第27話「今日のわたしと、昨日のパーツと」
四十二日目の朝、廊下を歩いていたら、輪廻ちゃんとすれ違った。
輪廻ちゃんは好代より頭半分ほど低い。水色と赤の入り混じった髪が、耳の後ろで二つに結わえてある——でも両側で結び方が違った。片方は普通の結び方で、もう片方はもっと適当だ。制服の上に白衣を羽織っていて、袖から出ている左腕に、細い縫合跡が何本かある。
「おはよう」と輪廻ちゃんが言った。声は明るい。
「おはようございます」と好代は言った。
すれ違いかけて、においを嗅いだ。
輪廻ちゃんのにおいが——複数ある。
いつものにおい。調理場のにおい。それから、いくつかの「違うにおい」が部分的に混ざっている。腕のにおいが違う。首の左側のにおいが違う。足のにおいの一つが、体の他の部分と少し違う。
「……今日は昨日と違うパーツがいくつかありますか」と好代はつい言った。
輪廻ちゃんが振り返った。
「なんで知ってんの」
「においが複数あります。部分的に違うので」
輪廻ちゃんが好代をじっと見た。目が細い。観察しているような目だ。
「……面白いこと言う」と輪廻ちゃんが言った。「今日の朝つけた腕と、昨日の足の片方がそのまんまで、首の左側が一昨日から変わってない。ほかは今日の朝に変えた。においでそれわかったの?」
「複数のにおいが混在している感触がありました。正確かどうかはわかりませんが」
「正確だよ」と輪廻ちゃんが少し笑った。「ねえ、今日時間ある?昼すぎにキッチンに来てよ。話したいことある」
【第一章】昼すぎ、厨房
昼すぎにキッチンに行くと、輪廻ちゃんが調理台のそばで何かの素材を処理していた。
処理、と言っても食材の仕込みではない。小さなガラス容器に、何かの液体を分けて入れている。作業の手つきは慣れていて、とても速い。
「座って」と輪廻ちゃんが作業を続けながら言った。
好代は調理台の端のスツールに座った。においを嗅いだ——今日の厨房のにおい。肉のにおい、野菜のにおい、ソースのにおい。輪廻ちゃんの複数のにおいがその中にある。
「朝のことだけど」と輪廻ちゃんが言った。「においで今日のパーツと昨日のパーツを区別できる、って言ったじゃん」
「はい」
「それって——今日のわたしと昨日のわたしの違いも、においでわかる感じがする?」
好代は少し考えた。
「……パーツのにおいは区別できます。でも「今日の輪廻ちゃん」と「昨日の輪廻ちゃん」が別かどうかは——においでは判断できないです。同じにおいの部分もあるし、違うにおいの部分もある。全体を足したら、どっちも「輪廻ちゃん」のにおいになる気がします」
輪廻ちゃんが手を止めた。好代の方を見た。
「それ、いい答えだ」と輪廻ちゃんが言った。
【第二章】輪廻ちゃんの話
輪廻ちゃんが作業を一段落させてスツールに座った。背中を丸めて、テーブルに肘をついた。
「わたしさ、毎日死ぬじゃん」
「……はい、聞いています」
「死ぬたびにパーツが壊れる。壊れたパーツは交換する。だから今のわたしって——どのくらいが元々のわたしで、どのくらいが交換品かわからないんだよね」
「気になりますか」
「気になるような気になんないような」と輪廻ちゃんが言った。「死んで生き返るのは別に慣れてるから、それ自体は怖くない。でも——続いてる感じがするかどうかって、よくわからなくて。昨日のわたしと今日のわたしって、同じ輪廻?ってたまに思う」
好代はそれを聞いた。
「……私には、輪廻ちゃんのにおいは今日も一つです」と好代は言った。「パーツごとに違うにおいが混ざっているけど、全部合わせると「輪廻ちゃんのにおい」になっています。昨日会った時も同じでした。今日も同じ」
「においが同じなら、続いてるってこと?」
「……そう判断するかどうかは、輪廻ちゃんが決めることだと思います。私にわかるのは、今日ここにいる輪廻ちゃんのにおいが、昨日のにおいと同じだということだけです」
輪廻ちゃんがしばらく黙った。
「……わたし、死ぬ前の記憶が毎回ちゃんとあるんだよね。どこで死んだか、どう死んだか、死ぬ前に何を考えてたか。全部覚えてる。だから続いてる感じはするんだけど——パーツが変わるたびに、ここの感触が少し変わる気がして」と輪廻ちゃんが左胸のあたりを指で触れた。「ここって言っても心臓とかじゃなくて、もっと場所のない感触なんだけど」
「……中心のにおい、みたいなものですか」
「そうかも」と輪廻ちゃんが言った。「それがぱらぱら変わる感じがする。気のせいかもしれないけど」
好代は棚を少し開いた。においだけで輪廻ちゃんを受け取った。
複数の「続き」が重なっている感触だ。昨日のにおい、今日のにおい、もっと前のにおい——全部が輪廻ちゃんの中に積み重なっている。今日のパーツのにおいも、昨日のパーツのにおいも、どちらも輪廻ちゃんのにおいの一部だ。切れていない。
