ep.27 黒騎士を追う者(ゲシュクール暦794年)
ep.27 黒騎士を追う者(ゲシュクール暦794年)
王都を離れ、旅は静かに続いていた。
ロイドから託された地図を頼りに西へ進む。昼は街道を歩き、日が暮れれば宿場町で休む。
その繰り返しだった。焦っても距離は縮まらない。目的の村までは、およそ一か月。長い旅になることは最初から分かっていた。
西へ向かうほど景色は少しずつ変わっていく。見慣れていた平原は姿を消し、街道の両脇には深い森が広がり始める。
行き交う旅人も少なくなり、荷馬車とすれ違うことも随分減っていた。
旅を始めて数日。
私は西部では比較的大きな街へ辿り着く。ここを過ぎれば、目的の村まで大きな街はない。
市場で保存食と水を買い足し、念のため街道の様子を確認しようと献身者ギルドへ立ち寄った。
重い木の扉を開いた瞬間、館内の空気が肌に刺さる。
普段なら依頼書の前で品定めをする献身者たちが、今日は受付へ押し寄せていた。
職員たちは慌ただしく書類を運び、壁には赤い印の付いた緊急依頼が次々と貼り出されていく。
「西の森で魔物が大量発生した!」
「討伐隊が向かったが数が多すぎる!」
「応援できる者はすぐ出発しろ!」
怒号が飛び交い、武器を手にした献身者たちが一斉にギルドを飛び出していく。
私はその光景を一度だけ見渡し、静かに踵を返した。昔の私なら、迷わず依頼書を手に取っていただろう。
けれど今は違う。
私には向かうべき場所がある。
ロイドが見つけてくれた、たった一つの手掛かり。
それを確かめることだけが、今の私の目的だった。
ギルドを出ると、そのまま西門へ向かう。
街を離れるにつれ喧騒は遠ざかり、やがて聞こえるのは風が木々を揺らす音だけになる。
しばらく歩いた頃だった。
街道の脇に、一体の魔物が倒れている。
《ホーンラビット》
胸を深く切り裂かれ、すでに息絶えていた。
討伐隊が通ったのだろう。そう思い、歩みを止めることなく先へ進む。
だが、それで終わりではなかった。
少し先に《ブラッドウルフ》
さらに《ロックボア》
街道を進むほど魔物の死骸は増え、その数は目に見えて多くなっていく。
私は自然と歩調を緩めた。ギルドで聞いた大量発生の話は本当だった。
だが、何かがおかしい。まるで反撃する間も与えられなかったかのように、一太刀で命を絶たれていた。
激しく戦ったような跡はほとんどなく、ただ死骸だけが街道の先へ続くように残されていた。
その違和感は、歩くほど大きくなっていく。
街道脇の木々の間にも魔物の死骸が見え始め、一体、また一体と、その数は森の奥へ続くように点々と残されていた。
私は立ち止まり、静かに息を吐く。目的の村はこの先だ。余計なことに関わるつもりはない。
そう思いながら前を向いた、その時だった。
風が枝葉を大きく揺らす。開いた木々の隙間から、森の奥が一瞬だけ見えた。
そこには街道とは比べものにならない数の魔物が倒れている。
私は小さく眉を寄せた。これだけの数を討伐隊だけで片付けたとは思えない。
何が起きたのか。
それだけ確認して、すぐ街道へ戻ろう。
そう決めると、私は街道を外れ、死骸の続く先へ足を踏み入れた。
森の中は、不気味なほど静まり返っていた。
風が木々を揺らす音だけが耳に届き、生きた魔物の気配はどこにもない。
足元には折れた枝と踏み荒らされた草が続き、その先には新しい死骸が次々と現れる。
どれも致命傷は一撃。抵抗した形跡すらほとんど残っていなかった。
私は慎重に歩みを進める。やがて木々が途切れ、小さく開けた場所へ出た瞬間、思わず息を呑んだ。
広場一面を埋め尽くす魔物の死骸。数十体では利かない。
