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第7章 不幸なお姫様だわ、私。三ヶ月前から、デートの準備をされていた。

二日目の宿は、山の中にあった。


山道を登るにつれて、空気が変わった。

湿った、柔らかい空気だ。


「この先に、温泉があります」


レックが馬を並べながら言った。


「温泉?」


「はい。この山は、良質な温泉で有名でして」


私は山を見た。

緑が深い。

ヴァルハラの山とは、違う緑だ。


「この町に宿を取るのか」


「はい」


「決まっているのか」


「はい」


レックは真顔だった。


「三ヶ月前から、予約しております」


私は固まった。


「……三ヶ月前?」


「はい」


「三ヶ月前から、この宿を?」


「はい」


「なぜ三ヶ月前に」


レックは少し間を置いた。

咳払いをした。

一つだけ。


「殿下が、姫様をお連れする際には、この宿に泊まっていただこうと」


三ヶ月前。

戦の、前だ。

ち、ちょっと待って。

心の中で、素の声が爆発した。


戦う前から予約してたの?

私を連れていくことが、決まってたの?

三ヶ月前から?


「……食材も、吟味しているのか」


「よくおわかりで」


「なんとなく聞いた」


「はい。殿下のご指示で、この地方の特産品を中心に、姫様のお好みに合わせた献立を料理人と相談しております」


私は前を向いた。

レオスの背中が見えた。

白い軍装のまま、馬を進めている。

三ヶ月前から。

戦う前から。

私を連れてデートする計画を、立てていた男の背中が。

……なんなのよもう。


心の中で、素の声が静かになった。

宿は、小さかった。

だが、温かみがあった。

木の香りがする宿だ。

石畳の中庭に、湯気が立っている。

露天の湯だ。


「姫様、お部屋にご案内します」


仲居が言った。

この宿の人間だ。

丁寧だ。

馬鹿丁寧だ。

部屋は、広かった。

また広い。

窓から中庭が見える。

湯気が、夕暮れの光の中に溶けている。


きれいだった。

……きれいじゃない。

心の中で、素の声が呟いた。

認めたくないけど、きれいだわ。


「姫様」


レックが戸を叩いた。


「何だ」


「殿下からでございます」


また届け物だ。

扉を開けると、レックが小さな籠を持っていた。

中に、菓子が並んでいる。

白い菓子だ。


「この地方の銘菓でございます」


レックは言った。


「温泉の湯を使って作る、求肥でございます。中ははちみつ餡です」


「……はちみつ、また」


「姫様がお気に召すかと思い、殿下が選ばれました」


昨日のレモネードを、覚えていたのか。

おいしそうに飲んでいたのを。

……覚えていたのね。

心の中で、素の声が小さくなった。


「レック」


「はい」


「殿下は今、何をしている」


「温泉の手配を確認しておいでです」


「手配?」


「はい。姫様が夕刻にお入りになれるよう、露天を一刻ほど貸し切りにしております」


「……貸し切りか」


「はい」


「私一人で入れるようにか」


「はい」


「気を遣えるのか」


「その点だけは」


その点だけは、ね。

……その点だけは、ちゃんと気を遣えるのよね。

私は菓子を一つ、口に入れた。

柔らかかった。

甘かった。

はちみつの優しい甘さが、口の中に広がった。

……おいしい。

なんなのよもう。


「レック」


「はい」


「一つ聞いていいか」


「どうぞ」


「殿下は、私がこういうものを、喜ぶと思っているのか」


レックは少し間を置いた。


「思っておられます」


「なぜ」


「姫様は、王宮の端っこで育たれたと、殿下は仰っておりました」


私は固まった。


「……知っているのか」


「はい」


「妾腹だということも」


「はい」


「それでも」


「それでも、でございます」


レックは真顔だった。


「姫様が、本来受け取るべきだったものを、受け取っていらっしゃらなかったと」


私は窓の外を見た。

湯気が、まだ立っている。

柔らかい湯気が。


「……大袈裟だ」


「そうでしょうか」


「私は戦えた。生きてきた。それで十分だ」


「姫様」


レックが、静かに言った。


「生きてきただけで十分、というのは、十分ではないと思います」


私は何も言えなかった。

また、図星だった。


「……お前は、本当に喋りすぎだ」


「申し訳ございません」


「謝るなら、少し黙れ」


「はい」


レックは黙った。

一瞬だけ。


「姫様、温泉の用意が整いましたら、お声がけいたします」


「……わかった」


私は菓子をもう一つ、口に入れた。

また、おいしかった。

悔しいくらい、おいしかった。


窓の外で、湯気が夕暮れに溶けていく。

三ヶ月前から、この景色を用意していた男がいる。

私が喜ぶかもしれないと、はちみつの菓子を選んだ男がいる。

妾腹で、捨て駒で、端っこで育った私に。


不幸なお姫様だわ、私。


温泉の湯が、

悔しいくらいきれいだった。

大切にされるほど、

自信がなくなっていく。

なんなのよもう。

それなのに。

菓子が、おいしかった。

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