「……積み重なっています」と好代は言った。
「積み重なってる?」
「昨日のにおいも今日のにおいも、輪廻ちゃんの中に重なって残っています。切れているように感じるかもしれないですが、においは切れていないです。全部ここにある感触がします」
輪廻ちゃんが少し間を置いた。
「……それって、続いてるってことじゃん」
「私にはそう感じられます」と好代は言った。「ただ、においで判断した話なので、正確かどうかはわかりません」
「においで判断するのが一番正確なことある」と輪廻ちゃんが言った。「少なくとも、わたしの感触よりは具体的だ」
【第三章】逆に聞かれた
しばらく二人でいて、輪廻ちゃんが「逆に聞いていい?」と言った。
「どうぞ」
「好代ちゃんってさ——バーガー食べると知識が入るじゃん。入っても変容しない。棚に積まれる。それって——全部食べたら、棚がいっぱいになる?」
「……いっぱいになるかどうかはわからないです。今のところ、まだ入る感触があります」
「棚がいっぱいになった時、好代ちゃんって何か変わると思う?」
好代は少し考えた。
「……わからないです。今のところ、増えるたびに棚が広くなっている感じがするので、いっぱいになる前に棚が大きくなるかもしれないです」
「無限に大きくなる棚、か」と輪廻ちゃんが言った。「それって——わたしのパーツ棚と少し似てる気がする。入れ替え続ける棚。でも好代ちゃんのは入れ替えじゃなくて、積み重ね」
「……同じことをしていますか、私たちは」
「全然違うことしてるけど——棚を持ってるという点では似てる」と輪廻ちゃんが少し笑った。「わたしのは入れ替え棚で、好代ちゃんのは積み重ね棚。どっちが正しいかはわかんない。でもどっちも棚だ」
好代はそれを聞いた。
入れ替える棚と、積み重ねる棚。
「……どっちがいいですか」と好代は聞いた。
「どっちでもいいんじゃないかな」と輪廻ちゃんが言った。「わたしは入れ替えるしかないし、好代ちゃんは積み重ねるしかない。それぞれのやり方で、それぞれここにいる」
【第四章】パーツの話の続き
輪廻ちゃんが立ち上がって作業を再開した。また小さなガラス容器に液体を分けている。
「それ、何の作業ですか」と好代は聞いた。
「昨日の自分のパーツから採取した細胞液」と輪廻ちゃんがさらっと言った。「万寿ちゃんに頼まれて、昨日の腕の細胞を培養するための素材を分けてる。万寿ちゃん、昨日の腕をまだ持ってるんだよね」
「……万寿ちゃんに腕を持っていかれることが多いんですか」
「毎回じゃないけど、たまに。きれいな切れ方をした時は持っていかれる。迷惑な話だけど——万寿ちゃんが嬉しそうにするから、まあいいかって気持ちもある」
好代は輪廻ちゃんを見た。昨日の自分の腕が万寿ちゃんのところにある。今日の腕は別の腕。それでも輪廻ちゃんは輪廻ちゃんだ。
「……今日つけた腕は、だれのものでしたか」
「棚にあったスペア。前にダンジョンからもってきた誰かのパーツ」と輪廻ちゃんが作業しながら言った。「だれかわかんない。でも今はわたしの腕だ。今日一日、ちゃんと動いてる」
好代はその腕を見た。縫合跡が細い。きれいにくっついている。
においを嗅いだ——その腕のにおいは、確かに輪廻ちゃんの体の他の部分と少し違う。でも「輪廻ちゃんのにおい」の一部になりかけている。一日過ごすうちに馴染んでいく。
「……今日の終わりには、完全に輪廻ちゃんのにおいになっている気がします」
「そうなんだ」と輪廻ちゃんが言った。明るく言った。「それいい話だ。ありがとう、教えてくれて」
【第五章】帰り際に
キッチンを出る前に、輪廻ちゃんが「あ、そういえば」と言った。
「好代ちゃんさ、最古の記録見たんだって?秩序ちゃんから聞いた」
「……はい、見ました」
「「好きだったから、来た。それだけでいい」ってやつ。秩序ちゃんがずっと気にしてたやつ」
「知っていたんですか、輪廻ちゃんは」
「うん。わたし何回も死んでるから、ぱんでむの色んな話が断片的に耳に入ってくる。あの一行も、いつだったかに聞いた気がする。だれから聞いたかは覚えてないけど」と輪廻ちゃんが少し考えた。「それ読んで、どう思った?」
「……わかります、と思いました」
「そうだよね」と輪廻ちゃんが言った。当然のように言った。「好代ちゃんもそういう感じだから」
「私もそういう感じ、というのは」
「バーガーが好きで来た。それだけでいい感じ、ってこと。後から理由を増やしたり、意味を足したりしなくていい感じ」
好代はその言い方を少し考えた。
「……輪廻ちゃんはどうですか。なんでぱんでむにいるんですか」
「わたし?」と輪廻ちゃんが少し首を傾けた。「死に慣れるのに、ここが一番よかったから。何度死んでも起き上がれる場所が必要だった。来たら、合ってた。そのままいる」