大量発生した群れが、そのまま地面へ倒れ伏している。
それなのに、生き残った魔物は一匹も見当たらなかった。
討伐隊の姿もない。
残されているのは夥しい数の死骸と、辺りに漂う血の匂いだけだった。
その時だった。
視界の奥で、灰色のローブが静かに揺れる。泥と血で汚れた賢者のローブ。
忘れるはずがない。
あの日、アミルを壊し、私たちを圧倒した賢者。
灰色のローブは、私の存在など気にも留めることなく森の奥へ歩いていく。
風が吹き、フードが大きく揺れる。
覗いた横顔を見た瞬間、胸の奥が強く脈打った。
間違いない。私は無意識に一歩踏み出す。
「……シルフィ」
掠れた声が森へ溶ける。
灰色のローブが止まった。
ゆっくりと振り返る。
焦点の定まらない瞳が、静かに私を見つめていた。
その視線に敵意はない。けれど、私を知っている様子もなかった。
しばらく私の顔を見つめた後、小さく首を傾げる。
「私は……誰?」
その一言に、胸が締め付けられた。
記憶枯渇。
ミディス先生から聞かされた言葉が脳裏をよぎる。
私はゆっくりと距離を詰める。
「シルフィ」
もう一度、その名を呼ぶ。
シルフィは目を閉じ、何かを思い出そうとするように額へ手を添えた。
長い沈黙の後、小さく唇が動く。
「そう……私はシルフィ」
その声に感情はない。ただ、自分の名前だけを思い出したようだった。
やがてシルフィは森の奥へ視線を向ける。
「黒騎士を追う者」
ぽつりと呟くと、私にはもう興味を失ったように踵を返し、再び森の奥へ歩き始めた。
「待って!」
思わず声が漏れる。
シルフィは振り返らない。
一定の歩幅で森の奥へ進み続けるだけだった。
私は地面を蹴る。その瞬間、シルフィの足が止まる。
ゆっくりと振り返った瞳は、相変わらず焦点が合っていなかった。
「……あなたは誰?」
不思議そうに首を傾げる。
その反応に、私は息を呑んだ。
「覚えて……ないの?」
「知らない」
迷いのない返事だった。
嘘をついているようには見えない。
私はさらに一歩踏み出す。
「待って!」
私はもう一度声を張る。
「黒騎士って誰のこと!」
その言葉に、シルフィの瞳がわずかに揺れた。
「黒騎士」
その名だけを静かに繰り返す。
「どこへ行った」
「……探さなきゃ」
「教えてくれ!」
「お前に構っている暇はない」
その一言と同時に、シルフィの右手が静かに持ち上がる。
次の瞬間、幾本もの氷槍が音もなく宙へ生まれ、一斉に私へ襲い掛かった。
私は真正面から踏み込む。迫る氷槍を紙一重でかわし、避け切れない一撃だけをレイピアで受け流す。
鋭い音とともに氷が砕け散り、飛び散った破片が周囲の木々へ突き刺さった。
私はそのまま一気に踏み込み、レイピアの切っ先がシルフィの胸元へ届く。
シルフィは咄嗟に風の刃を放つ。
唸りを上げる斬撃が一直線に迫る。
レイピアを振り抜いた。剣先が風の刃を捉える。
軌道を逸らされた斬撃は私の肩先を掠め、そのまま後方の大木を深々と切り裂いた。
その瞬間だった。シルフィの動きが止まる。
焦点の定まらない瞳が、じっと私を見つめる。
ほんの一瞬だけ。
まるで、自分の攻撃を防がれること自体が予想外だったかのように。
シルフィは小さく首を傾げる。その瞳に浮かんだ揺らぎは一瞬だった。
すぐに興味を失ったように視線を外すと、静かに踵を返す。
「邪魔」
感情のない声だけが森へ響く。
「待てシルフィ!」
私は再び地面を蹴った。
距離は縮まっている。
開拓村の森で対峙したあの日なら、ここまで追い付くことすらできなかった。
だが今は違う。五年間、献身者として戦い続けた経験は、確かに私の力になっていた。
