第4章 不幸なお姫様だわ、私。皇太子は何も考えていないらしい。
朝が来た。
敵国の朝だ。
天幕の外から、鳥の声がした。
知らない鳥の声だ。
私はヴァルハラの朝を思った。
城の窓から見える、靄がかかった森。
厩舎の馬の声。
父の怒鳴り声。
……父か。
私を捨てた父か。
「姫様、朝食をお持ちしました」
レックが入ってきた。
盆を持っている。
湯気が立っている。
「……随分と早い」
「殿下が、姫様の好みを調べるようにと」
「好みを」
「はい。ヴァルハラ王国の食事に近いものをと、料理人に指示が出ております」
私は盆を見た。
確かに。
見覚えのある料理が並んでいる。
完璧ではない。
だが、近い。
……近いわよ。
心の中で、素の声が呟いた。
なんで近いのよ。
どこで調べたのよ。
「……いつ調べた」
「三年ほど前から、少しずつ」
三年。
またその数字が出た。
三年前から、私の好みを。
ち、ちょっと待って。
心の中が、忙しくなった。
三年間、戦いを見ながら、好みまで調べてたの?
どういうことなの?
どういう熱量なのよそれは?
私は椅子に座った。
「レック」
「はい」
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「あいつは、何を考えているんだ」
レックは真顔で私を見た。
私も真顔でレックを見た。
沈黙。
レックは、ゆっくり頷いた。
「そうでしょう」
「そうだろう」
「そうでございます」
私は少し安心した。
この従者は、話がわかる。
「だから聞く。あいつは何を考えている」
レックは間を置いた。
咳払いをした。
一つだけ。
「大丈夫です、姫様」
「何がだ」
「殿下は、何も考えておられません」
私は固まった。
「……今、何と言った」
「何も考えておられません」
「それは、どういう意味だ」
レックは真顔のまま続けた。
「姫様が美しい、共にいたい、ただそれだけでございます」
ただそれだけ。
ただそれだけで。
ち、ちょっと待って。
心の中で、素の声が爆発した。
それだけで三年間見てたの?
それだけで好みを調べてたの?
それだけで甲冑を磨いて剣を返して朝食まで用意するの?
な、なんなのよその一途さは!
「……それだけで、3万の軍を動かしたのか」
辛うじて、戦場の口調で返した。
「はい」
「それだけで、私の部下を帰したのか」
「姫様が望むと思ったので」
「それだけで、私の好みを三年かけて調べたのか」
「はい」
私は天井を見た。
「……正気か」
「至って正気です」
「それが正気なのか」
「殿下基準では」
殿下基準。
新しい単位だ。
恐ろしい単位だ。
「レック」
「はい」
「お前は、長年殿下の側にいるな」
「幼い頃から」
「苦労したな」
レックは少し間を置いた。
表情が、微妙に動いた。
「……ありがとうございます」
初めて、本音が出た気がした。
私は朝食に手をつけた。
味は、悪くなかった。
三年かけて調べた料理だ。
悪いわけがない。
それが、また。
……それが、また、なんなのよ。
心の中で、素の声が静かになった。
腹が立つはずなのに。
腹が立つはずなのに、なんで。
「レック」
「はい」
「殿下は今、何をしている」
「天幕の外で、姫様が朝食を召し上がるのをお待ちです」
「……外で待っているのか」
「はい」
「なぜ中に来ない」
「姫様がお嫌かもしれないので」
「気を遣えるのか」
「その点だけは」
その点だけは。
その点だけは、ね。
……その点だけは、ちゃんと気を遣えるのね。
心の中で、素の声が小さく笑った。
笑ってどうするのよ私。
落ち着きなさい。
私は窓の方を見た。
天幕の布越しに、朝の光が差している。
あの光の向こうに、レオスがいる。
何も考えていない皇太子が。
ただ、私と共にいたいだけの男が。
待っている。
不幸なお姫様だわ、私。
朝食を食べながら、
皇太子が外で待っていると知った。
しかも三年かけて調べた料理が、
おいしい。
なんなのよもう。




