第13話 鍋と猫と告白
働くことにした。
借金264枚である。発動中は1枚も受け取れず、平時は鍬も持てない。それでも、何もしなければ1枚も減らない。
「体力3でもできる仕事を紹介してくれ」
橋の下で、俺はペルネッタに頭を下げた。
「紹介料は」
「……つけで」
「知ってた」
彼女は帳面のいちばん後ろを開いた。そこには前から用意していたらしい一覧があった。
「パン屋の店番。立ってるだけ。日当8枚」
「立つのは得意だ」
「行列の場所取り。並ぶだけ。1回5枚」
「並ぶのも得意だ」
「花屋の配達。花束1つだけ。4枚」
「袋1つなら持てると、人買いにも言った」
「それ自慢にならないよ」
3つとも受けることにした。全部こなせば17枚になる。264枚に比べれば小さいが、0よりは大きい。
孤高の覇者、初めての労働である。
出かけようとした時、目の前に板が浮かんだ。
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【お知らせ】
判定基準を一部見直しました
多数のご意見(1名様より)を受け、窮地の対象を広げております
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多数のご意見の「1名様」は俺だろう。
そういえば言った。社交界で死ぬのも死ぬうちだと。判定が厳しすぎると。正当なら何をしてもいいのかと。
聞いてくれたのだ。
あの人は本当に、言われたことは全部やる。俺は板に向かって拝んだ。
何をどこまで広げたのかは、書いていなかった。
*
パン屋の店番は、順調だった。
立っているだけである。客が来たら「いらっしゃいませ」と言い、パンを渡して銅貨をもらう。銅貨は手をすり抜けなかった。平時の仕事の金はちゃんと持てる。それだけで少し感動した。
昼前に、手帳を持った女の人が店に入ってきた。
25〜26歳くらいだろうか。金茶色の髪を後ろでまとめ、耳に鉛筆をはさんでいる。歩くのが速い。
「王都日報のヴィオレーヌです。この辺りで、黒い炎をまとった仮面の人物を見ませんでしたか」
心臓が跳ねた。
記者だ。
記者が、俺を探している。
ついに来た。謎の男を追う記者というのは、お助けキャラの物語に欠かせない存在である。あと一歩の所でいつも取り逃がし、少しずつ真相に近づいていく。
そして記事には、通り名が載る。
ここが勝負だ。
「見てはいませんが、噂なら聞きました」
「どんな噂ですか」
「『常闇に君臨せし孤高の覇者』と呼ばれているそうです」
ヴィオレーヌさんは鉛筆を止めた。
「誰が呼んでいるんです」
「……みんなが」
「私が聞いて回った12人は、誰もそう呼んでいませんでしたが」
「これから呼びます」
「これから」
「あと、あの人はお助けキャラなんです。説明していいですか。まず前提として主人公というのは」
手帳が閉じた。
「一般の方のご感想は結構です。パンを1つください」
銅貨2枚を置いて、彼女は速足で出ていった。
門番は10秒だった。この人は5秒である。記録が更新された。
その時、隣の食堂から悲鳴が聞こえた。
「ああっ、鍋が!」
板が浮かんだ。
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【登場可能です】
対象者:鍋
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鍋。
対象者の欄に、鍋と書いてある。者ではない。
「広げすぎじゃないですか!」
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【補足】
吹きこぼれまで、あと8秒です
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数えなくていい。
だが、困っている人がいるのは本当だった。女将さんの悲鳴は本物である。そして俺は、板に「登場可能です」と出て動かなかったことが1度もない。
高い所だ。
俺はパン屋を飛び出して、隣の食堂に駆けこんだ。昼時で客が8人いた。全員がこちらを見た。
椅子に登った。まだ低い。椅子からテーブルに登った。
煮こみの皿を踏んだ。
「すみません」
言い終わる前に、仮面が顔を覆った。
*
昼の食堂の、テーブルの上である。
黒い仮面。風のない店内で広がるマント。全身から立ちのぼる黒い炎。背中の後ろには光の玉がともって、煮こみの湯気を照らしていた。
客が8人、匙を持ったまま固まっている。
かまどの上で、大鍋が泡を吹いていた。蓋が持ち上がっている。
