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ディストピア9:摂氏52度の空は、なぜ青かったのか  作者: 沁みた大根


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第8話「嘘」

音が戻ってきた。


だが、それは安心できるものではなかった。


途切れたスピーカーから、声が流れている。


ノイズ混じりの、かすれた声。


「——安全です。現在の状況は——」


そこで一度、途切れる。


別の声が重なる。


「——直ちに避難してください——」


またノイズ。


同じ場所から、違う指示。


繰り返される。


止まらない。


ユウトは立ち止まる。


聞く。


理解しようとする。


だが、意味はまとまらない。


少女が言う。


「情報の整合性が失われています」


「複数の発信源が競合している可能性があります」


正しい。


だが、それでは何も決められない。


前方に、人が集まっている。


数人。


それぞれが違う方向を見ている。


一人が言う。


「こっちが安全だ」


別の一人が首を振る。


「違う、あっちだ」


声が重なる。


少しずつ強くなる。


誰も譲らない。


誰も確信していない。


ただ、不安だけがある。


ユウトは近づかない。


少し離れた位置で止まる。


子どもも、その後ろに立つ。


猫が、静かに通り過ぎる。


人の間を、すり抜ける。


誰にも触れず、迷いもない。


尾の火が、わずかに揺れる。


「判断には、信頼できる情報源が必要です」


少女が言う。


「現状では——」


言葉が途切れる。


一瞬だけ、沈黙。


そのあと、別の声がスピーカーから流れる。


「——ここに来てください。水があります——」


今度は、はっきりしている。


具体的だ。


人の動きが変わる。


数人が、そちらへ歩き出す。


迷いながらも、引き寄せられるように。


ユウトはその方向を見る。


何も見えない。


ただの道。


それでも、言葉だけがある。


「……行く?」


子どもが、小さく言う。


初めての言葉だった。


かすれている。


ユウトは答えない。


猫を見る。


猫は止まらない。


別の方向へ歩いている。


振り向きもしない。


ただ、進む。


少女が言う。


「発信内容の信頼性は不明です」


「しかし、水資源の存在は重要です」


合理的な判断。


正しい。


だが——


ユウトは、スピーカーを見る。


壊れかけた機械。


ノイズ。

断続的な音。


その中で、“都合のいい言葉”だけが浮いている。


水がある。


来てください。


それだけ。


ユウトは視線を落とす。


地面。


昨日と変わらない。


何も増えていない。


何も改善していない。


それなのに——


そこだけが良い話すぎる。


ユウトは、ゆっくりと首を振る。


「……やめとく」


小さな声。


子どもは何も言わない。


ただ、うなずく。


猫の後を追う。


少女が隣に並ぶ。


「非合理的な選択です」


いつもの言葉。


ユウトは少しだけ笑う。


「かもな」


後ろで、声が遠ざかる。


「水があるって言ってたぞ!」


足音。

急ぐ音。


やがて、それも聞こえなくなる。


前には、何もない。


確証もない。


ただ、猫の足音だけがある。


それを追う。


理由はない。


説明もできない。


それでも——


足は止まらなかった。

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