第6章 不幸なお姫様だわ、私。大切にされるほど、自信がなくなる。
王都への道は、三日かかると言った。
三日。
レオスと、レックと、三日間。
……三日間も?
心の中で、素の声が呟いた。
まあいい。
覚悟を決めた。
最初の宿に着いたのは、日が傾いた頃だった。
小さな町だ。
だが、きれいな町だ。
石畳が整っていて、花が咲いている。
ヴァルハラとは、違う花だ。
「姫様、お部屋のご用意が整っております」
レックが言った。
部屋は、広かった。
捕虜に。
客人に。
広い部屋が、ある。
窓から、町が見える。
夕暮れの町が。
……きれいね。
心の中で、素の声が静かに言った。
私は窓から目を離した。
甲冑を外した。
慣れた作業だ。
一人でできる。
誰かに頼んだことがない。
「姫様」
レックが戸を叩いた。
「何だ」
「殿下からでございます」
扉を開けると、レックが盆を持っていた。
グラスが一つ。
薄黄色の液体が、泡立っている。
「この町は、はちみつが特産品なのだそうです」
レックは言った。
真顔だった。
「それを使ったレモネードも絶品と噂で、近くの炭酸泉で割ったものをご用意いたしました」
私はグラスを見た。
泡が、細かい。
はちみつの色だ。
「……殿下が?」
「はい」
「私に?」
「はい」
「なぜ」
レックは少し間を置いた。
「姫様に、おいしいものを飲んでいただきたいと」
おいしいものを。
飲んでいただきたい。
ち、ちょっと待って。
心の中で、素の声が騒いだ。
それだけの理由で?
特産品を調べて、炭酸泉で割って、届けてくれるの?
私に?
「……わかった」
私はグラスを受け取った。
一口、飲んだ。
甘い。
酸っぱい。
泡が、はじける。
おいしい。
……おいしいじゃない。
なんなのよもう。
「レック」
「はい」
「殿下は、今何をしている」
「姫様がレモネードをお気に召すかどうか、大変気にしておいでです」
「……気にしているのか」
「廊下で待っております」
「また廊下か」
「はい」
私はグラスを持ったまま、窓の外を見た。
夕暮れの町。
知らない花。
知らない甘さ。
……なんで。
心の中で、素の声が静かになった。
なんで私なのよ。
妾腹の、捨て駒の、私なのよ。
王宮の端っこで育って、騎士として戦って、生贄にされた私に。
なんでこんなに。
「レック」
「はい」
「一つ、聞いていいか」
「どうぞ」
「殿下は、なぜ私なのだ」
レックは少し間を置いた。
今度は、長い間だった。
「姫様」
「何だ」
「殿下に、直接お聞きになりますか」
「……聞けるか、そんなこと」
「では、私が答えてもよろしいですか」
「どうぞ」
レックは真顔だった。
いつも通りの、真顔だった。
「殿下は、三年前の春、姫様を初めてご覧になった時に、仰いました」
「何と」
「あの人が、ニアだ、と」
私は固まった。
「それだけか」
「それだけです」
「理由は」
「理由は、なかったそうです」
理由は、なかった。
ただ、そう思った。
ただ、そう決めた。
三年前の春に。
……なんなのよそれ。
心の中で、素の声が震えた。
理由がないって、どういうことよ。
理由がないのに、三年間。
理由がないのに、レモネードを届けて。
理由がないのに、廊下で待っていて。
「姫様」
レックが、静かに言った。
「大切にされることに、慣れていらっしゃらないのですね」
私は、何も言えなかった。
図星だった。
「……うるさい」
「申し訳ございません」
「お前は、喋りすぎだ」
「よく言われます」
「誰に」
「殿下に」
私は小さく笑った。
笑ってしまった。
しまった、と思ったが、遅かった。
レックが、少しだけ目を細めた。
嬉しそうだった。
「姫様」
「何だ」
「よく似合っております」
「何が」
「笑顔が、でございます」
私はグラスに目を落とした。
レモネードが、まだ泡立っている。
細かい泡が、はじけている。
……よく似合っている。
笑顔が。
誰かにそんなことを言われたのは、いつぶりだろう。
覚えていない。
覚えていないくらい、前のことだ。
不幸なお姫様だわ、私。
レモネードが、おいしかった。
大切にされるほど、
自信がなくなっていく。
なんなのよもう。
それなのに。
笑ってしまった。