すみません、ちょっと通ります。
「道をあけよ」
客が全員、壁にはりついた。
かまどの前に立った。
火を弱めればいいのだ。薪を1本抜くだけである。俺は鍋に向かって、落ち着いてほしいという気持ちで手をかざした。
鍋さん、落ち着いて。
「死ぬがいい」
鍋に言った。
鍋に向かって、死ぬがいいと言った。迷宮の主に言い、病魔に言い、ついに調理器具に言った。この台詞の値打ちが、どんどん下がっている。
かまどの火を、指でつまんだ。
消えた。
ついでにかまどの石組みが半分崩れた。加減である。いつもの加減だ。
鍋は無事だった。泡が静かに引いていく。中身は1滴もこぼれなかった。
「……命拾いしたな」
鍋に言うな。
女将さんは、崩れたかまどと無事な鍋を交互に見ていた。それから震える手で椀を取り、煮こみをよそって差し出した。
「あ、あの、お礼に……」
いいにおいがした。
朝から固いパンしか食べていない。
「施しは受けぬ」
受けたい。
指先が透けはじめる。
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【解決を確認しました】
【退場します】
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テーブルの上で踏んだ皿のことを謝りたかった。
「……皿は、許せ」
それだけ言って、俺は昼の食堂から消えた。
落ちた先は、広場の噴水の中だった。
パン屋に走って戻ると、店先のパンが半分なくなっていた。鳩である。店番のいない店を、鳩の群れが襲っていた。
店主が麺棒を持って出てきた。
この世界では、農家は鍬を、漁師は櫂を、パン屋は麺棒を持って走ってくる。
日当8枚は消えた。弁償が6枚ついた。
*
行列の場所取りは、仕立て屋の前だった。
評判の店が月に1度だけ布を安く出す日で、朝から50人が並んでいる。俺は依頼主の奥さんに代わって、列の30番目に立った。
立っているだけである。今度こそ大丈夫だ。
「またあなたですか」
ヴィオレーヌさんが、列に沿って歩いてきた。
「さっき隣の食堂に出たそうですね。黒い炎の人物が」
「そうらしいですね」
「あなた、隣のパン屋にいましたよね。見なかったんですか」
「その時は、ちょうど席をはずしていまして」
「店番が?」
「はい」
彼女は俺の顔を3秒見て、手帳に何か書いた。たぶん「役に立たない」と書いた。
「目撃者の話では、鍋に向かって『死ぬがいい』と言ったそうです」
「……そうですか」
「あと『皿は許せ』と。意味が分かりません」
俺にも分からない。
通りの向こうで、子どもの泣き声がした。
街路樹の下に、5歳くらいの男の子が立っている。木の上を見上げて泣いていた。枝の先に、白い子猫がしがみついている。
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【登場可能です】
対象者:猫
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今度は猫か。
者ではないものが続いている。
高い所。あの木より高い所。
見回した。猫のいる枝は、2階の屋根より高い。それより高い場所というと時計台しかないが、あれには階段がなかった。初日に確かめてある。
仕方がないので、向かいの塀に登った。3回落ちた。
塀の上に立つ。高さは2mである。
猫は5mの所にいた。
高い所から現れたはずが、助ける相手に見下ろされている。
*
仮面とマントと黒い炎が出た。
塀の上の俺を、枝の上の子猫が見下ろしている。子猫の毛が逆立った。
下りておいで。怖くないから。
「降りよ、獣」
子猫は降りなかった。
シャーッ、と言った。
山羊も猪も従わなかったが、犬は従った。猫は従わない。前世でも猫には1度も好かれなかった。世界が変わっても、そこは変わらないらしい。
跳んだ。
枝まで一瞬である。子猫の前に浮かんで、手を伸ばした。
爪が飛んできた。
仮面を引っかかれた。3回引っかかれた。痛くはないが、魔王と同じ強さの男が子猫に顔を張られている。下に人だかりができていた。
首の後ろをつまんだ。
子猫が、おとなしくなった。
これだ。
聖女も、姉妹の妹も、俺の体はこの持ち方しかしなかった。子猫を運ぶ親猫の持ち方だと、毎回思っていた。
本物の子猫に、初めて使った。
正しい相手に、ようやく会えた。
地面に降りて、男の子の前に子猫を差し出した。
はい。もう大丈夫だよ。
「受け取れ」
男の子は、俺を見上げた。
黒い仮面。黒い炎。片手にぶら下げられた自分の猫。
さっきの3倍の声で泣いた。
