表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/39

ep.32 届かない(ゲシュクール暦794年)

ep.32 届かない(ゲシュクール暦794年)


宿場町を飛び出した私は、ギルドの厩舎で一頭の馬を借りると、礼を言う暇も惜しんで鞍へ飛び乗った。

西へ続く街道は緩やかな丘陵を縫うように伸びている。

乾いた土煙を巻き上げながら馬は力強く駆け、初夏の風が頬を鋭く打ち付けた。

宿場町で別れたばかりだった。


「またね」


そう笑って手を振ったアイラの姿が何度も脳裏へ浮かぶ。まだ西の街へ着いていないかもしれない。

途中で野営している可能性だってある。そう考えても胸騒ぎは消えず、私は無意識に馬腹を蹴る足へ力を込めた。

前方からは荷物を抱えた旅人達が次々と駆けてくる。

その誰もが青ざめた表情で西を振り返り、私とすれ違うたびに声を張り上げた。


「戻れ!」

「魔族だ!」

「村が襲われてる!」

私は答えることなく馬を走らせる。

一刻でも早く辿り着かなければならない。

その思いだけが胸の中を占めていた。


—————西の街————


燃え盛る村を見下ろす丘の上で、一つの黒い影が巨大な大剣を肩へ担ぎ直す。

逆光の中に立つその姿は輪郭しか分からず、風に揺れる外套だけが静かに靡いていた。

眼下では炎が家々を呑み込み、人々の悲鳴が絶え間なく響いている。

だが、その光景を前にしても黒い影の足は止まらない。

興味を失ったように村を見渡すと、小さく息を吐いた。


「……飽きた」

その一言だけを残し、背後へ視線を向ける。

そこには一体の魔族が静かに跪いていた。


「後は好きにしろ、ヴェルグ」

跪いた魔族は頭を下げたまま微動だにしない。黒い影は踵を返しかけ、不意に足だけを止めた。

「首切りに生まれながら、その程度とはな」

吐き捨てるような声だった。

「せめて種族の恥だけは晒すな」

わずかな沈黙の後、魔族の喉が小さく震える。


「……はい」

掠れた返事だけを聞き届けると、黒い影は振り返ることなく歩き出した。

巨大な背中は立ち昇る黒煙の向こうへゆっくりと消え、その気配もやがて完全に途絶える。

しばらく頭を垂れていたヴェルグは、静かに立ち上がった。

細く裂けた口元がゆっくりと吊り上がる。

腰へ提げたショートソードを静かに引き抜くと、燃え続ける村へ視線を向けた。


「……首」

掠れた呟きは炎の音へ溶けるように消え、ヴェルグは音もなく村の中へ歩き始めた。


————西の街近郊————


西へ向かう街道を駆け続けるうち、風に混じる匂いが少しずつ変わっていった。

乾いた土の匂いへ焦げた木材の臭いが混ざり、やがて鼻を刺すような煙の臭いへ変わる。

馬も異変を察したのか落ち着きを失い、小さく嘶きながら何度も耳を伏せた。

前方には黒煙が立ち昇っている。嫌な予感は、もう疑いようがなかった。

私は手綱を強く握り直すと、最後の力を振り絞るように馬腹を蹴る。

荒い息を吐きながら駆け続けた馬は、やがて燃え盛る街の入口へ辿り着いた。


鞍から飛び降りると同時に手綱を近くの柵へ引っ掛け、そのまま村の中へ駆け出す。

目に飛び込んできたのは、想像を遥かに超える惨状だった。


家々は焼け落ち、崩れた梁が炎を巻き上げながら音を立てて崩れていく。

村人達は必死に水を運び、倒れた者を助け出そうとしていたが、負傷者の数はあまりにも多く、誰もが疲弊し切っていた。


「賢者さまか?」

私へ気付いた兵士が駆け寄ってくる。

鎧は血で染まり、肩口には深い裂傷が走っていた。

「お願いです……助けてください」

私は頷くと、すぐ近くで倒れていた男性の傍へ膝をつく。

胸元を裂かれ、呼吸は浅い。

両手を重ねると淡い光が傷口を包み込み、裂けた皮膚がゆっくりと塞がっていく。

男性は苦しそうに咳き込みながらも大きく息を吸い込み、安堵したように目を閉じた。

礼の言葉へ小さく頷きを返しながらも、私の視線は絶えず人混みの中を探していた。


ローガン。

アイラ。


二人の姿がどこにも見当たらない。


胸の奥がざわつく。

「旅人を見ませんでしたか。父親と、少女です」

兵士は苦しそうに記憶を辿ったものの、申し訳なさそうに首を横へ振った。

「分かりません……避難した者もまだ戻ってきていません」


私は礼だけを告げると、その場を離れた。

広場、井戸、焼け残った家屋。

目につく場所を片端から探していくが、それらしい姿はどこにもない。

焼け跡を見渡すたび、胸の奥がざわつく。

ローガンなら娘を守っているはずだ。

それでも、二人の姿はどこにもなかった。

無事ならいい。まだ見つかっていないだけだ。

そう自分へ言い聞かせた、その時だった。


村の西側から悲鳴が響き渡る。

「逃げろ!」

その声へ続くように、兵士の怒鳴り声が村中へ響いた。


「首切りだ!」

その一言だけで、広場の空気が一変する。

負傷者を運んでいた村人達は顔色を失い、兵士達も剣を構えながら後退りを始めた。

私は反射的に声のした方へ駆け出す。炎の向こうから現れた魔族は、人とも獣とも違う異様な姿をしていた。

異常なほど細長い身体に、節くれ立った長い腕。

