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ディストピア9:摂氏52度の空は、なぜ青かったのか  作者: 沁みた大根


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第4話「水」

列ができていた。


静かな列だった。


誰も話さない。

目も合わせない。


ただ、前の背中だけを見ている。


ユウトは最後尾に並んだ。


何人いるのか分からない。

数える気にもならない。


空は白く濁っている。

熱は、昨日より重い。


汗が出ない。


喉だけが乾く。


前の男が、空の容器を何度も揺らしている。

音はしない。


その後ろで、誰かが咳き込む。


短く、乾いた咳。


一度。

二度。

三度。


誰も振り向かない。


列は少しずつ進む。


建物の奥に、水があるらしい。


見えないが、分かる。


空気が違う。


湿っている。


その“気配”だけで、人は並んでいる。


「配給システムが維持されています」


隣で少女が言う。


「ただし、供給量は減少しています」


ユウトは黙っている。


後ろから、小さな足音。


猫がついてきていた。


列の外側を、自由に歩いている。


誰も止めない。


気づいていないのか、気にしていないのか。


尾の先の火が、かすかに揺れる。


列が止まる。


前方で、声が上がった。


「少なすぎるだろ」


低い声。


押し殺しているが、怒りが混じっている。


「規定量です」


別の声。

機械的で、感情がない。


「足りねえよ」


間があく。


誰も動かない。


空気が重くなる。


ユウトの後ろで、また咳がする。


さっきより、深い。


一歩、距離が空く。


無意識に。


列が少し歪む。


それでも、誰も何も言わない。


やがて、列が動き出す。


何事もなかったように。


ユウトの番が来る。


小さな容器を差し出す。


水が注がれる。


透明。


それだけで、目が離せなくなる。


音がする。


ぽた、ぽた、と。


それだけで、十分だった。


「次」


ユウトは一歩横にずれる。


容器の中を覗く。


少ない。


分かっていた。


それでも、少ない。


外に出る。


光が刺さる。


喉が鳴る。


そのとき——


後ろから、声がした。


「……水」


さっきの咳の人だった。


座り込んでいる。


顔が見えない。

ただ、肩だけが揺れている。


ユウトは立ち止まる。


少女が言う。


「感染リスクが存在します」


正しい。


間違っていない。


猫が、その人の近くに寄る。


ためらいがない。


ただ、そこにいる。


ユウトは、容器を見る。


それから、その人を見る。


そして——


少しだけ、傾けた。


水が落ちる。


地面ではなく、その人の容器へ。


ほんの少し。


本当に少し。


それでも、確かに渡った。


その人は何も言わない。


ただ、手が震えている。


ユウトはそれ以上見なかった。


歩き出す。


少女が隣に並ぶ。


「その行為は、自己生存確率を低下させます」


ユウトは答えない。


後ろで、猫の足音がする。


同じ速度でついてくる。


空は変わらない。


熱も変わらない。


世界も、何も変わらない。


それでも——


ほんの少しだけ、


何かが動いた気がした。

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