ep.24 示された理由(ゲシュクール歴789年)
ep.24 示された理由(ゲシュクール歴789年)
アスカーは構えたまま動かない。それでも、瞳だけが静かに四人を見渡していた。
雪だけが降り続く。
張り詰めた静寂を破ったのは、アスカーだった。
一歩。
ただ、それだけ。
アスカーの姿が消えた。
「クレイ!」
エリシャが叫ぶ。
クレイが振り返る。
だが、もう遅い。黒い刃が目前まで迫っていた。
その間へ、再び赤い影が飛び込む。
ブシュッ――。
鈍い音と共に、ハルバードが脇腹を深く裂いた。
鮮血が舞う。
「フィア!」
クレイが駆け寄ろうとする。
「下がってろ!」
鋭い声だった。
フィアは傷口を押さえながら、小さく笑う。
《時短再生》
光が身体を包む。裂けた肉が塞がる。骨が元へ戻る。
流れ落ちた血さえ身体へ戻り、傷は跡形もなく消え去った。
荒い息を吐きながら、フィアはふっと笑う。
「……そうか」
開拓村。血だらけになりながらも、何度でも仲間の前へ立ち続けた先輩。
「アミル先輩」
小さく呟く。
「あの時は、馬鹿な戦い方だって思ってた……でも違った」
レイピアを握る手に力が入る。
アスカーを真っ直ぐ見据え、口角を上げた。
「なるほどな……アミル先輩」
「これが――脳筋賢者の戦い方か」
フィアは笑った。
レイピアを握り直し、誰よりも前へ立つ。
「もう、誰にも仲間は傷つけさせない」
「フィア!」
エリシャの叫びが雪原へ響いた。
「もうやめて!」
その声にも、フィアは振り返らない。
「《時短再生》を使い続けたら、アミル先輩みたいになっちゃう!」
震える声だった。
「お願いだから……もうやめて」
クレイも駆け寄る。
「フィア!」
「十分だよ!もう守ってもらった!」
「だから今度は私たちが――」
「下がってろ」
鋭い一言に、クレイの足が止まる。
ノエルも静かに杖を下ろした。
「記憶枯渇は元には戻りません」
「永久欠損まで進めば、自己認識障害になります」
「もう《時短再生》は使わないでください」
三人の制止を聞きながら、フィアだけが穏やかに笑っていた。
「だから?」
その一言で、空気が止まる。
「私は仲間を守れる。それで十分でしょ」
「違う!」
エリシャは首を振った。涙が頬を伝う。
「私はフィアに死んでほしくない!それにフィアが……フィアじゃなくなるのが嫌なの!」
静寂が落ちた。
フィアは少しだけ目を細める。
困ったように笑って、小さく息を吐いた。
「……ありがと」
その一言だけ残し、レイピアを構える。
赤い瞳は、もうアスカーしか見ていなかった。
アスカーは静かにハルバードを構えた。
赤い瞳は、ただ一人。
フィアだけを映している。
雪を蹴る。
黒い影が消えた。
「右!」
エリシャが叫ぶ。
フィアは迷わず飛び込んだ。
ギィィィィンッ!!
レイピアとハルバードが激しくぶつかり合う。
火花が散る。
押し切れない。
刃が肩口を裂いた。
ブシュッ――。
鮮血が雪原へ舞う。
「フィア!」
クレイが叫ぶ。
しかし、フィアは笑っていた。
《時短再生》
「まだだ!」
フィアは再び駆ける。
アスカーの視線は、ただ静かにフィアを追っていた。
再び消える。今度はノエル。
「っ!」
黒い刃が振り下ろされる。
「ノエル!」
赤い閃光が割って入った。
ブシュッ――。
ハルバードが胸元を切り裂く。
制服が真っ赤に染まる。
《時短再生》
フィアは息を整える間もなく、再び前へ出た。
「フィア!」
返事はない。
フィアはもう、アスカーしか見ていなかった。
「お願いだから……」
声が震える。
届かない。
何度叫んでも。
フィアは前へ出続ける。
その身体は、ただ仲間を守るためだけに動いていた。
アスカーは何度も標的を変える。
エリシャ。
クレイ。
ノエル。
その度に、フィアは迷わず前へ出た。
血が舞う。
《時短再生》
また血が舞う。
《時短再生》
雪原は、少しずつ赤く染まっていった。
その度に、光が血を身体へ戻していく。
肉体は完全に再生する。
それでも、アスカーの表情は変わらなかった。
まるで、その結末を最初から知っているように。
「……」
赤い瞳が静かに細められる。
その眼差しに驚きはない。
この少女の力も。
その先に待つ結末も。
全て知っている。
だから何も言わない。
ただ静かに、その理由の行く末を見届けていた。
フィアは荒い息を吐きながら、レイピアを握り直す。
指先は震え、視界も霞む。
それでも、その足だけは止まらない。
「フィア……もういいよ」
エリシャの声が震える。
返事はない。
「お願い……もう終わりにして」
フィアは目を細めた。
「まだ」
息を吸う。
「まだ、守れる」
その一言だけだった。
雪を蹴る。
《ライトニング》
雷鳴が轟く。
赤い閃光が一直線にアスカーへ駆ける。
アスカーは逃げない。避けない。
静かにハルバードを構える。
互いの距離が消える。
一閃。ギィィィィンッ!!
