第9話「揺れ」
最初は、音だった。
低い。
遠くから響いてくるような、重い音。
ユウトは立ち止まる。
足元を見る。
変わらない。
ひび割れた地面。
乾いたままの土。
だが——
次の瞬間、揺れた。
小さく。
一度だけ。
それで終わるかと思った。
終わらなかった。
二度目は、強かった。
足が取られる。
バランスを崩す。
子どもが声を上げる。
短い悲鳴。
ユウトは手を伸ばす。
間に合う。
掴む。
そのまま引き寄せる。
地面が、大きく揺れる。
音が変わる。
遠くで、何かが崩れる音。
ひとつではない。
いくつも。
連続して。
建物の輪郭が歪む。
壁が軋む。
空気が震える。
少女が言う。
「地殻変動を確認」
「この地域は——」
言葉が続かない。
揺れが強すぎる。
ユウトはしゃがむ。
子どもを庇う。
頭を低くする。
何かが落ちてくる音。
すぐ近く。
砂埃が舞う。
視界が一瞬で濁る。
咳き込む。
息が詰まる。
それでも、手は離さない。
猫が、すぐ横にいる。
体を低くしている。
逃げない。
ただ、耐えている。
揺れは、長い。
時間の感覚が狂う。
数秒なのか、数分なのか分からない。
やがて——
止まる。
急に。
静寂。
音が消える。
残るのは、耳鳴りのような感覚。
ユウトはゆっくりと顔を上げる。
周囲を見る。
景色が変わっていた。
さっきまで立っていた建物が、崩れている。
道が歪んでいる。
ひびが、さらに広がっている。
世界が、ずれている。
子どもが、ユウトの腕を掴んでいる。
強く。
離れない。
「……大丈夫だ」
小さく言う。
自分に言い聞かせるように。
そのとき——
声がした。
かすかな声。
「……たす、けて」
遠くない。
すぐ近く。
瓦礫の下。
ユウトは振り向く。
崩れた壁の一部。
その下から、手が出ている。
動いている。
わずかに。
ユウトは立ち上がる。
一歩、近づく。
少女が言う。
「二次災害のリスクがあります」
「接近は推奨されません」
正しい。
間違っていない。
瓦礫は不安定だ。
また崩れるかもしれない。
ユウトは、その手を見る。
土で汚れている。
震えている。
消えそうな動き。
猫が、その近くに行く。
ためらいがない。
瓦礫の上に乗る。
軽い体。
問題ない。
ユウトは、ゆっくりと息を吐く。
そして——
手を伸ばす。
瓦礫に触れる。
重い。
思った以上に。
指に力を込める。
動かす。
少しだけ、ずれる。
その下の隙間が、ほんの少し広がる。
中の人が息をする音。
弱い。
それでも、生きている。
ユウトはもう一度、力を入れる。
肩が震える。
腕が痛む。
それでも、止めない。
「……もう、ちょっと」
誰に言っているのか分からない。
自分か、相手か。
また、瓦礫が動く。
ほんの少し。
それで十分だった。
中の手が、自由になる。
引き抜く。
体の一部が見える。
完全には出せない。
それでも——
呼吸はできる。
ユウトはその場に座り込む。
力が抜ける。
少女が近くに来る。
「その行為は、生存確率を低下させます」
いつもの言葉。
ユウトは息を整える。
「……そうだな」
短く答える。
猫が、すぐそばに座る。
尾の火が、揺れている。
小さく。
確かに。
周囲は崩れている。
元には戻らない。
何も解決していない。
それでも——
その手は、まだ動いていた。




