第8話「嘘」
音が戻ってきた。
だが、それは安心できるものではなかった。
途切れたスピーカーから、声が流れている。
ノイズ混じりの、かすれた声。
「——安全です。現在の状況は——」
そこで一度、途切れる。
別の声が重なる。
「——直ちに避難してください——」
またノイズ。
同じ場所から、違う指示。
繰り返される。
止まらない。
ユウトは立ち止まる。
聞く。
理解しようとする。
だが、意味はまとまらない。
少女が言う。
「情報の整合性が失われています」
「複数の発信源が競合している可能性があります」
正しい。
だが、それでは何も決められない。
前方に、人が集まっている。
数人。
それぞれが違う方向を見ている。
一人が言う。
「こっちが安全だ」
別の一人が首を振る。
「違う、あっちだ」
声が重なる。
少しずつ強くなる。
誰も譲らない。
誰も確信していない。
ただ、不安だけがある。
ユウトは近づかない。
少し離れた位置で止まる。
子どもも、その後ろに立つ。
猫が、静かに通り過ぎる。
人の間を、すり抜ける。
誰にも触れず、迷いもない。
尾の火が、わずかに揺れる。
「判断には、信頼できる情報源が必要です」
少女が言う。
「現状では——」
言葉が途切れる。
一瞬だけ、沈黙。
そのあと、別の声がスピーカーから流れる。
「——ここに来てください。水があります——」
今度は、はっきりしている。
具体的だ。
人の動きが変わる。
数人が、そちらへ歩き出す。
迷いながらも、引き寄せられるように。
ユウトはその方向を見る。
何も見えない。
ただの道。
それでも、言葉だけがある。
「……行く?」
子どもが、小さく言う。
初めての言葉だった。
かすれている。
ユウトは答えない。
猫を見る。
猫は止まらない。
別の方向へ歩いている。
振り向きもしない。
ただ、進む。
少女が言う。
「発信内容の信頼性は不明です」
「しかし、水資源の存在は重要です」
合理的な判断。
正しい。
だが——
ユウトは、スピーカーを見る。
壊れかけた機械。
ノイズ。
断続的な音。
その中で、“都合のいい言葉”だけが浮いている。
水がある。
来てください。
それだけ。
ユウトは視線を落とす。
地面。
昨日と変わらない。
何も増えていない。
何も改善していない。
それなのに——
そこだけが良い話すぎる。
ユウトは、ゆっくりと首を振る。
「……やめとく」
小さな声。
子どもは何も言わない。
ただ、うなずく。
猫の後を追う。
少女が隣に並ぶ。
「非合理的な選択です」
いつもの言葉。
ユウトは少しだけ笑う。
「かもな」
後ろで、声が遠ざかる。
「水があるって言ってたぞ!」
足音。
急ぐ音。
やがて、それも聞こえなくなる。
前には、何もない。
確証もない。
ただ、猫の足音だけがある。
それを追う。
理由はない。
説明もできない。
それでも——
足は止まらなかった。




