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お助けキャラに憧れて転生した俺、他人がピンチの時しか最強になれない ~ただし平時は体力3なので、生活が成り立たない~  作者: 中原九尾


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11/24

第11話 金貨が手をすり抜ける

 東の村から戻ると、借金は銅貨184枚になっていた。


 内訳は聞かなかった。聞くと増える気がしたからである。


「今日の情報は60枚ね」


「聞くだけで増えた」


「兄さんに合った話だよ。借金の話」


 橋の下で、ペルネッタは帳面をめくった。いつもの軽い口ぶりだったが、目は笑っていなかった。


「下町に染物屋があってさ。親が死んで、姉妹2人でやってる。その親が金貨30枚借りてたんだって」


「金貨30枚」


「銅貨にすると3000枚」


 俺の16倍である。上には上がいる。


「返せないから、明日の朝、迎えが来る。姉妹2人とも年季奉公に出されるって」


「年季奉公?」


「年季奉公っていうのは、決まった年数だけ働いて借金を返すやつ。年季が明けたら帰ってこられる。普通はね」


 普通はね、の所で声が低くなった。


「誰が連れていくんだ」


「人買い。証文を商会から買い取ったやつがいてさ。国境の向こうへ連れていく」


 ペルネッタは帳面を閉じた。


「向こうへ行った子は、帰ってこないよ。年季が明けたって話を、あたしは1回も聞いたことない」


 親の借金のかたに売られる姉妹。


 主人公だ。しかも2人いる。


 ただ、今回は「主人公だ」と思った自分に、少しだけ嫌な気がした。この子の声が、いつもと違ったからである。


「行く」


「うん。でもさ」


 この「でもさ」が出る時は、だいたい俺の急所を突いてくる。


「証文は本物だよ。親が借りて、返さないで死んだ。年季奉公は違法じゃない。あいつは殴っていい相手じゃないの。少なくとも、表向きは」


 病気は殴れなかった。今度は、殴っていい理由がない。


「金で解決するしかないな」


「兄さんが?」


「俺が」


「マイナス244枚の兄さんが?」


 もう60枚足されていた。


「いっそ兄さんを売ったら?」


「俺はいくらになる」


 ペルネッタは俺を頭のてっぺんから足の先まで眺めた。目つきが真剣である。真剣に値踏みされている。


「銅貨3枚」


「干し肉と同じじゃないか」


「干し肉は食べられるから」


   *


 その夜、俺は染物屋の向かいで下見をした。


 今回こそ、到着を成功させなければならない。


 東の村での失敗は、ピンチが始まった時に高い所にいたことだ。あれで固まった。ならば高い所には登らずに待ち、いざという時にだけ登ればいい。


 ただし、いざという時に登っていたら間に合わない。俺は樽に登るのに4回かかる男である。


 どうすればいいのか。


 こういう時は上司に聞くのが早い。俺は夜空に向かって小声で言った。


「女神様。質問があります」


 板が浮かんだ。


――――――――――――――――――

【よくあるご質問】

問:早く着いても固まらない方法はありますか

答:ありません

問:高い所がない場合はどうなりますか

答:登場が遅れます

問:判定に納得がいきません

答:ご注文どおりです

問:黒い炎は何かの役に立ちますか

答:立ちません

――――――――――――――――――


 用意されていた。


 しかも「よくある」と書いてある。質問しているのは世界で俺1人のはずだ。俺がよく聞くから、まとめておいたということらしい。


 いちばん下に、小さく1行あった。


――――――――――――――――――

問:鼻がかゆい時は

答:我慢してください

――――――――――――――――――


 それは聞いていない。聞いていないが、聞こうとは思っていた。先回りされている。


 夜空に向かって小声で文句を言っていると、夜回りの衛兵に肩をたたかれた。


「誰と話してる」


「上司です」


「どこの」


 伯爵邸でも同じことを聞かれた。あれからずいぶんたつのに、いまだにうまい答えがない。


 衛兵は俺の腕の細さをしばらく眺めて、何も言わずに行ってしまった。害はないと判定されたらしい。こちらの判定は早い。


 結局、何も解決しなかった。


 店の2階の窓に、明かりが1つついていた。


 誰かが起きている。ときどき影が動いた。何かを数えているような、何かを縫っているような、小さな動きだった。


 明かりは、夜明け前まで消えなかった。


   *


 翌朝、迎えは幌つきの荷馬車で来た。


 降りてきたのは、身なりのいい男だった。40歳前後だろうか。絹の手袋をして、髪をなでつけ、香水の匂いをさせている。にこにこしていた。手下を2人連れていて、荷台には犬が2頭つながれていた。


