つけ忘れるので」
「つけ忘れる」
「812回やってきて分かったんですが、ピンチって急に来るんですよ」
実感のこもった一言だったと思う。女神様は黙って書いた。
「それから、炎を出してください。体のまわりに」
「炎ですね。色のご希望は」
「黒です。ただの黒じゃ駄目です。闇より深い黒でお願いします」
「闇より深い黒」
「はい。深淵の底で燃えているような、光さえ呑みこむ漆黒の炎です」
女神様はペンを持ったまま、しばらく動かなかった。
「……それは、何色ですか?」
「黒です」
「黒ですね」
「闇より深い黒です」
「色見本ですと、黒は1種類しかないのですが」
「そこを何とか。気持ちの問題なので」
女神様は「黒(本人いわく闇より深い)」と書いた。括弧の中が少し雑だった気がする。
「攻撃用でよろしいですか。闇の属性でしたら威力は」
「いえ、見た目だけで」
「見た目だけ」
「熱くもないし、明るくもないし、何も燃えないやつで。ただ出ているだけの」
「光さえ呑みこむのでは」
「呑みこみそうに見えるだけでいいです」
「……確認ですが、夜に出した場合、闇より深い黒は見えるのでしょうか?」
「見えなくても燃えているんです。そこがいいんじゃないですか」
「それは何のために出すのですか」
「格好いいからです」
女神様はペンを置いた。
置いて、深く息を吸って、またペンを取った。
「効果なし、と書いておきます」
「お願いします。次に口調です」
「口調」
「発動している間は、偉そうな喋り方になるようにしてください。『死ぬがいい』とか『愚か者め』とか。俺、素だとつい『すみません』って言っちゃうんですよ。助けに入って第一声が『すみません、ちょっといいですか』だと締まらないので」
「ご自分で気をつければよろしいのでは」
「無理です。32年間直りませんでした」
「……自動で変換、と」
「あとは細かいところなんですけど」
俺は指を折った。
「到着はギリギリがいいです。早く着いても、もう駄目だという瞬間まで出ないように。それから登場は高い所からで、できれば逆光。マントは風がなくてもなびくやつ。終わったあとは誰にも追いかけられないように消えたい。お礼は一切受け取らない仕組みにしてください」
「受け取らないのですか」
「受け取ったら値打ちが下がります」
「あなたの値打ちの基準が、私にはもう分かりません」
女神様はそう言いながら、1つも漏らさずに書き取っていく。字がきれいだ。
書き終えると、紙を持ち上げて上から下まで目を通した。眉がだんだん寄っていく。
「確認ですが、これは全部、言われたとおりにしてよろしいのですね」
「はい。1つも削らないでください」
「日常生活のことは、お考えになりましたか?」
「お助けキャラに日常はありません」
「あると思いますよ」
「登場していない間のことは描かれないので」
「描かれなくても、あなたは食事をして眠るのですよ」
細かいことを気にする人だ。俺は笑って手を振った。大丈夫です、そのへんは現地で何とかします。
女神様は長いため息をついてから、紙のいちばん下に目を移した。
*
「最後に、スキルの名前を決めていただきます」
「名前」
「ステータスに表示されますので。ご希望はありますか」
俺は固まった。
考えていなかった。32年も準備してきたのに、名前だけがすっぽり抜けていた。
「あの、格好よくて、できるだけ偉そうなやつがいいんですけど」
「具体的には」
「……思いつかないです。女神様、何かありませんか」
女神様は手元の書類の山から、薄い冊子を引っぱり出した。表紙に「スキル名称例集」とある。そんなものがあるのか。
ぱらぱらとめくりながら、読み上げる声には何の感情もこもっていなかった。
「《終焉を告げし黒焔の救世主》。読みはラスト・メサイア」
「救世主は駄目です。それは主人公の肩書きなので辞退します」
「《天地万象を統べる窮極の守護者》。アルティメット・ガーディアン」
「守護者だと、ずっとそばにいる感じがしませんか。俺は帰りたいんです」
「《神すら畏れし絶対救済》。アブソリュート・サルベーション」
「いいですね。ただ、女神様の前で『神すら畏れし』は失礼じゃないですか」
「畏れておりませんので大丈夫です」
「じゃあ嘘になるので駄目です」
「《黒焔纏いし無貌の断罪者》。フェイスレス・ジャッジメント」
「断罪はちょっと。裁くのは俺の仕事じゃないので」
女神様は冊子から目を上げずに、次の行を読み始めた。
「《絶望の淵に立つ者の前にのみ顕現せし、万物を灰燼に帰す漆黒の不死鳥にして孤高なる終焉の……》」
そこで読むのをやめた。
「長いですね」
「長いですね。でも今、いい言葉が1つありました」
「どれですか」
「孤高」
これだ、と思った。
誰とも群れず、誰にも頼らず、たった1人で現れて1人で去っていく。お助けキャラを2文字で表すならこれしかない。
「孤高が入ってるやつ、他にありませんか」
女神様はページを戻した。
「《常闇に君臨せし孤高の覇者》。読みはロンリー・オーバーロード」
俺は立ち上がっていた。
「それです」
「これですか」
「それにしてください。君臨。覇者。孤高。全部入ってる」
「普段は村人より弱い方が、君臨で覇者なのですか?」
「発動中の話ですから」
「誰にも頼らず生きていけるとは、この注文書を見るかぎり思えないのですが」
「孤高は心の持ちようです」
女神様はしばらく俺を見ていた。それから何も言わずに、名前の欄を埋めた。
そして注文書をこちらに向けて、机の上をすべらせる。
――――――――――――――――――
【注文書】
転生者:戸波 迅
スキル名:《常闇に君臨せし孤高の覇者》(ロンリー・オーバーロード)
発動条件:他者の窮地のみ(本人の窮地は対象外)
強さ:発動中は魔王と同等/平時は村人未満
外見:仮面(頭部と目を覆う・着脱不可)、黒い炎(本人いわく闇より深い・効果なし)
口調:発動中は尊大な口調に自動変換
到着:窮地の極まる瞬間まで登場不可
登場:高所より、逆光にて
装束:発動中のみ、風の有無を問わずなびくマント
退場:解決と同時に追跡不能な場所へ移動
報酬:一切受領不可
――――――――――――――――――
「ご注文は以上でよろしいですか」
完璧だった。
32年間ノートの隅に書きためてきたものが、全部ここにある。
「以上で」
「変更は基本的に受けつけておりません。本当に、これでよろしいのですね」
「はい」
「最後にもう1度だけ伺います。本当に」
「女神様」
俺は注文書を両手で押し返した。
「夢だったんです」
女神様は口を閉じた。
少しの間のあと、紙の隅に印を押す。乾いた音が白い部屋に響いた。
「承りました。それでは、良い転生を」
足元から光がのぼってくる。体が軽くなっていく。
消える直前に、俺は大事なことを思い出した。
「あ、女神様。お世話になりました。お礼は」
「結構です」
「ですよね」
分かっている人だ。
こうして俺は、世界でいちばん格好いい男になるために旅立った。
*
——同じ頃、転生課では。
女神は、誰もいなくなった椅子をしばらく眺めていた。
それから手元の注文書に目を落とす。
着脱不可の仮面。効果のない、闇より深い黒い炎。風がなくてもなびくマント。受け取れない報酬。村人未満の体。
1行ずつ指でなぞっていって、最後の行で止まった。
「……あの方、どうやって食べていくのでしょう」
答える者はいない。
女神は注文書を「処理済」の箱に入れかけて、少し迷ってから机の引き出しにしまった。
たぶん近いうちに、苦情が来る。




