第3話「沈黙」
音がない。
それに気づいたのは、歩き始めてからしばらく経ってからだった。
足音だけが、やけに大きく響く。
ユウトは立ち止まる。
待つ。
何かが鳴くのを。
風が動くのを。
——何もない。
空は、相変わらず高い。
昨日の黒い雨が嘘のように、澄みきっている。
だが、その青さは、どこか空虚だった。
セミがいない。
この季節なら、耳を塞ぎたくなるほど鳴いているはずだった。
鳥もいない。
電線は空のまま、微動だにしない。
ユウトはゆっくりと歩き出す。
隣を、少女が同じ速度で進む。
後ろから、小さな足音がついてくる。
振り向かなくても分かる。
あの猫だ。
尾の先だけが、わずかに揺れている。
あの小さな火は、まだ消えていない。
「生物活動の低下が観測されます」
少女が言う。
「音環境の変化も確認されています」
ユウトは答えない。
代わりに、耳に手を当てる。
自分の呼吸。
心臓の音。
それだけ。
遠くで、何かが倒れる音がした。
乾いた、軽い音。
ユウトはそちらを見る。
古い木の柵が崩れている。
風もないのに。
「構造物の劣化です」
少女が説明する。
正しい。
でも、それだけじゃない気がした。
猫が、止まる。
その場で、じっと空を見ている。
耳がわずかに動く。
何かを聞いているように。
だが——
人間には、何も聞こえない。
ユウトは猫の隣にしゃがみこむ。
同じ方向を見る。
空。
ただの空。
それでも、何かがおかしい。
言葉にできない違和感が、喉の奥に引っかかる。
ユウトはポケットを探る。
ペットボトル。
もう、ほとんど残っていない。
地面を見る。
ひび割れた土。
昨日と同じ場所ではないのに、同じように乾いている。
少しだけ、傾ける。
水は、すぐに消える。
染み込むというより、奪われるように。
猫がそれを見ている。
尾の火が、わずかに強く揺れる。
少女が言う。
「その行為は、環境全体への影響はありません」
ユウトは手を止めない。
「……だろうな」
それでも、最後の一滴まで落とす。
何も変わらない。
音も戻らない。
空もそのまま。
猫は、ゆっくりと歩き出す。
また、どこかへ向かうように。
理由は分からない。
少女が、ユウトを見る。
「それでも、継続しますか」
問いの形。
ユウトは立ち上がる。
猫の後を追う。
少しだけ、間を置いて答える。
「……うん」
風は吹かない。
音も戻らない。
それでも——
彼は、歩くのをやめなかった。