 男は戸を、指の背で軽くたたいた。


「おはよう、お嬢さん方。期日だよ」


 戸が開いた。


 出てきたのは16〜17歳くらいの娘だった。栗色の髪を後ろで1つに結び、指先が藍色に染まっている。目の下が暗い。昨夜の明かりは、この人だったのだ。


 娘は戸口をふさぐように立った。


「お金は、ありません」


「知っているとも。だから迎えに来た」


「私が行きます。2人ぶん働きます。妹は置いていってください」


「証文には2人とある」


 男は懐から紙を出して、ひらひらと振った。


「それにね。小さいほうは小さいほうで、欲しがる客がいるんだ」


 笑ったまま言った。


 娘の後ろで、小さな手が前掛けを握るのが見えた。9〜10歳くらいの女の子である。


 来た。


 ピンチだ。これ以上のピンチがあるか。


 俺は物陰で板を待った。


――――――――――――――――――

【判定結果】

対象者の状況:窮地には該当しません

理由:契約に基づく正当な履行です

判定:まだいけます

――――――――――――――――――


「どこが正当なんですか!」


 小声で怒鳴った。


「今の聞きましたか。欲しがる客がいるって言ったんですよ。9歳の子に」


 板が増えた。


――――――――――――――――――

【補足】

契約内容の当否は、別の部署の管轄です

照会をかけました。回答までしばらくお待ちください

――――――――――――――――――


 天界にも縦割りがあるらしい。


 しばらくとはどれくらいだ。あの子たちは今、連れていかれるのだ。


 スキルは出ない。出ないなら、素で行くしかなかった。


 俺は物陰から出て、戸口の前に立った。体力3である。樽もない。逆光もない。


「待ってくれ」


 男が振り向いた。にこにこしたままである。


「どなたかな」


「名乗るほどの者ではない」


「では、お引き取りを」


 丁寧に断られた。


「その借金、俺が払う」


 言ってしまった。


 男は初めて、俺の全身を見た。ペルネッタと同じ目つきである。ただし、あの子の目にあった遠慮が、この男にはなかった。


「おいくらお持ちで」


「……マイナス244枚」


「マイナス」


「銅貨で」


「ははあ」


 男は楽しそうに笑った。


「借金のある方が、人の借金を払うと。お気持ちは結構ですがね。気持ちで買える物は、この世に1つもないんですよ」


 最後の手を出した。


「なら、俺を代わりに連れていけ」


 男は絹の手袋をはめ直して、自分で俺の腕をつかんだ。


 力こぶを押された。顎をつかまれて、口を開けさせられた。歯を1本ずつ見られた。背中をたたかれ、手のひらを返され、爪の色を調べられた。


 馬の買いつけと同じ手順である。


 笑えなかった。


 手袋ごしの指が冷たい。値踏みされるというのは、こういうことなのか。俺の中身には何の用もなく、歯と腕と背中だけを見られている。


 あの姉妹も、これをやられたのだ。


「鍬は持てるかね」


「……持てない」


「荷は」


「袋1つなら」


 男は手袋をはずして、手下に渡した。汚れた物にさわったあとのように。


「銅貨3枚。餌代のほうが高くつく」


 ペルネッタの査定と1枚も違わなかった。


 手下に襟首をつかまれて、道の脇に放られた。体力が2になった。


 栗色の髪の娘が、俺を見ていた。


 何か言いたそうな顔だった。俺のほうにも言いたいことはあった。すまない。3枚にしかならなかった。


