第1話「52度」
摂氏五十二度。
空は、異様なほど青かった。
雲がない。
風もない。
ただ、光だけが降り注いでいる。
アスファルトが揺れて見える。
遠くの建物は歪み、蜃気楼みたいに崩れていた。
ユウトは歩いていた。
影を探している。
それだけだった。
靴の底越しに、熱が伝わる。
立ち止まれば、足の裏が焼ける気がした。
セミはいない。
この季節なら、うるさいくらい鳴いているはずだった。
代わりに聞こえるのは——
誰かの息。
遠くで、短く、途切れる音。
振り向かない。
見ると、動けなくなる気がした。
ポケットの中のペットボトルを確かめる。
半分も残っていない。
ユウトは、ひび割れた地面を見た。
しゃがみこむ。
キャップを開ける。
一瞬、ためらう。
そして、水を少しだけ傾けた。
透明な線が、乾いた土に吸い込まれていく。
音はしない。
無意味かもしれない。
それでも、手を止めなかった。
——そのときだった。
影が、落ちた。
雲ではない。
この空に、雲はない。
ゆっくりと振り向く。
そこにいたのは、少女だった。
銀色の髪。
光を反射して、輪郭がぼやける。
風はないのに、わずかに揺れている。
琥珀色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
まばたきが、少し遅い。
「……大丈夫ですか」
声はやわらかい。
だが、どこか正確すぎる。
ユウトは何も言えなかった。
少女は続ける。
「この環境では、三分以内に意識を失う可能性があります」
事実だけを告げる声。
差し出された手に触れる。
冷たい。
この世界に存在してはいけない温度だった。
「……誰だよ」
少女は一瞬だけ間を置く。
「私は——」
言いかけて、空を見上げた。
ユウトもつられて見る。
青すぎる空。
何も起こっていないような空。
少女は小さく言った。
「きれいですね」
一拍。
「——正常ではありません」
ユウトは何も答えなかった。
ただ、もう一度地面を見る。
さっき落とした水は、もう消えていた。
それでも——
彼は、手を止めなかった。