その時、シルフィは振り返ることなく左手を軽く払う。
地面が震えた。無数の土槍が足元から突き上がり、行く手を塞ぐ。
私は勢いを殺さず跳び上がると、空中で身体を捻り、足場になりそうな岩へ着地する。
そのまま踏み切り、土槍の間を縫うように駆け抜けた。
着地した瞬間には、再びレイピアを構える。
私はなおも追いすがる。シルフィはまた足を止める。
焦点の合わない瞳が、じっと私を見つめる。
理解できない。そんな表情のまま、私とレイピアを交互に見つめていた。
「……早いな」
小さく漏れた呟き。
「黒騎士を追わなきゃ」
それだけを呟くと、シルフィは再び森の奥へ駆け出した。
「待って!」
私は叫びながら後を追う。
枝葉を掻き分け、ぬかるみを蹴り、ただその背中だけを見失わないよう走り続ける。
その時だった。空を覆っていた雲が低く垂れ込め、森の中が急激に薄暗くなる。
冷たい風が吹き抜ける。
頬に一粒の雫が落ちた。
続いて、二粒。
やがて雨は一気に勢いを増し、激しい雨音が森を包み込む。
灰色のローブが木々の向こうへ消える。
私は速度を上げる。けれど雨は瞬く間に視界を白く染め、地面へ残っていた足跡も流していく。
「シルフィ!」
声を張り上げても、返事はない。
聞こえるのは降り続く雨音だけだった。
雨脚は容赦なく強まり、木々の輪郭さえ霞み始める。
私は足を止めずに走り続けた。濡れた枝が肩を叩き、ぬかるんだ地面が足を取る。
それでも視線だけは、シルフィが消えた方向から逸らさなかった。
「シルフィ!」
返事はない。
雨音だけが森中へ響き渡り、さっきまで微かに見えていた灰色のローブも完全に姿を消していた。
私は周囲を見回す。足跡を探そうとしても、激しく降る雨が地面を叩き、わずかな痕跡さえ洗い流していく。
……見失った。
歯を食いしばりながら拳を握る。
あと少しだった。あと少しで追い付けたはずなのに。
私は静かに息を吐き、雨に打たれながら空を見上げる。
灰色の雲が空一面を覆い、雨は弱まる気配を見せない。
このまま森を歩き回れば、私まで遭難しかねない。
一度、雨を凌げる場所を探そう。
そう判断し、私は街道へ戻るため踵を返した。
しばらく歩くと、木々の向こうに小さな灯りが見える。
雨に煙る森の中で揺れる、暖かな橙色の光。私は自然と歩みを速めた。
やがて一軒の古びた建物が姿を現す。山奥には不釣り合いな、小さな鍛冶屋だった。
煙突からは白い煙が立ち上り、軒先には打ち直しを待つ剣や斧が無造作に立て掛けられている。
雨はさらに激しさを増す。私は軒下へ入り、濡れた前髪を払いながら小さく息をついた。
今夜だけでも、ここで雨宿りさせてもらえないだろうか。そう思い、木製の扉を二度叩く。
しばらくして、家の奥からゆっくりと足音が近付いてきた。
扉が軋んだ音を立てて開く。
現れたのは、小柄な老人だった。
腰は曲がり、白髪は肩まで伸び放題。
鼻の頭にはずれ落ちそうな丸眼鏡を掛け、片手には煤で黒く汚れた金槌を握っている。
老人は私の顔を見るなり、目を細めた。
「おぉ……帰ってきたか」
「……え?」
「まったく、どこをほっつき歩いとったんじゃ。仕事を放り出して何日も姿を見せんとは、とんだ弟子じゃわい」
老人は当然のように私の腕を掴む。
私は状況が飲み込めず、その場に立ち尽くした。
つづく
最後までお読み頂き有難うございます。
なるべく短い間隔で、連載していきたいと思いますので
ブックマーク、レビュー、感想、評価をお待ちしております。
Xにてキャラクターの詳細など公開中
詳しくはプロフィールにリンクはってます