 姉妹は荷台に乗せられた。手首に縄がかけられる。姉は妹の肩を抱いて、何か言い聞かせていた。妹は泣かなかった。泣かないように、唇を噛んでいた。


 荷馬車が動き出した。


――――――――――――――――――

【判定結果】

判定:まだいけます

補足:照会中です

――――――――――――――――――


 板を殴った。手は板を通り抜けて、空を切っただけだった。


   *


「国境までは荷馬車で2日。今夜は街道ぞいの森で野営するはず。あいつの決まった場所があるの」


 ペルネッタはロバを引いてきた。


「借りた。1日20枚」


「俺につけるのか」


「他に誰につけるの」


 借金は264枚になった。今はどうでもよかった。


 2人でロバに乗った。ロバは遅かった。体力3の俺が歩くよりは速かったが、それだけである。


「兄さん、静かだね」


「歯を見られた」


「うん。見てた」


「あの子たちも、やられたんだろうな」


「やられたよ。ひと月前に」


 ペルネッタは前を向いたまま言った。


「あたしも、やられたことあるから分かる」


 それ以上は言わなかった。俺も聞かなかった。ロバの蹄の音だけが続いた。


 途中、街道が川を渡る浅瀬で、荷馬車に追いついた。


 車輪が石にはまって止まっている。手下の1人が川に入って押していた。足をすべらせて、頭から水に落ちた。


――――――――――――――――――

【登場可能です】

対象者:人買いの手下

――――――――――――――――――


「そっちか!」


 叫んでしまった。ペルネッタが俺の口を手でふさいだ。


 そっちなのか。姉妹ではなく、縄をかけた側なのか。


 だが、溺れている人間を選り好みするのはお助けキャラではない。高い所だ。岩がある。俺はロバから飛び降りて、岩に取りついた。1回落ちた。


 手下が立ち上がった。


 川は膝までしかなかった。


――――――――――――――――――

【取り消します】

対象者は自力で立ちました

――――――――――――――――――


 岩にしがみついたまま、俺は荷馬車が浅瀬を渡っていくのを見送った。


「兄さん、今の何」


「判定の基準が分からない」


「あたしは兄さんが分からない」


   *


 森の野営地に着いたのは、日が暮れてからだった。


 木立の奥に焚き火が見える。荷馬車が止まり、馬がはずされている。犬が2頭、火のそばに伏せていた。


 俺とペルネッタは、茂みの中に腹ばいになった。


 耳元で羽音がした。蚊である。首を刺された。


 かいた。


 かける。固まっていないので、かけるのだ。東の村の6時間を思えば、刺されてすぐかけるというのは贅沢な話だった。


――――――――――――――――――

【お知らせ】

蚊による被害:1か所

――――――――――――――――――


 今回は数えてもらって構わない。


「兄さん、何にやにやしてんの」


「かけるんだ」


「何が」


 今回は木に登らない。登って待てば固まる。地面で待って、板が出てから登る。高い所は、荷台に積んである水樽だ。


 樽である。


 転生初日に論外と判定した樽が、どこまでもついてくる。


 姉妹は、荷馬車の車輪につながれていた。


 姉は妹を膝に抱いて、じっと火を見ている。指が動いていた。妹の手首の縄を、少しずつ、少しずつ、ほどいている。染物屋の指だ。結び目のことなら、あの男たちよりよく知っているのだろう。


