ep.25 旅立ち(ゲシュクール歴789年)
ep.25 旅立ち(ゲシュクール歴789年)
私は、泣けなかった。
涙はもう、あの日の雪原で流し尽くしてしまったのかもしれない。
静かな礼拝堂。色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、白い棺だけを照らしている。
棺の上には、一輪の白い花。その傍らには、使い込まれた一本のレイピアが静かに置かれていた。
フィアの剣だった。
参列者は少ない。
統括監の姿もあった。
ミディス先生。
クレイ。
ノエル。
そして、私。
たった、それだけ。
賢者の死は公にはされない。
不老不死。人々が抱く賢者への幻想を守るため。
だから、この葬儀を知る者も、フィアという賢者が死んだことを知る者も、ごくわずかだった。
静寂だけが礼拝堂を満たしている。
誰も話さない。
誰も泣かない。
ただ棺だけを見つめていた。
私は一歩、前へ出る。
白い棺へ、そっと手を添えた。
冷たい。
そこにいるはずなのに。
もう二度と笑わない。
もう二度と私の名前を呼ばない。
「……ごめん」
小さく呟く。
また守れなかった。
サルトルも。
アミル先輩も。
そして、フィアも。
私は、何一つ守れなかった。
その時だった。
不意に頭の奥で、あの声が響く。
《きろくのこうしんをかいしします》
息を呑む。また、この声だ。
誰も反応しない。聞こえているのは、私だけ。
視界の奥で淡い光が揺れた。
温かい。
懐かしい。
剣を振る感覚。
雷のように駆ける足。
仲間を守るため、何度傷ついても前へ立ち続けた強い意志。
それらが静かに、私の中へ流れ込んでくる。
最後に、声が静かに告げた。
《継承処理を完了しました》
光は消えた。私は棺を見つめたまま、小さく笑う。
「……最後まで」
声が震えた。
「最後まで、守ってくれるんだね」
棺の上のレイピアは、何も答えなかった。
礼拝堂には、静かな鐘の音だけが響いていた。
礼拝堂を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
白い雪が静かに舞っている。誰も話さない。
足音だけが、石畳へ乾いた音を響かせていた。
私は振り返る。
礼拝堂の扉は静かに閉じられている。あの中に、フィアが眠っている。
もう二度と目を覚ますことはない。
「……」
胸の奥が痛む。それでも涙は出なかった。
流し尽くしてしまったから。
雪だけが、私たちの間を静かに降り続いていた。
不意に、クレイが立ち止まる。
「私は学院に残ります」
その一言に、私は顔を上げた。
クレイは礼拝堂を見つめたまま、小さく息を吐く。
「アミル先輩も。フィアも。学院で壊れた」
拳を強く握り締める。
「自己認識障害。永久欠損。まだ分からないことばかりです」
悔しそうに唇を噛む。
「私は調べます。賢者を守る方法を。もう二度と、こんなことを繰り返さないために」
その横顔には迷いがなかった。クレイは、もう前を向いていた。
今度はノエルが静かに口を開く。
「私は旅へ出ます」
私は驚いて振り返る。
ノエルは雪空を見上げていた。
「学院の資料だけでは足りません。禁呪。古代魔法。失われた魔導書。世界中を探します」
静かな声だった。
「永久欠損を治療できる方法が、どこかに残されているかもしれません」
少しだけ目を伏せる。
「私は、それを見つけます」
その瞳には決意だけが宿っていた。二人とも、もう進む道を決めている。
――エリシャはどうするの。
そう問いかけられている気がした。
私は答えられなかった。雪だけが、静かに降り続いていた。
クレイは、自分の進む理由を見つけた。
ノエルも、自分だけの道を決めた。
私だけが、まだ立ち止まっている。
サルトルを守れなかった。
アミル先輩も救えなかった。
そして、フィアまで失った。
私は何一つ守れなかった。
静かな沈黙を破ったのは、ミディス先生だった。
「エリシャ」
優しい声だった。
私はゆっくりと顔を上げる。
「貴女は、これからどうするの?」
俯いた私の脳裏に、フィアの笑顔が浮かんだ。
『もう、誰にも仲間は傷つけさせない』
あの日。
雪原で。
最後まで前へ立ち続けた背中。
その背中に、私は何度助けられただろう。
みんな、私を守って死んでいった。
守られてばかりだった。
何も返せなかった。
拳を強く握り締める。
「……私は」
喉の奥から、声が零れた。
「強くなりたい」
誰も言葉を挟まない。
「もう二度と」
震える声を押し殺す。
「誰かに守られるだけは嫌なんです」
「今度は、私が守れるようになりたい」
そして胸の奥に燃え続ける感情があった。
雪原で。最後までフィアを見届けた、あの赤い瞳。
アスカー。
「いつか必ず」
静かに息を吐く。
「アスカーを倒します」
ミディス先生は静かに頷く。クレイが笑った。
「またいつか会いましょう」
ノエルも小さく頷く。
「必ず」
私は二人を見つめ、小さく笑った。
「うん」
学院の門へ向かう。振り返る。
長い時間を過ごした賢者学院。
仲間と出会い。
笑い。
学び。
そして、大切なものを失った場所。
私は深く一礼する。
「行ってきます」
白い雪が舞う。
私は一歩、前へ踏み出した。
もう立ち止まらない。
仲間から受け継いだ想いを胸に。
自分の理由を見つけたのだから。
私は不老不死だ。
この先も、仲間を見送り続けるのかもしれない。
それでも。
忘れない。
仲間たちが生きた証を。
私は、そのために歩き続ける。
それが、死ねない私の生きる理由だから。
死ねないエリシャは、仲間の死を見届ける。
第一章 完
最後までお読み頂き有難うございます。
なるべく短い間隔で、連載していきたいと思いますので
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