ep.6 ダンジョンへ②( ゲシュクール歴787年)
視界が黒い毛皮で埋まる。
生臭い臭いが鼻を刺した。
心臓の音だけが異様に大きい。
足が動かない。
「怖い・・・」
ノエルが小さく声を上げた。
すると魔物は、その大きな体をノエルに向け、右手を大きく振りかぶる。
「ノエル!逃げて」
「いやぁぁぁぁ!」
恐怖のためかノエルは、その場でうずくまっている。
エリシャは咄嗟に動いた。
迫りくる魔物の攻撃の中、ノエルに体当たりし彼女を吹き飛ばしたのだ。
「あぁ!・・ぐぅ!・・・」
エリシャの中で経験したことのない激痛が走る。
足を見る。
膝から下がありえない方向へ曲がっていた。
骨が飛び出し、裂けた肉から血が溢れている。
一瞬、それが自分の足だと理解出来なかった。
次の瞬間、焼けた鉄を押し込まれたような激痛が脳天まで突き抜けた。
「あ・・・あぁ・・・」
理解した瞬間、吐き気が込み上げた。
冷たい汗が一気に体中から噴き出す。
「あぁ!・・・痛い・・・痛いよ・・足、あたしの足ぃ」
賢者だろうと何だろうと痛みはある。
魔物は既に次の攻撃を準備している。
ゆっくりと大きく振りかぶり、エリシャ目掛けて拳が振り下ろされる。
鈍い衝撃音と共に、骨が砕ける音が響いた。
右腕が完全に潰されており、ありとあらゆる場所から骨が飛び出している。
「あぁっ!あっ!!」
自分が賢者だろうと、不老不死だろうと関係なかった。
目の前にいるのは、自分を簡単に壊せる化け物だ。
そして今、自分は何も出来ない。
「エリシャ!」
不意にノエルが叫んだ。
エリシャは彼女の声に答えることが出来ない。
痛みと恐怖で思考が停止している。
小さく、子猫のようにうずくまっているだけだった。
すると3回目の攻撃に移ろうとしていた魔物の攻撃がぴたりと止まり、ノエルのほうに振り向いた。
「ひっ!」
ノエルは魔物のターゲットが自分に向いたことで、後ずさりしようとする。
しかし後ろは壁だ。
ただイヤイヤをしながら泣きじゃくる。
魔物は威圧的な足音を立てながらノエルに近づいてくる。
そしてエリシャの時と同じように腕を振りかぶった。
魔物の影がノエルを覆う。
振り上げられた拳が天井の明かりを遮った。
間に合わない。
そう思った瞬間だった。
ダンジョンの奥から聞きなれた声がした。
「エリシャーーー!ノエルーーー!」
フィアだ。
魔物は声の主に反応して動きが一瞬止まる。
そこからが早かった。
暗闇の中、高速で動く声の主は魔物に向かってジャンプすると腕を大きく振りかぶり、拳が魔物の顔面に叩き込まれる。
鈍い音が周りに響き渡り、フィアが着地する。
魔物の首がわずかに揺れた。
だが倒れない。
「またせたな!あたしが来たから、もう大丈夫だ!」
フィアは拳を軽く握り直す。
しかしその腕の前腕から骨が飛び出し、血が噴き出している。
「ちっ・・・こっちの腕がやられた・・・」
フィアは一瞬目を閉じる。
すると重症だった右腕が見る見るうちに回復していった。
「エリシャ。お前も出来るはずだ。心の中で再生する部分を意識するんだ」
だがエリシャには何を言われたのか理解できなかった。
それほど恐怖と痛みで錯乱している。
「はぁ・・・」
フィアは軽くため息を付きながら、瀕死のエリシャの胸倉を掴んだ。
「もう一度言う。心の中で再生する部分を意識するんだ。やらなきゃいけないのはお前自身だ。これは、あたしでも出来ないことだ。」
エリシャは何度も小さく頷きながら目を閉じた。
(右手と右足・・・再生・・・)
すると痛みが徐々に消えていく感と、頭の中で靄がかかるような感覚がした。
飛び出していた骨が肉の中へ戻っていく。
裂けた皮膚が縫い合わされるように閉じていく。
やがて足を覆っていた激痛が嘘のように消えた。
「フィア・・・ありがとう」
フィアの姿を見た瞬間、張り詰めていた何かが少しだけ緩んだ。
「気にすんな」
エリシャは気丈に振舞っていたが、足が震えている。
傷は癒えたが、まだ恐怖は乗り越えられていない。
「さて・・・あいつをどうするかだな」
魔物はフィアと対峙している。
ノエルは———。
遅れて駆けつけたクレイに抱きしめられ「大丈夫よ。怖くない」と慰められている。
大丈夫そうだ。
ノエルの様子を見て、少しだけ安心する。
フィアが珍しく難しい顔をした。
「はっきり言う。さっきの一撃は、あたしの全力だ」
「今のあたし達じゃ、あいつは倒せそうにない」
「エリシャ。あたしがアイツの相手をする。その間、作戦を考えてくれ」
「えっ・・・でもあたしがそんなこと出来ないよ」
声が震える。
さっきの恐怖が頭から離れない。
「出来るよ。この状況みてみ?やれるのはお前だけだ」
「無理だよ……」
「じゃあ他に誰がやる?」
「……」
「あたしは殴ることしか出来ねぇ。お前は、お前にやれることを探しな」
フィアは一気に加速し、魔物に向かっていく。
そのまま高速でターンを繰り返し、魔物に打撃を与えていくが、フィアの猛攻にも関わらず、魔物は平然としている。
(あたしなんて・・・そんな大それたこと)
ふとクレイの視線に気が付いた。
クレイは泣きじゃくるノエルの背中をさすりながら、エリシャに小さく微笑みかけた。
(この状況下で、笑顔で人を慰めて・・)
(クレイだって怖いはずだ。だけど自分が出来る精一杯の仕事をしてる!)