 縄が落ちた。


 姉は妹の耳に口を寄せて、何かささやいた。妹が首を振る。姉がもう1度ささやく。


 それから姉は、妹の背中を押した。


 妹は走った。森の暗いほうへ、小さな足で。


 姉は走らなかった。


 立ち上がると、反対の方向へ、わざと大きな音を立てて鍋を蹴った。


 囮だ。


 自分は逃げる気がない。妹が逃げる時間を、自分の体で稼ぐつもりなのだ。


「おやおや」


 人買いの男が立ち上がった。まだにこにこしている。


 手に、鞭を持っていた。


「商品に傷はつけたくないんだがね。逃げ癖というのは、最初に直しておくものなんだ」


 手下が犬の綱を解いた。2頭が吠えながら、妹の消えたほうへ走っていく。


 鞭が上がった。


――――――――――――――――――

【登場可能です】

対象者:2名

――――――――――――――――――


 来た。


 俺は茂みから飛び出して、荷台によじ登った。水樽に手をかける。すべった。もう1度。足がかからない。鞭が上がっている。犬が走っている。間に合わない。


 3回目で、樽の上に立った。


 鞭は、まだ上がったままだった。


 犬の声も、さっきと同じ遠さである。


――――――――――――――――――

【お知らせ】

登場までの猶予は、こちらで調整しております

――――――――――――――――――


「調整できるんじゃないですか!」


 樽の上で叫んだ。


 できるのか。時間を待ってもらえるのか。それなら東の村で6時間固めなくてもよかったはずだ。あとで言う。絶対に言う。


 飛んだ。


   *


 仮面が顔を覆い、マントが広がった。背中で光の玉がともる。


 まず犬だ。


 3歩で森の奥にいた。妹は木の根につまずいて倒れていて、犬が2頭、その上に飛びかかろうとしている。


 俺は犬の首の後ろをつまんだ。両手に1頭ずつである。


 犬は好きだ。前世では近所の柴犬に毎朝あいさつをしていた。傷つけたくない。


 よしよし。いい子だから、やめような。


「従え」


 2頭とも、その場で腹を見せた。


 通じた。


 山羊には通じなかった。猪にも通じなかった。犬には通じた。さすが犬である。俺は感動して、腹をなでたかった。腕は組まれた。


 妹は泥だらけの顔で、俺を見上げていた。


 もう大丈夫だよ。お姉ちゃんの所に戻ろう。


「来い。姉が待っている」


 襟首をつまんで持ち上げた。また子猫の持ち方である。抱き上げるという機能が、この体にはない。


 焚き火の前に戻ると、鞭はまだ上がったままだった。


 人買いの男は、口を開けて俺を見ていた。


 その目が、俺の足元から肩のあたりをなぞっている。


 見下ろして、気づいた。


 黒い炎が、見えている。


 夜なのに、である。焚き火だ。赤い火の明かりを背にすると、俺の体から立ちのぼる黒が、炎の形の切り抜きになって浮かび上がっていた。火の光がそこだけ吸いこまれて、向こう側が見えない。