甲高い金属音が雪原へ響いた。
次の瞬間、ブシュッ――。
深々と刃が肉を裂き、フィアの身体が止まる。
胸元から真っ赤な血が溢れ出した。
「フィアァッ!」
エリシャが駆け出す。
クレイも。
ノエルも。
フィアは震える手を胸へ当て、小さく笑った。
《時短再生》
いつものように呟く。
淡い光が――現れない。
「……え?」
フィアが小さく目を見開く。
もう一度。
《時短再生》
沈黙。何も起きない。
裂けた胸から血だけが流れ落ちる。
「そんな……」
エリシャの顔から血の気が引いた。
治らない。
その事実だけで、胸が締め付けられた。
「嘘……嘘だよね」
喉が震える。
足がもつれながらフィアへ駆け寄る。
「お願い……」
涙が止まらない。
「お願いだから……治ってよ」
フィアは傷口を見つめたまま、小さく笑った。
「……あれ」
困ったように首を傾げる。
「……治らない」
小さく息を吐く。
「……永久欠損」
ノエルが唇を噛み締め、小さく呟いた。
白い息だけが空へ溶けていく。
誰も言葉を失っていた。
クレイは口元を押さえ震えている。
アスカーだけが動かない。
静かにフィアを見つめ続けていた。
長い沈黙。
フィアはゆっくりと目を閉じる。
そして、小さく笑った。
白い吐息が空へ溶けていく。
「そっか」
雪だけが静かに降り続いていた。
誰も動けない。誰も声を出せない。
フィアは胸元を押さえたまま、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。
「フィア……」
エリシャが震える声で名を呼ぶ。
返事はない。
「大丈夫だから、もう戦わなくていい」
一歩。
また一歩。
恐る恐る近づく。
「帰ろう……みんなで帰ろう」
フィアがゆっくりと顔を上げた。
その瞳がエリシャを映す。
エリシャは思わず息を呑んだ。
何かがおかしい。見ている。
確かにこちらを見ている。
それなのに、その瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
「……フィア?」
小さく首を傾げる。
何かを思い出そうとするように。
眉を寄せる。
「えっと……」
言葉が続かない。
視線がエリシャからクレイへ移る。ノエルへ移る。
そして、またエリシャへ戻った。
長い沈黙。
フィアは困ったように眉を下げた。
「ごめん」
その一言だけで、エリシャの胸が締め付けられた。
「思い出せない」
エリシャは首を横に振る。
「違う……思い出せる……私だよ」
涙が溢れる。
「エリシャだよ。毎日一緒にいたじゃん」
「学院で……一緒に笑って……一緒にご飯食べて……覚えてるでしょ?」
返事はない。フィアは必死に考えている。
その表情だけで分かった。思い出そうとしている。
でも、何も出てこない。
「クレイ!」
エリシャが助けを求める。
クレイは涙を拭いながら笑おうとした。
「フィア……私だよ……クレイだよ」
声が震える。
「覚えてるよね?」
フィアは静かに首を傾げた。
ノエルも前へ出る。
「フィア。私はノエルです。あなたの仲間です」
フィアは三人を見渡した。
エリシャ。
クレイ。
ノエル。
何度も。
何度も。
やがて、困ったように笑った。
「お前ら……」
沈黙。
何かを思い出そうとするように眉を寄せる。
「誰だっけ?」
その一言で。
エリシャの呼吸は止まった。
雪だけが静かに降り続いていた。
雪だけが静かに降り続いていた。
フィアは三人を見渡す。
困ったように笑った。
「でも」
小さく息を吐く。
「何だか……いい気分だ」
エリシャは首を振る。
「違う」
震える声だった。
「違うよ、フィア」
「私だよ……エリシャだよ」
「お願いだから……思い出して」
何度呼んでも、フィアの瞳は変わらない。
フィアはエリシャの顔を見つめる。
優しく笑う。
「ごめん」
その笑顔は、どこまでも穏やかだった。
「でも」
小さく首を傾げる。
「大切な人、だったんだよな」
エリシャの瞳から涙が溢れる。
「そうだよ……」
声にならない。
「大切な仲間だよ」
フィアは静かに頷いた。
「そっか」
それだけだった。
ふっと力が抜ける。
レイピアが雪へ落ちた。
乾いた金属音が静かに響く。
膝から崩れ落ちる身体を、エリシャは必死に抱き留めた。
「フィア!」
返事はない。
「お願い……」
肩を揺する。
「目を開けてよ」
何度呼んでも。
もう、その瞳がエリシャを映すことはなかった。
雪だけが静かに降り続いていた。
長い沈黙。
アスカーはゆっくりと歩き出す。
倒れたフィアの前で立ち止まり、その亡骸を静かに見下ろした。
赤い瞳は揺るがない。
長い時間をかけて、その最期を見届ける。
やがて、小さく口を開いた。
「お前の理由は」
雪が静かに二人の間へ降り積もる。
「立派に証明された」
それだけ言い残すと、アスカーは背を向けた。
もう振り返らない。
雪だけが静かに降り続いていた。
エリシャの嗚咽だけが、白い雪原へ消えていく。
最後までお読み頂き有難うございます。
なるべく短い間隔で、連載していきたいと思いますので
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