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19 過去の彼

 私たちが出会った当初、彼が外の虫の音を聞いていたときがあった。

その時は、生態系調査?か何かは忘れたが、とある外出の仕事により一緒に馬車に乗って王様の護衛兼町中の調査に行ったことだったと思う。

馬車に乗っているのだけは本当だった。前後に一体化した椅子がある、密閉された木の馬車であり、その椅子に向き合って座っていた。私の隣には護衛の兵士がいた。物静かで、その時は激しい馬車の揺れの中寝ていた。

私はまだ見知らぬ彼に、少し慣れてきたファランの言語で話しかけた。そのぼーっとしている姿が何をしているのかと不思議に思ったので、獣人特有の習性だろうかと思ったのだ。

「すみません、何をしているんですか?」

「え、……あ、あぁ、話せる人(通訳者)ですか。」

 彼とまだあったばかりなので、相手も私も緊張していた。目もきょろきょろとして落ち着かない。今みたいな静かな夜の中、一点を見つめていた。

「私は、彼らの音を、聞いてるんです。」

「彼らの?」

「えぇ、たしか、人間でいうと「虫」という生物です。」

「虫……」

 発音が苦手なのか、虫の発音が息を吐いただけの音になっていた。

 彼の人語は未だちょと変なところはあるが、スラスラと話せて普段の生活上なんら影響のないレベルにまでなってきている。だがこのときはまだ獣人の言葉の名残が大きく残っていた。それが少し、私にとってはかわいげのある声であった。

 虫の音を聞く、という感覚は人間にはなく、あまり把握ができなかった。聞いていたとしても、不快な雑音程度にしか聞こえない。

「そうなんだ。私には音にしか聞こえないけどな……」

「ははは、獣人族は、耳が良い。だから、虫の音も、音楽みたいに、聞こえる。」

「へぇ。なんだかそれって、感性豊かだね。」

「かんせいゆたか?」

 彼は首を傾げた。興味ありげにまっすぐ私を見ながら。

どうやら人語特有の言葉だったらしい。私は丁寧にやさしく、その感性豊かということを教えてあげた。心の感じたことの数が多い、ということを伝えた。

 その虫の羽とかのほんのちょっとした一つの出来事から、心の中でたくさん想像ができることだ、とざっくりは教えたような記憶がある。

「なるほど。かんせい、ゆたか……かんせいゆたかかんせいゆたか……覚えたよ。」

「本当に?」

「うん、優しく教えてくれた、のでわかった。」

「ありがとうね。」

 彼はとてもうれしそうに微笑んだ。私と同じように学習するのが好きなのだろう。

 少し気まずく感じてしまったが、なんだか悪い雰囲気ではなかった。むしろ心地よいと言うか、安心できる空気感が私達を取り巻いている。宝石を見ているときの感覚だ、と直感した。


 私はその時、彼に一目惚れしたのだろうと思う。


 今でも顔を見ると頭に思い浮かぶ、最高の顔。

黄昏てボーッと一点を見つめているが、少し照れていて、人慣れしていなく緊張しているのが伝わる。とくに口元が動いている。そのピクリピクリと動く口に、私はか弱さを感じた。

彼は獣人でとてもたくましいのに、精神がまだ幼稚で、守ってあげたいと思った。

気まずさを和らげるために、話を振った。何気ない話だ。

「私、将来の夢は世界の言語をすべて知ることなんだ。」

「言語?なに、それ」

 彼は首をかしげた。につられて私の顔も動いていた。

「言葉だよ。それぞれの地域で話されている特有の言葉を、言語っていうんだ。」

「そうなんだ。いろんな言い方があるのかい?」

 彼は立て直し、先ほどとは反対方向に首をかしげた。それにつられてまた私の顔も動いていた。

「うん。その言語っていうのがね、全く違っていて、面白いんだあ。だってさ、同じことを話してるはずなのに、全然違って聞こえるんだもん。私はそれを全部覚えたり辞書を作ったりして、おばあちゃんになったころには全部話せるようになるの。わっと驚かれるくらいにね。」

 身振り手振りをつけながら話していると、彼が笑顔になっていった。私の話を面白く聞いていて、否定もしない優しい獣人なのだろう。

ファランの言語で話していても、隣にいた護衛がこちらを見ている。何を言っているのかさっぱりわからず、ポカンとしている様子であった。

彼が、ファランの言語で話す。

「夢があるね。とても。辛いけど、できたら歴史に残りそうなくらい、夢がある。」

 人間語とは少し違うニュアンスでゆっくりと話してくれた。まだ緊張が残っている。

 それに、彼は私の果てしない夢を受け止めてくれた。とてもあっさりと。

「でしょ?それに私は、かっこいいと思ったんだ。言語を知ることで世界を知って、いろんな事を知って、神様並みになんでも知っていたい。」

「神様?神様になる、つもりなの?」

「違うよ!そんな全知全能の神ってわけじゃないけど……でも、なれるならなりたい!楽しそうだし」

「フフッ……おもしろいね。」

 彼は笑った。

私の夢をばかにするような冷笑ではなく、純粋におもしろいときの笑いだ。その笑顔を見て心があったまった。だが同時に不思議にも思った。なんにもおもしろい要素なんかないのに。

「とっても素敵だと思う。僕は、その夢を応援してる……かも。」

「かも?」

「かもっていうか……うーん、いいことばが見つからない……」

「そゆことか」

 彼は必死に考えて言葉を絞り出そうとしたが、結局思い付かず愛想笑いをしていた。私もつられて愛想笑いをする。

「……わからないから、応援してるって、ことにする。」

「ふふふ、ありがとう」

 私は彼がしょんぼりしているのを見ていると、なぜか笑えてくる。彼の普段の見た目からは考えられない顔だからだろうか。


 それにしても、この時彼は何を言いたかったのだろう。未だ、その言葉は不明である。

 しかし、悪い意味ではないのは顔としぐさからわかった。獣人属は大抵嘘をつくときに髭が動くか尻尾が立つとどこかの本で読んだ記憶がある。

その本には、「尻尾が揺らいでいるときは、まんざらでもないサインである。」ともあった。ちょうど私は彼の尻尾が揺らいでいたのを見ていた。応援してる気持ちは、嘘ではないのだろう。

「……どうしたの?なんかついてる?」

「あっいや、ついてないよ何も」

 気がついたら彼に見とれてしまっていたようだ。尻尾を見ていたつもりが、いつの間にか視線は彼の腰に向いていた。

 もちろん腰には何もついてない。

ただくしゃくしゃにまとめられた手拭きの跡がポケットから浮き出ているだけだ。

「あっ、ゴミついてる」

 彼がそういうと次の瞬間、顎をつかまれて彼と視線を合わせられてしまった。顔が火照り、

 もう片方の手を伸ばし、私の頬を2、3回はらった。

「パンの食べかす、ついてる」

「げ」

 さっきあまりにもお腹が減ったのでパンを食べていたのだが、それが残っていたようだ。

あまりにも恥ずかしくってその後も顔を何度かはらって何もついてないか確認した。

こりゃ失礼なことをしてしまった……。と私は深く後悔するのであった、


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