 迷宮でも谷の村でも樫の木でも、夜はまったく見えなかった。見えなくても燃えているんです、と強がったあの炎が、今夜は見えている。


 そうか。


 後ろに明るい物を置けばよかったのだ。


 これからは焚き火を持ち歩こう。自前の炎を見せるために、別の炎を焚く。何かがおかしい気もするが、見えるのなら構わない。


 光の玉と仮面と黒い炎と、片手にぶら下げた子どもと、後ろからついてくる犬2頭。男が腰を抜かすには十分だったらしい。


「ま、魔族……」


 もう慣れた。


 妹を姉の横に下ろした。姉は妹を抱きこんで、俺と男のあいだに自分の背中を入れた。まだ守ろうとしている。


 その子たちの縄を、ほどいてもらえますか。


「その縄を解け。貴様の指でだ」


 絹の手袋のことを、口のほうも覚えていたらしい。


 男は腰を抜かしたまま、懐から紙を出した。


「こ、これは正当な取引だ! 証文がある! 法に触れることは何も」


 そうなんだ。


 そこなんだよ。それで朝から困っている。俺は魔王と同じ強さで、紙1枚に手が出せない。


 その時、板が浮かんだ。


――――――――――――――――――

【別の部署より回答】

当該証文の年季の欄に、書き換えの跡を確認しました

本件は正当な履行に該当しません

回答が遅くなりましたことを、お詫び申し上げます

――――――――――――――――――


 今か。


 今なのか。朝に聞いたことが、夜に返ってきた。天界の別の部署は、返事に丸1日かかる。


 だが、返ってきた。


 年季を書き換えましたね、と言おうとした。


「その紙、数字が泣いているぞ」


 詩的になった。


 男の顔から、初めて笑いが消えた。


   *


 そこからは早かった。


 男は鞭を捨て、荷馬車に駆け寄って、座席の下から革袋を引きずり出した。1つではない。3つ出てきた。


「か、金ならある! これで見逃してくれ!」


 袋の口から、金色があふれた。


 金貨である。


 俺は金貨というものを、この世界に来て初めて見た。焚き火を受けて光っている。1枚が銅貨100枚。あの袋3つで、少なくとも50枚はある。


 銅貨5000枚。


 俺の借金は264枚である。


 19回返せる。


 もらってはいけない、と頭は言った。人を売って作った金だ。


 手は出ていた。


 体のほうが正直だった。


 男が袋を逆さにして、俺の手のひらに金貨をあけた。


 金貨は、手のひらを通り抜けた。


 ちゃりん、と地面に落ちた。1枚目も、2枚目も、10枚目も。俺の手に触れた瞬間に、そこに何もないかのように落ちていく。


――――――――――――――――――

【お知らせ】

報酬の受領はできません

――――――――――――――――――


 知っている。


 注文書に書いた。お礼は一切受け取らない仕組みにしてください、受け取ったら値打ちが下がります、と言った。


 ただ「受け取らない」というのは、俺が格好よく断るという意味だと思っていた。差し出された袋を、片手でそっと押し返す。あれがやりたかったのだ。


 物理的に受け取れない、とは思わなかった。


 男は半泣きで、金貨を俺のマントの内側に押しこんだ。


 マントにポケットはなかった。金貨は布を通り抜け、俺の足の甲を通り抜けて、土の上で跳ねた。


 2つ目の袋。3つ目の袋。全部、俺の体を上から下まで素通りした。


 銅貨5000枚ぶんの金貨が、足元に山になっている。


 拾えない。


 かがむのは威厳を損なう。


 それに。


 俺は、後ろの姉妹のことを考えた。


 この金は、あの子たちのような誰かを売って作った金だ。何枚だの何枚だのと歯を見て決めて、国境の向こうへ運んで。


 ほしいのは本当である。借金は19回返したい。


 でも、これは違う。


 お金はいらない。本当に、いらない。


「貴様らに値など付けさせぬ」


 出た声は、いつもより低かった。


「金貨などで我を測るな」


 珍しく、訂正したくならなかった。


 朝、銅貨3枚と査定された男が言うことではないのかもしれない。それでも今だけは、口のほうが俺より正しい気がした。


 男は白目をむいて、金貨の山の上に倒れた。手下2人は、とっくに森の中へ逃げていた。


   *


 証文が、地面に落ちていた。


 拾おうとしたら、体がかがんでくれなかった。仕方がないので、つま先で引っかけて蹴り上げ、空中でつかんだ。威厳というのは融通がきかない。


 破ろう。


 書き換えのある証文だ。別の部署のお墨つきもある。


 そっと、2つに裂くつもりだった。


 紙は粉になった。


 ついでに、後ろの荷馬車の幌が半分飛んだ。指先の風圧である。加減はご自身で、と言われてから、俺はまだ1度も加減に成功していない。


「……脆い紙だ」


 紙のせいにするな。


 姉は、妹を抱いたまま俺を見上げていた。


 縄を解くはずの男は、金貨の上でのびている。仕方がないので、姉の手首の縄を指でつまんだ。糸くずのように切れた。それでも姉は動かなかった。動いていいのかどうか、まだ分からないという顔をしていた。