母親らしい人が走ってきて、子どもと猫をまとめて抱え、何度も頭を下げながら後ずさりしていった。お礼なのか命乞いなのか、見分けがつかなかった。
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【解決を確認しました】
【退場します】
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落ちた先は、鶏小屋だった。
仕立て屋の前に戻った時には、列は店の中に消えていた。俺の立っていた30番目は、とっくに誰かのものになっている。依頼主の奥さんが腕を組んで待っていた。
日当5枚も消えた。
*
夕方、花屋で花束を受け取った。
白と黄色の小さな花を束ねたものである。軽い。これなら持てる。
「川ぞいの石橋に届けとくれ。若い男が待ってるはずだよ。日が沈む前にね」
「日が沈む前に」
「大事な花なんだってさ。3日も前から頼まれてたんだ」
走った。
体力3で走った。今日はすでに2回発動して、噴水に落ち、鶏小屋に落ちている。それでも走った。この花束を届ければ4枚になる。0ではなくなる。
途中で2回転んだ。花は守った。
角を曲がった所で、ヴィオレーヌさんにぶつかりそうになった。
「……またあなた」
「急いでるんです」
「仕立て屋の前にも出たそうですね。あなた、あの列にいましたよね」
「その時は、ちょうど席をはずしていまして」
「列で?」
「はい」
彼女は目を細めた。
「あなた、行く先々にいますね」
ばれた、と思った。
正体不明がお助けキャラの命である。それが3件目で終わるのか。
「野次馬でしょう」
「え?」
「事件のある所にばかりいて、肝心な時は見ていない。いちばん困る型の目撃者です」
ばれていなかった。
ばれていないのに、なぜか傷ついた。
石橋が見えたのは、日が沈みかけた頃だった。
橋の真ん中に、若い男が立っている。向かいに娘が1人。男は何か言おうとして口を開け、閉じ、また開けていた。手が空っぽである。握ったり開いたりしている。
娘は待っていた。待って、待って、少しずつ顔が曇っていった。
「……用がないなら、私、帰るね」
板が浮かんだ。
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【登場可能です】
対象者:青年(告白中)
理由:このままでは一生の後悔となる見込みです
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告白まで入っている。
社交上の不利益は対象外だと言っていたのに、恋の行方まで見るようになった。広げすぎである。誰だ、こんなに広げさせたのは。俺だ。
それに、あの男の手が空っぽな理由を、俺は知っていた。
花束だ。
あの人が待っていたのは、この花である。日が沈む前に届くはずだった花が、届いていない。届ける係が噴水と鶏小屋に落ちていたからだ。
原因は、また俺だった。
高い所。
橋の欄干がある。
橋の欄干だ。
前世で最後に立った場所である。あの時は逆光を背負って川に飛びこみ、登場は決まったのに退場が決まらなかった。
今度は、決める。
俺は花束を口にくわえて、欄干によじ登った。
*
夕日が、ちょうど背中に入った。
本物の逆光である。川面が金色に光っている。その光の中で仮面が顔を覆い、マントが広がり、黒い炎が立ちのぼった。
若い男の、真後ろだった。
娘が先に気づいた。
顔から血の気が引いて、口が開いた。
男が振り返った。
欄干の上から見下ろす黒い仮面と、目が合ったはずである。夕日を背負った、黒く燃える何かと。
花です。遅くなってすみません。
「受け取れ。貴様のものだ」
花束を差し出した。
男は受け取らなかった。
震えていた。膝が笑っていた。それなのに、1歩前に出た。両腕を広げて、娘を自分の背中に隠した。
「か、彼女には……指1本、触れさせない!」
声が裏返っていた。
違う。
俺は花屋だ。
だが、男の後ろで、娘の顔が変わるのが見えた。
さっきまで曇っていた目が、大きく開いている。自分をかばって震えている背中を、じっと見つめている。
ああ。
そうか。
この人には、花より先に要るものがあったのだ。
言えなかった言葉の代わりに、体が先に動いた。それで十分に伝わっている。
だったら俺は、このまま悪役でいい。
がんばれ。今なら言える。
「言え。今だ」
男は目を白黒させた。
何を、という顔をした。それから後ろの娘を振り返り、俺を見上げ、もう1度娘を見た。
「……ず、ずっと、好きでした!」
言った。
