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白狐の尾は江戸へ続く ――館林赤井氏、流浪の三代――  作者: 水川仁


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第六章 根無し草の十四年

対岸へ着いた一行は、そのまま忍を目指した。


歩いても、歩いても、着かなかった。


沼と葦原が、どこまでも続いていた。


三日目の朝、供はすでに七人になっていた。


飢えと寒さが、静かに命を削っていく。


それでも文六は歩き続けた。


背には、祖父の声がある。


――城は焼けても築き直せる。


その声だけを頼りに、足を前へ出した。


 


忍城下へたどり着いたとき、文六は客分として迎えられた。


表向きは、そうだった。


「上野の御曹司がお着きになった。」


北条の家臣たちは、口々にそう言った。


言葉は丁寧だった。


だが、目は違った。


 


城を焼かれた者に、居場所などない。


それは、誰も口にしないが、誰もが知っている掟だった。


 


最初の一年は、まだ客人としての扱いを受けた。


二年目、扶持は半分に減らされた。


三年目、屋敷を追われ、城下の外れへ移された。


 


藁葺きの小屋だった。


雨の日は、天井から泥水が落ちてきた。


冬は、隙間風が骨まで刺した。


 


「上州の国衆風情が。」


「城一つ守れなんだ男よ。」


そうした声は、日を追うごとに増えていった。


文六は、何も言い返さなかった。


言い返す力すら、もう残っていなかった。


 


老臣は、三年目の冬に死んだ。


最期まで、文六の傍を離れなかった男だった。


「殿……館林を……。」


それだけを言い残し、目を閉じた。


 


文六は、その亡骸を自らの手で埋めた。


墓標はなかった。


小さな石を一つ、置いただけだった。


 


 


歳月は、容赦なく過ぎた。


文六は、忍の百姓の娘を娶った。


身分違いだと、周囲は笑った。


だが、文六には、もう身分と呼べるものなど残っていなかった。


 


天正の初め、男児が生まれた。


忠家、と名づけた。


 


赤井の家に伝わる通字ではない。


かつての家臣たちは、皆すでにいない。


異を唱える者は、誰もいなかった。


 


文六は、その幼子を抱きながら、一度だけ呟いた。


「お前だけは……泥にまみれさせぬ。」


 


その願いは、叶わなかった。


 


 


忠家が十四になった年、文六は病に倒れた。


長年の無理が、一度に押し寄せてきたようだった。


 


小屋の中は、暗かった。


外では、雨が音もなく降っていた。


 


「忠家……。」


痩せた手が、伸びる。


忠家は、その手を強く握った。


 


「わしは、城を守れなんだった。」


 


声は、掠れていた。


 


「稲荷への恩も……返せなんだ。」


 


忠家は、何も言わなかった。


言葉が、見つからなかった。


 


「よいか……。」


 


文六の目が、忠家をまっすぐに見た。


十四年前、燃える尾曳城を見つめたときと、同じ目だった。


 


「館林へ、戻れ。」


 


「あの土地には……まだ狐が棲んでおる。」


 


「尾曳の縁を……絶やすな……。」


 


「戻るのだ……館林へ……。」


 


それが、赤井文六の最期の言葉となった。


享年、四十九。


 


 


亡骸を野へ送った翌朝、忠家は北条の家臣に呼び出された。


「文六殿の忘れ形見か。」


「ふん、痩せぎすの小僧よな。」


差し出されたのは、わずかな餞別だった。


言葉にはされなかったが、意味は明らかだった。


 


――出て行け。


 


忍城に、もはや赤井の血を養う理由はない。


 


 


忠家は、その日のうちに忍を発った。


 


行く当てはなかった。


祖父の——いや、父の遺言にあった「館林へ戻れ」という言葉だけが、胸にあった。


 


戻ったところで、そこにはもう城もない。


家臣もいない。


ただ、狐の棲む土地があるだけだ。


 


十四の少年が背負ったのは、一振りの刀。


祖父・照光より伝わる短刀。


父の位牌。


そして——誰にも証明できぬ「元・館林城主の血筋」という、あまりに軽く、あまりに重い名だけだった。


 


利根の川風が、根無し草の草鞋を叩く。


 


執念は、まだ終わっていなかった。

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