(あたしだって、何かやらなきゃいけない!)
エリシャは震える足に力を込めた。
(あたしに出来ること・・・今は力じゃない・・・知恵だ)
(状況を・・・状況を確認するんだ!)
フィアの猛攻にも関わらず、魔物は平然としている。
魔物の拳が壁を砕く。
だがフィアはそこにいない。
また外れた。
一度じゃない。
二度でもない。
(!)
エリシャの脳裏に、今までの光景が一気に繋がった。
(あいつ・・・当てずっぽうなんじゃ・・・違う、見えてないんだ!)
エリシャは今までの流れを整理した。
魔物は壁越しでも関わらず、こちらの位置を把握出来た。
声や音がする方向へ攻撃をしかけてきた。
フィアへの攻撃が大振り。
(もし本当に音だけで獲物を探しているなら……)
その時だった。
サルトルの言葉が脳内で再生された。
『でも、今回の依頼は割がよかったな』
『全てが全て襲ってくるわけじゃない。自分より格上だと思えば逃げる』
「みんな!よく聞いて!」
エリシャは次の瞬間叫んだ。
「これからフィア以外、声を上げないで」
「そしてフィアは私が合図をしたら攻撃をやめて、音をたてないで!」
フィアは無言で頷いた。
クレイも無言で頷き、ノエルの口を塞ぐ。
フィアが攻撃を仕掛けている間、エリシャはサルトルの死体に近づいた。
そして、コインの詰まっている巾着をはぎ取る。
中から一枚のコインを取り出し、フィアに合図をする。
フィアは攻撃をやめ、音を立てずに立ち尽くす。
この空間が無音になったのを確認し、エリシャはコインをダンジョンの奥に投げ込んだ。
すると奥のほうからコインが落ち、転がる音が響く。
魔物は音のした方向に向きをかえる。
そしてダンジョンの奥にゆっくりと歩いて行った。
魔物が立ち止まる。
エリシャは二枚目のコインを投げた。
しばらくすると魔物の気配はなくなった。
エリシャは音を立てないようにサルトルの亡骸に近づく。
そして巾着を彼に返したのだ。
(サルトルさん・・・あなたのおかげで私達は助かりました)
エリシャがサルトルに十字を切ると、亡骸から青い光が現れ、エリシャの体に吸収されていった。
(これは・・・?)
《たいしょうのしょうしつをかくにん》
《きろくのこうしんをかいしします》
《てきごうりつさんしゅつちゅう》
《ほせいしょりをじっこう》
《しょりかんりょう》
何かの機械音のような声がエリシャの頭に響いてきた。
エリシャは謎の言葉が気になったが、今はそれ以上に、このダンジョンから一刻も早く出たい気持ちで一杯だった。
魔物が戻ってこないことを確認しながら、一行は慎重に来た道を引き返した。
途中、異常を感じた学院の救助隊に救出され、一行は外に出る事ができたのだ。
ミディス先生はエリシャ達を見ると、すぐにかけより声をかけた。
「エリシャ。あなた達が無事でなによりです。先生すごく心配しました」
ミディスはエリシャを抱きしめる。
そしてエリシャの耳元で囁いた。
「それでエリシャ。サルトルが死んだ後、何か聞こえませんでしたか?」
「例えば……機械みたいな声とか」
つづく
最後までお読み頂き有難うございます。
なるべく短い間隔で、連載していきたいと思いますので
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