第2話「黒い雨」
空の色が変わった。
青は消えて、鈍い灰色に沈んでいく。
雲は厚く、低く、押しつぶすように広がっていた。
匂いがする。
焦げたような、金属のような、
どこかで嗅いだことのある、不快な匂い。
遠くで音がした。
遅れて届く、重い振動。
地面がわずかに揺れる。
ユウトは空を見上げたまま、立ち止まる。
隣に立つ少女——
まだ名前を知らないその存在も、同じ方向を見ていた。
最初の一滴が落ちた。
地面に触れた瞬間、
じゅっ、と小さな音がする。
ユウトは反射的に一歩下がる。
二滴、三滴。
やがて、それは“雨”になった。
黒い。
完全な黒ではない。
濁った灰と、油のような光を含んだ色。
地面に触れるたび、小さな煙が上がる。
「——屋内への退避を推奨します」
少女が言う。
声は変わらない。
冷静で、揺れがない。
遠くで誰かが叫ぶ。
「中に入れ! 触れるな!」
別の方向からは、扉を叩く音。
閉じる音。
何かが拒まれる音。
ユウトは走り出した。
崩れかけた建物の影に滑り込む。
半分だけ残った屋根。
完全ではないが、直撃は避けられる。
呼吸が荒い。
雨は強くなっていく。
外に、人影があった。
ひとり。
立ち尽くしている。
動かない。
ユウトは一瞬、迷う。
「——接触は推奨されません」
少女が言う。
「皮膚への影響は不明ですが、有害である可能性が高いです」
正しい。
間違っていない。
ユウトは、息を整える。
そして——
外へ出た。
腕で顔を庇いながら、数歩。
距離は短い。
その人の手を掴む。
熱い。
いや、冷たいのかもしれない。よく分からない。
引く。
抵抗はなかった。
建物の中へ引き入れる。
雨が背中を打つ。
じり、と嫌な感触が残る。
中に入った瞬間、音が少し遠くなる。
その人は、何も言わない。
ただ、座り込む。
ユウトも壁にもたれる。
息が整わない。
少女がこちらを見ていた。
琥珀色の瞳。
わずかに揺れているようにも見える。
「その行動は、合理的ではありません」
静かな声。
ユウトは笑わなかった。
ただ、短く答える。
「……知ってる」
雨の音が続く。
その時だった。
奥の暗がりで、何かが動いた。
小さな影。
ゆっくりと、こちらに近づいてくる。
猫だった。
細い体。
汚れている。
だが、目ははっきりしている。
そして——
尾の先だけが、わずかに光っていた。
火のように。
揺れる、小さな橙色。
猫は立ち止まる。
ユウトを見るでもなく、少女を見るでもなく、
ただ、その場にいる。
外では黒い雨が降り続いている。
その中で——
その小さな光だけが、消えなかった。
少女が、わずかに首をかしげる。
「……未確認の生体反応です」
猫は答えない。
ただ、静かに座る。
尾の火が、ゆらりと揺れる。
誰も説明しない。
誰にも分からない。
それでも——
そこに、確かに存在していた。




