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第8章 不幸なお姫様だわ、私。物量攻撃と言われた。

温泉は、よかった。


認めたくないが、よかった。

レモンが浮かんでいた。

丸ごと、いくつも。

いい香りだった。

悔しいくらい、いい香りだった。


湯は柔らかくて、空は星が出ていて、湯気がゆらゆら漂っていて。

……よかったわよ。

心の中で、素の声が白状した。

すごくよかったわよ。

絶対言わないけど。


部屋に戻って、髪を乾かしていると、レックが戸を叩いた。


「姫様、夕食の用意が整いました」


「わかった」


食堂に向かうと、テーブルに料理が並んでいた。

この地方の料理だ。

見たことがないものもある。

だが、どれもいい匂いがした。


「お顔の色がよくなりましたね」


レックが言った。

真顔だった。


「……そうか」


「はい」


「温泉のおかげだ」


「はい」


「それだけだ」


「はい」


レックは一拍置いた。


「物量攻撃が効いているようでなによりでございます、姫様」


私は固まった。


「……物量攻撃、と言ったか今」


「はい」


「自覚があるのか」


「殿下のご指示でございますので」


「つまり、作戦なのか」


レックは黙った。

珍しい。


「レック」


「はい」


「今、黙ったな」


「………」


「認めたくないのか」


「姫様のご想像にお任せいたします」


私は椅子に座った。

作戦。

レモネードも。

温泉のレモンも。

はちみつの菓子も。

全部、作戦。


……わかってたわよ。


心の中で、素の声が呟いた。

わかってたわよそんなこと。

わかってて、でも。

レモンのお風呂、よかったのよ。


「レック」


「はい」


「殿下は今、どこだ」


「隣の部屋でございます」


「隣?」


「はい」


「なぜ隣なのだ」


「姫様の近くにいたいと」


「………」


「ただし、姫様がお嫌でなければ、と条件をつけておいでです」


私は料理に箸をつけた。

おいしかった。

また、おいしかった。


「レック」


「はい」


「殿下に、伝えろ」


「はい」


「……嫌ではない、と」


レックは少し間を置いた。

表情が、微妙に動いた。

嬉しそうだった。

明らかに、嬉しそうだった。


「かしこまりました」


「そんな顔をするな」


「申し訳ございません」


「喋りすぎだぞ、お前は」


「よく言われます」


「誰に」


「殿下に、と姫様に」


私は窓の外を見た。

夜の山が、静かだ。

星が、よく見える。


ヴァルハラでも、星は同じだろうか。

同じかもしれない。

だが、こんなふうに見たことは、なかった気がする。


「姫様」


レックが、静かに言った。


「明日、ニーゲルスに着きます」


「……わかっている」


「殿下は、姫様のお気持ちのままに、と仰っております」


「城を狩るかどうかも?」


「はい」


「本気か」


「至って本気でございます」


私は星を見たまま言った。


「……狩らないかもしれない」


「はい」


「怒りが、少し、薄れた気がする」


「はい」


「物量攻撃のせいだ」


「はい」


「……認めたくないが」


レックは何も言わなかった。

今度は、ちゃんと黙っていた。

賢い従者だ。

たまに、賢い。


私は料理を食べ続けた。

全部、おいしかった。

全部、三ヶ月前から準備されていた味だった。


不幸なお姫様だわ、私。


物量攻撃と言われた。

しかも、

隣の部屋が、嫌ではなかった。

なんなのよもう。


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