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婚約破棄の瞬間、前世が戻りました ~元女子高生、今世は自分のために生きます~  作者: 楠木 悠衣


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第5話 触れる温度

 白い光が視界いっぱいに広がった。


 眩しい、というより、熱い。


 空気が震えている。


 地面が低く唸っている気がした。


 エレーナは反射的に目を閉じた。


 ――まずい。


 本能でそうわかった。


 今までの暴発とは違う。


 体の奥にあるものが、一気に外へ溢れ出そうとしている。


 怖い。


 そう思った瞬間、さらに魔力が膨れ上がった。


「落ち着け!」


 ヴァルターの声が響く。


 同時に、強い力で肩を掴まれた。


「俺を見ろ、エレーナ」


 低く、よく通る声だった。


 不思議と、その声だけははっきり聞こえる。


 エレーナは震えながら目を開けた。


 目の前にヴァルターがいる。


 鋭い青灰色の瞳。


 いつも通り厳しい顔。


 けれど今は、その奥に焦りが見えた。


 この人でも、こんな顔をするんだ。


 ぼんやりと、そんなことを思った。


「呼吸しろ」


「……っ」


「吸って、吐け」


 エレーナは必死に息を吸う。


 熱い。


 苦しい。


 心臓が速い。


 まるで前世で倒れる直前みたいだった。


 その瞬間、ふいに恐怖が蘇る。


 教室。


 積み上がった参考書。


 霞む視界。


 ――死にたくない。


 思った瞬間、魔力がさらに暴れた。


 空気が裂けるような音がした。


 庭の噴水が轟音を立てて吹き上がる。


「エレーナ!」


 ヴァルターが舌打ちした。


 次の瞬間、彼の魔力が一気に流れ込んでくる。


 冷たい銀色の光。


 暴走しかけた熱を、外側から包み込むように抑え込んでいく。


 エレーナは息を呑んだ。


 触れられている。


 魔力に。


 不思議な感覚だった。


 怖かったはずなのに、少しずつ落ち着いていく。


 冷たい水に沈められるみたいに、熱が静まっていく。


「そうだ。そのまま」


 ヴァルターの声が近い。


「俺の魔力を感じろ」


 エレーナは目を閉じた。


 銀色の流れ。


 静かで、重くて、揺るがない。


 ヴァルター本人みたいだ、とふと思った。


 無愛想で。


 不器用で。


 でも妙に安心する。


「……できるな」


 低い声が落ちてくる。


 エレーナは小さく頷いた。


 すると暴れていた熱が、少しずつ形を変え始めた。


 荒れ狂う波が、ゆっくり凪いでいく。


 やがて、庭を覆っていた光が静かに消えた。


 風が止む。


 噴水の水音だけが残った。


 しばらく、沈黙。


 エレーナは大きく息を吐いた。


「……生きてる」


「当たり前だ」


 頭上から即答された。


 エレーナはゆっくり顔を上げる。


 ヴァルターがすぐ近くにいた。


 近いどころではない。


 ほとんど抱き込まれているような体勢だった。


 エレーナは数秒固まる。


 ヴァルターも、その沈黙でようやく気づいたらしかった。


「……」


「……」


 微妙な空気が流れる。


 先に目を逸らしたのはヴァルターだった。


「立て」


「はい……」


 エレーナは妙に素直に返事をした。


 体を離される。


 けれど離れた瞬間、少しだけ心細いと思ってしまって、エレーナは自分で驚いた。


 なんなんだろう、これ。


 ヴァルターはそんな彼女を見て、眉を寄せる。


「まだふらつくか」


「少しだけ」


「無理をするな」


 その言葉に、エレーナは小さく瞬いた。


 前世では、無理をするな、なんてほとんど言われなかった。


 頑張って当然。


 できて当然。


 そういう空気の中にいたから。


「……閣下って」


「なんだ」


「意外と過保護ですよね」


 言った瞬間、ヴァルターが露骨に顔をしかめた。


「違う」


「でもさっき、すごく焦ってませんでした?」


「当然だ」


「やっぱり」


「お前が暴走したら帝都の一角が吹き飛ぶ可能性がある」


「急にスケールが怖い」


 エレーナは引きつった。


 ヴァルターは真顔のままだ。


「だからお前を死なせるわけにはいかない」


 さらりと言われたその言葉に、エレーナは一瞬返事を失った。


 死なせるわけにはいかない。


 その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。


 ヴァルターは気づいていないのか、そのまま続けた。


「制御が安定するまでは、できる限り俺が側につく」


「え」


「朝だけでは足りん」


「いや、それって」


「今日から護衛を兼ねる」


 エレーナは目を瞬いた。


「公爵閣下が?」


「ああ」


「……そんな暇なんですか」


「暇ではない」


 即答だった。


「だが帝国から正式に任されている」


 そこでヴァルターは少しだけ視線を細めた。


「本来なら、もっと早く介入する予定だった」


「予定?」


「お前の封印は、十八になる前に不安定化する兆候があった」


 エレーナは眉を寄せる。


「じゃあ、どうして」


 ヴァルターは数秒黙った。


 その沈黙は、今までと少し違った。


 言うべきか迷っているような間。


「……お前の婚約があったからだ」


「婚約?」


「イグナーツ侯爵家が介入を嫌がった」


 エレーナは言葉を失った。


「待ってください。私の制御より、婚約を優先したってことですか」


「表向きは、“呪い持ちの令嬢を刺激しないため”だった」


「表向き、ってことは」


「実際は違う」


 ヴァルターの声が少し低くなる。


「侯爵家は、お前の力を把握しきれていなかった。だから帝国側の介入を避けた」


 エレーナはゆっくり息を吐いた。


 なんだか、笑えてくる。


 婚約破棄されたと思ったら、実は命に関わる問題を放置されていたらしい。


 情報量が多い。


「……私、思ったより危ない状況でした?」


「かなり」


「今さら怖くなってきたんですけど」


「今さらか」


 ヴァルターが呆れたように言う。


 でもその声は少しだけ柔らかかった。


 エレーナは庭のルクレツィアを見る。


 白い花びらが風に揺れている。


 今朝と同じ景色なのに、少しだけ違って見えた。


「閣下」


「なんだ」


「助けてくれて、ありがとうございました」


 ヴァルターが黙る。


 エレーナは続けた。


「さっき、本当に怖かったので」


 正直に言うと、ヴァルターはなぜか少し視線を逸らした。


「……礼を言われることではない」


「でも言いたいんです」


「そうか」


 短い返事。


 でもその耳が、ほんの少しだけ赤いことにエレーナは気づいた。


 ――あ。


 この人、照れてる。


 その発見が、なぜだか少し嬉しくて。


 エレーナは思わず、くすりと笑った。


 ヴァルターが即座にこちらを見る。


「なんだ」


「いえ、別に」


「今、絶対に何か思っただろう」


「気のせいです」


「顔に出ている」


 またそれだった。


 でも今度は、エレーナも少しだけ思った。


 顔に出ているのは、案外この人の方かもしれない、と。

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