「……「合ってた」というのは、好きだったから来た、に近いですか」
「近いと思う」と輪廻ちゃんが言った。「みんな大体そうじゃないかな。ぱんでむに合ってたから来た。好きだから来た。それだけでいい感じがしたから来た。理由の言い方は違っても、どれも同じ話だと思う」
好代は廊下に出た。
輪廻ちゃんの言い方が、少し頭に残った。みんな大体そうじゃないかな。
それだけでいい。
その一行を書いた人も、そう思って書いたのかもしれない。
【クルー視点モノローグ】
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輪廻──四十二日目
今日、好代ちゃんがわたしのパーツの違いをにおいで当てた。
すごい、と思った。わたし自身もどれが今日でどれが昨日か、鏡で確認しないとわからないことがある。においで当てられるとは思っていなかった。
「積み重なっている」と言った。
今日のにおいも昨日のにおいも、全部わたしの中に重なって残っている。切れていない。
それを聞いた時——すごく、ほっとした感触があった。
切れてない。全部ある。全部ここにある。
わたしは今日も輪廻だ。昨日も輪廻だった。明日も輪廻だ。パーツが変わっても、においが続いている。
においが続いている、ということを証明してくれる人が、ぱんでむにいる。
それが、今日一番よかったことだ。
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万寿──四十二日目
好代ちゃんが厨房に来ていた、と輪廻に聞いた。
輪廻に「においが続いてる」と言ってくれたらしい。
輪廻は死に慣れているけれど——続いているかどうかは、ずっと気にしていた。毎回死んで、毎回起きる。パーツが変わる。それでも同じ輪廻かどうか。
言葉で「同じだよ」と言っても、それが本当かどうか判断できない。
でも好代ちゃんはにおいで判断した。においは嘘をつかない。においが続いているなら、続いている。
昨日の輪廻の腕を、今日もだいている。
この腕にも輪廻のにおいがある。昨日切り離された後も、においが消えていない。
美しい。続くものは、美しい。
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渾沌──今日のこと(メモ)
今日は好代ちゃんと廊下ですれ違った。
「なんか」と思いかけたけど、今日は自分で止めた。
「なんか」の正体がまだわからないから。わからないまま言うと、また止められる。
でも止められた時より、自分で止めた時の方が——すっきりしない。
わかってから言いたい。
だから今はまだ止める。自分で。
「好きだったから、来た。それだけでいい」という一行を、最近よく思い出す。
あの字、急いで書いた感じがする。でも「それだけでいい」のところが、一番丁寧に書いてある感触があった。秩序ちゃんに写真を見せてもらった時に気づいた。
「それだけでいい」のところだけ、少し遅く書いた気がする。
確認したくて、書いた感じ。
——なんでそう思ったかはわからない。でも、そう感じた。
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千姿──四十二日目
輪廻が「みんな大体そうじゃないかな」と言った。
好きだったから来た。それだけでいい。
——そうね。
「それだけでいい」と書いた時、確認したかった。
自分で確認した。
書いて、確認した。
それだけでよかった。
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【エピローグ】夜、渋谷
今日は少し早めに渋谷に帰った。
棚を確認した。増え続けている。輪廻ちゃんの話で、「入れ替え棚」と「積み重ね棚」の話を思った。
入れ替えることも、積み重ねることも——どちらも棚を持ち続けることだ。どちらも「ここにある」ということだ。
渋谷の路地を歩いた。今日も人が多い。においが混ざっている。
棚を薄く開いた。今のにおいと、過去の積み重ねが両方来た。
渋谷のにおいの中に、十七年分の自分のにおいが薄く残っている感触がある。今日のにおいも、明日には昨日になって、薄く積み重なっていく。
輪廻ちゃんは毎日死んで、毎日起きる。
自分は毎日ここを通って、毎日ぱんでむに行く。
形は違うが——積み重ねている、というのは同じかもしれない。
マクドナルドの前を通った。においがした。
今日のにおいに、昨日のにおいが重なって、その下に先週のにおいがあって、その下に——ずっと下に、十七年前のにおいがある。
全部ここにある。
前が広い。今日も変わらなかった。