腰には数え切れないほどの投げナイフが帯のように吊るされ、左右には手斧と血に濡れたショートソードが提げられている。


その姿には獣のような荒々しさはない。

ただ獲物を処理するためだけに存在する処刑人のような、不気味な静けさを纏っていた。

細く裂けた口元がゆっくりと歪む。その視線の先には、転んだまま立ち上がれずにいる一人の少女が震えていた。

少女は尻餅をついたまま震え、恐怖のあまり声すら出せずにいた。

少し離れた場所では、母親と思しき女性が瓦礫の下敷きになりながら必死に腕を伸ばしている。


「逃げて……!」

掠れた叫びも、少女には届いていない。

首切りは歩みを止めることなく少女との距離を詰めると、ゆっくりとショートソードを抜き放った。

その動きは驚くほど静かで、一切の殺気を感じさせない。

それがかえって不気味だった。


「……首」

掠れた声が漏れた次の瞬間、その細長い身体が地を滑るように駆けた。

速い。そう認識した時には、すでに少女の目の前まで踏み込んでいる。


≪ライトニング≫

私は雷を纏った身体で地面を一気に蹴った。

振り下ろされる刃と少女の間へ身体を滑り込ませる。

鋼同士が激しくぶつかり合い、耳をつんざくような金属音が村中へ響き渡る。

受け止めた衝撃は想像以上に重く、腕だけでは支え切れず、そのまま数歩押し込まれた。


それでも刃は通さない。少女だけは守る。

その一心でレイピアを押し返すと、首切りは興味深そうに首を傾け、ゆっくりと後ろへ跳んだ。

私との距離を取り直したその姿には焦りも苛立ちもない。ただ新しい獲物を見つけたような静かな執着だけが感じられた。


私は少女を背中へ庇いながら、小さく声を掛ける。

「もう大丈夫。お母さんのところまで走って」

少女は涙で濡れた顔を何度も縦に振る。


「今!」

その声に弾かれるように少女は立ち上がり、泣きながら母親のもとへ駆け出した。

首切りは逃げる親子を追おうとはしない。細く裂けた口元をわずかに歪めると、ゆっくりと私へ向き直った。

視線が交わる。その瞳には怒りも憎しみもない。

ただ、私の首だけを見つめていた。


首切りは間を置かず武器を持ち替えながら距離を詰めてくる。


投げナイフを弾けば手斧が迫り、手斧をかわした先へショートソードが滑り込む。その流れには一切の淀みがなく、こちらへ考える時間を与えようとしない。

私はボルドの言葉どおり一点だけではなく全体を見据える。それでも、一つ攻撃を凌ぐたびに次の刃が目前まで迫り、防戦は少しずつ押し込まれていった。


やがて首切りの左腕が僅かに動く。

私は反射的に身を沈めた。

頭上を投げナイフが掠める。


避け切ったと思った次の瞬間――首切りはその隙を突いて一気に踏み込み、ショートソードを振り下ろした。


しまった。

ショートソードが一直線に喉元へ迫る。

咄嗟にレイピアを差し込んで受け止めるものの、体勢は完全に崩されていた。

鍔迫り合いになったまま力負けし、膝がゆっくりと石畳へ沈んでいく。

剣を押し返すだけの力が足りない。


歯を食いしばり、震える腕へ力を込めた、その時だった。

どこからともなく風が吹き抜け、舞い上がった灰が二人の間を横切る。

首切りの視線が初めて私から外れ、ゆっくりと顔を上げた。


獲物を見失ったわけではない。

それでも何かを確かめるように、私ではなく村の入口へ視線を向けている。


その瞬間だった。

風が吹く。

燃え上がる炎を押し分けるように灰が舞い上がり、一人の影がゆっくりと村の中へ姿を現した。


灰色のローブ。

その姿を見た瞬間、時間が止まったような錯覚を覚えた。

見間違えるはずがない。私が追い続けてきた賢者。

シルフィ。


さきほどまで私へ向けられていた殺意が、完全にシルフィへ向いている。

シルフィは一定の歩幅を崩さず歩き続ける。

燃え盛る家屋も、倒れている村人も、その足を止める理由にはならなかった。

やがて首切りから十数歩ほど離れた場所で静かに立ち止まる。


フードが深く被られているせいで表情は見えない。

それでも首切りだけを見据えていることは、その身体の向きだけで十分に伝わった。

長い沈黙が流れる。

灰色のローブがゆっくりと口を開いた。


「お前……」

その声に感情はなかった。

問い掛けるというより、事実を確認するような平坦な声音だった。

「さっき、黒騎士と話してたな」

首切りは細く裂けた口元をゆっくりと吊り上げる。


「……」

「黒騎士、どこ」

「答えろ」


それだけで、二人の間に私の入り込む余地はないことが分かる。


灰色のローブの視線は一度も私へ向けられない。

まるで私は最初から存在していないかのように。


私はレイピアを握り直す。


探し続けた賢者が、ようやく目の前へ現れた。


けれど、その視線は私ではなく、首切りだけを見据えていた。


つづく


最後までお読み頂き有難うございます。

なるべく短い間隔で、連載していきたいと思いますので

ブックマーク、レビュー、感想、評価をお待ちしております。


Xにてキャラクターの詳細など公開中

詳しくはプロフィールにリンクはってます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