 よかったね、と言いたかった。


 もう大丈夫だよ。どこにも行かなくていいんだよ。


「もう売り物ではない。好きに生きよ」


 直す所は、あまりなかった。


 指先が透けはじめる。


――――――――――――――――――

【解決を確認しました】

【退場します】

――――――――――――――――――


 待て。


 ここは夜の森だ。街まで半日ある。令嬢の時と同じである。助けた相手を、また山の中に置いていくのか。


 茂みのほうを見た。ペルネッタが顔を出して、ロバを指さし、自分を指さし、姉妹を指さした。


 任せろ、という意味だと思う。


 あとで請求が来る、という意味でもあると思う。


「……夜道に気をつけよ」


 それだけ言って、俺は森から消えた。


 犬が2頭、俺のいた場所を名残惜しそうに嗅いでいた。


   *


 落ちた先は、暗かった。


 石の床である。空気が冷たい。窓がない。手探りで壁に触れると、木の棚があって、布の袋が並んでいた。


 袋を持ち上げた。


 ずしりと重い。中で硬いものが鳴った。


 金だ。


 どの袋も金だった。棚の上から下まで、全部である。


 そして棚の端に、紙の束があった。


 紐でくくって、何十も積んである。いちばん上の1枚を、隙間からの月明かりで読んだ。


 証文だった。


 名前が書いてある。年齢が書いてある。金額が書いてある。7歳。11歳。14歳。どれも年季の欄に、同じ手の書き換えがあった。


 あの男の隠し蔵だ。


 追跡不能な場所へ、と俺は注文した。今夜だけは、女神様がわざとここを選んだのではないかと思った。


 今の俺は平時である。


 手は金をすり抜けない。持てる。この袋を1つ持って出れば、借金が19回返せる。


 俺は金の袋を棚に戻した。


 紙の束を、全部抱えた。


 重かった。体力3には重すぎた。3回に分けて運んだ。裏口の錠は内側からなら開いた。


 これは盗みではない。落とし物を届けるだけだ。落とし主は、この紙に名前を書かれた人たちである。


 落とし物を届けるのなら、俺は前世で何百回もやっている。


 衛兵の詰所の前に紙の束を積んで、戸を3回たたいて、走って逃げた。


 名前を聞かれる前に角を曲がる。これも何百回もやってきた。体力3でもできる、俺のたった1つの得意技である。


 走りながら採点をした。


 高い所。樽。2点。


 逆光。支給品。10点。


 黒い炎。夜に初めて見えた。加点5点。焚き火のおかげである。


 到着。猶予を調整してもらった。採点保留。これについては上司と話がある。


 戦闘。犬をなでそこねた。3点。


 台詞。9点。今まででいちばん高い。


 退場。10点。


 報酬。金貨50枚以上。受領0枚。


 蔵のほうから、番犬の吠える声が追ってきた。


 この世界では、農家は鍬を、漁師は櫂を持って走ってくる。番犬は何も持たずに走ってくるので、いちばん速い。


   *


 翌日の夕方、橋の下でペルネッタが鍋を火にかけていた。


 豆と根菜の煮こみである。湯気が立っている。


「食べなよ。今日はおごり」


「……何枚だ」


「おごりって言ったでしょ」


 匙を持つ手が止まった。この子の口から「おごり」という言葉が出たのは初めてである。


「姉妹は家まで送った。ロバに2人乗せて、あたしは歩いた」


「すまん」


「あの人買い、朝には捕まったよ。詰所の前に証文が山ほど積んであったんだって。誰が置いたのか分かんないってさ」


「そうか」


「兄さん、ズボンの裾、犬にかじられてるけど」


「そうか」


 ペルネッタは少し笑って、それ以上は言わなかった。


 俺は煮こみを口に入れた。熱い。うまい。


「金貨、手を通り抜けたね」


「見てたのか」


「茂みから。50枚はあったよ」


「数えないでくれ」


「拾わなかったね」


「拾えなかったんだ。かがめなくて」


「そのあとの蔵でも?」


 匙が止まった。


「……あれは、俺のじゃない」


「ふうん」


 ペルネッタは匙をくわえたまま、帳面を開いた。


「兄さんさ。発動してる時は、お金もらえない」


「ああ」


「発動してない時は、体力3で鍬も持てなくて、銅貨3枚」


「……ああ」


「目の前に金があっても持って帰らない」


「ああ」


「この264枚、どうやって返すの」


 考えたことがなかった。


 お助けキャラの暮らしというものを、俺は1度も考えなかった。登場していない間のことは描かれないので、と笑って手を振った。日常生活のことは、と女神様は聞いてくれたのに。


 稼ぐ手段がない。


 完璧な仕組みである。完璧に、何も入ってこない。


「……一生、返せないな」


「だろうね」


 ペルネッタは帳面を閉じた。


 ぱたん、と軽い音がした。


「いいよ。つけとくだけだから」


「取り立てないのか」


「取り立てたら、兄さん、払えなくていなくなるでしょ」


 彼女は鍋をかき回しながら、こちらを見ずに言った。


「いなくなられたら、回収できないじゃん」


 理屈は通っていた。


 毎回通っているのだが、今日のは少しだけ、通り方が違う気がした。


 孤高の覇者は、借金264枚のまま、おごりの煮こみを2杯食べた。

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