黒く燃える魔族の目の前で、命がけの顔をして言った。
娘が泣きながら笑って、男の背中にしがみついた。
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【解決を確認しました】
【退場します】
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花束を、欄干の上にそっと置いた。
そっと置けた。加減ができた。転生して初めて、力の加減に成功した。相手は花束である。
「……見事だ」
本心だった。
夕日の中に、黒い炎がほどけていく。
前世では川に流された。今回は橋の上から、光に溶けるように消えた。退場は決まった。
登場のほうは、悪役だった。
*
落ちた先は、花屋の裏の肥料置き場だった。
臭かった。
店に回ると、花屋のおかみさんが銅貨を数えていた。
「さっき橋のほうから若いのが2人で礼を言いに来たよ。花はちゃんと届いてたって。欄干の上に置いてあったそうだけど、あんた変わった届け方するねえ」
「……間に合いましたか」
「間に合ったんじゃないかい。2人とも泣いて笑ってたから」
銅貨が4枚、俺の手のひらにのった。
すり抜けなかった。
重かった。たった4枚なのに、隠し蔵で持ち上げた金の袋より重く感じた。
俺が、自分の足で稼いだ金である。途中で転んで、発動して、肥料に落ちたが、花は届けた。
*
橋の下に戻ると、ペルネッタが紙を1枚持って待っていた。
「夕刊。銅貨2枚」
「買ってない」
「読みたいでしょ」
読みたかった。
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【王都日報 グレンツ版 夕刊】
『黒く燃えてる方』、市内に3度出現
鍋を救い、猫を降ろし、恋を実らせる
目的は不明
目撃者の話
「口は悪いが鍋は無事だった」(食堂の女将)
「猫をつまむのがうまい」(通行人)
「怖かった。でも感謝している」(石橋の青年)
本紙は今後、この人物を『黒く燃えてる方』と呼ぶ
(記者 ヴィオレーヌ)
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黒く燃えてる方。
3回読んだ。3回とも同じことが書いてあった。
「常闇に君臨せし孤高の覇者だと、伝えたのに」
「誰に」
「記者に」
「何て言われた」
「一般の方のご感想は結構です、と」
ペルネッタは腹を抱えて笑った。橋の下に声が響いた。
「長いんだよ、兄さんのは。見出しに入んないもん」
ステータスの板にも入らなかった。新聞の見出しにも入らない。あれだけ悩んで決めた名前が、どこにも収まらない。
「それで、今日はいくら稼いだの」
俺は手を開いた。
銅貨が4枚のっている。汗で湿っていた。
「パン屋が0で、弁償が6。場所取りが0。花屋が4」
「新聞が2」
「……差し引き、マイナス4か」
働いて、借金が増えた。
ペルネッタは俺の手のひらの4枚を、しばらく眺めていた。
「これ、返済?」
「ああ。全部持っていってくれ」
彼女は銅貨を1枚ずつつまんで、自分の手に移した。4枚目だけ、少し長く指のあいだで転がしていた。
それから帳面を開いた。
いちばん新しい頁ではなく、いちばん最初の頁である。そこに、いつもより丁寧な字で何か書きこんだ。
「何て書いたんだ」
「『初回返済 4枚』」
「たった4枚だぞ」
「0じゃないよ」
帳面が閉じた。
「残り、268枚ね」
増えているのに、なぜか悪い気はしなかった。
寝ようとした時、板が浮かんだ。
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【本日のまとめ】
発動:3件
対象:鍋、猫、告白
蚊による被害:0か所
「すみません」の使用:11回
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まだ数えていたのか。
その下に、もう1枚出た。
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【お知らせ】
判定基準の見直しについて、ご意見を受けつけております
窓口:今夜、夢の中にて
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ある。
意見なら、山ほどある。
鍋のこと。猫のこと。6時間のこと。調整できるのに固められたこと。頬に手を当てた姿勢のこと。鼻のこと。
俺は固い地面の上で目を閉じた。
20分で足りるだろうか、と思いながら眠った。




