ep.23 理由(ゲシュクール歴789年)
ep.23 理由(ゲシュクール歴789年)
雪だけが静かに降り続けていた。
レイピアを構えたフィアと、ハルバードを携えたアスカーが向かい合う。
片腕を失ったガイゼルは、その後方で荒い息を繰り返していた。
誰も動かない。
誰も口を開かない。
戦場を支配していたのは、張り詰めた静寂だけだった。
アスカーが静かに口を開く。
「お前がここにいる理由を示せ」
低い声だった。
だが、その一言だけで空気が震えた。
フィアはレイピアの切っ先をゆっくりと持ち上げる。
「仲間を助けるためだ」
迷いのない答えだった。アスカーは表情を変えない。
「仲間を助けて、何になる」
フィアが眉をひそめる。
「何になるって?」
フィアの声に僅かな苛立ちが混じる。
「仲間だから助ける」
「それは答えになっていない」
静かな否定だった。
その一言で、フィアの表情が変わる。
苛立ちが、怒りへ変わっていく。
「さっきから理由、理由って……うるさいんだよ!」
怒声が戦場へ響いた。
兵士達が思わず肩を震わせる。
「仲間を助けるのに理由なんているか!」
「困ってたら助ける!」
「死にそうなら助ける!」
「好きだから助ける!」
「それだけだ!」
「それで十分だろ!」
叫び終えたあとも、フィアはアスカーを真っ直ぐ睨みつけていた。
肩で荒く息をする。戦場は再び静まり返る。アスカーはしばらく黙っていた。
やがて、静かに頷く。
「なるほど」
沈黙。
雪だけが二人の間へ降り積もる。
「それがお前の答えか」
フィアは答えない。ただレイピアを構え直す。
アスカーもまた、ハルバードをゆっくりと構えた。
「ならば」
切っ先がフィアへ向けられる。
「証明してみせろ」
フィアは一歩踏み込む。
「望むところだ!」
《ライトニング》
雷鳴が轟いた。青白い稲妻がフィアの身体を駆け巡る。
次の瞬間、赤い髪の少女は雷光となって雪原を駆けた。
「速い!」
兵士の誰かが思わず叫ぶ。ガイゼルをも凌ぐ速度。
レイピアが一直線にアスカーの喉元を貫く。
しかし、アスカーは半歩だけ身体を捻る。
切っ先は虚空を裂いた。
そのままハルバードが唸る。
フィアの胴を薙ぎ払う一撃。
「フィア!」
エリシャが叫ぶ。
ギィィィンッ!寸前でレイピアが受け止める。
火花が散る。だが、その衝撃だけでフィアの身体は大きく弾き飛ばされた。
雪原を滑りながらも、フィアはすぐに立ち上がる。
「やっぱり強い……!」
口元は笑っていた。
「でも!」
クレイが両手を突き出す。
《ルートグラスプ》
雪原を突き破り、無数の根がアスカーの足へ絡みつく。
一瞬、本当に一瞬だけ、その動きが止まる。
「ノエル!」
エリシャの声と同時だった。ノエルが静かに杖を掲げる。
《アイスランス》
幾本もの氷槍が空中に現れ、一斉にアスカーへ降り注ぐ。
アスカーはハルバードを振るう。
氷槍が砕け散る。
その刹那、エリシャの脳裏にサルトルの声がよぎる。
(来る――右だ!)
「フィア!左へ跳べ!」
考えるより先に身体が動く。剣を抜き放ち、一歩踏み込む。
ギィィィンッ!!凄まじい衝撃が腕を貫いた。
アスカーのハルバード。
重い。腕が軋む。足が雪へ沈む。
それでも、受け止めた。ほんの一瞬だけ。
「フィア!」
エリシャが叫ぶ。
フィアの姿が掻き消える。
雷光が一直線に駆けた。
レイピアが閃く。
ビリッ――。
黒い外套が裂けた。
その下の肩口を、鋭い切っ先が浅く裂く。
赤い雫が雪へ落ちた。戦場が静まり返る。
兵士達が目を見開く。
「傷を……」
「傷を付けたぞ!」
歓声が上がる。
「いける!」
「四人なら勝てる!」
エリシャも息を切らしながら剣を握り直す。腕は痺れ、今にも剣を落としそうだった。
それでも胸の奥には、確かな手応えがあった。
通じた。人類最強でも届かなかった一撃が。
四人で掴んだ、この一撃だけは。
アスカーは肩口を伝う血を一瞥した。
そのまま視線をエリシャへ移す。
「……その剣」
エリシャは息を呑む。
「貴様自身の剣ではないな」
静寂。
「死者のものだな」
そして、アスカーは四人を順に見渡す。
小さく呟いた。
「それがお前たちの答えか」
その一言だけだった。
その姿を見た瞬間、エリシャの背筋を冷たいものが走った。
アスカーは一歩も退いていない。
(……まだ、本気じゃない。)
アスカーは肩口から流れる血を拭うこともなく、静かにハルバードを構え直す。
その動作はゆっくりだった。
それなのに。
空気が変わる。
胸を押し潰されるような圧迫感が、息を吸うことを拒む。
兵士達が一歩、また一歩と後ずさる。魔物達でさえ、本能的な恐怖から距離を取っていた。
「来るよ」
フィアが小さく呟く。
その声から、先程までの余裕は消えていた。レイピアを握る手に力が入る。
エリシャも剣を構えた。
サルトルの記憶が警鐘を鳴らしている。
――勝てない。
その言葉だけが頭の中を巡る。
それでも。
「行く!」
フィアが地を蹴った。
《ライトニング》
雷光が雪原を裂く。一瞬でアスカーの懐へ潜り込み、レイピアが喉元を狙う。
しかし、そこにアスカーはいなかった。
「えっ――」
消えた。そう錯覚するほどの速度。
「フィア!」
エリシャが叫ぶ。振り向いた時には、アスカーはフィアの背後へ立っていた。
ハルバードが振り抜かれる。
ギィィィィンッ!!
間一髪。フィアが振り向きざまに受け止める。
火花が弾けた。
「くっ……!」
だが、受け止めきれない。
身体ごと吹き飛ばされる。
雪原を十数メートル滑り、ようやく踏み止まった。
その隙を、アスカーは見逃さない。
フィアを弾き飛ばした勢いのままハルバードを返す。
歩みは止まらない。視線は最初からエリシャだけを見ていた。
「!」
赤い瞳が、真っ直ぐエリシャを射抜いた。
その瞬間、全身の血が凍り付く。
来る。
「エリシャ!」
クレイが叫ぶ。根が地面を這う。
《ルートグラスプ》。
無数の根がアスカーへ伸びる。
しかし、ハルバードが一閃した。
根は触れる前に切り刻まれる。
「そんな……!」
クレイが息を呑む。
ノエルが杖を掲げる。
《アイスランス》
氷槍が降り注ぐ。だがアスカーは止まらない。
片手でハルバードを振るうだけで、氷槍は粉々に砕け散った。
その歩みは一切止まらない。
エリシャへ真っ直ぐ迫る。
サルトルの記憶が弾ける。
身体が勝手に剣を振り上げた。
「っ!」
ギィィィィンッ!!
激しい衝撃が腕に伝わり悲鳴を上げる。
受けた。
——違う。
重い。ハルバードが止まらない。
受けたはずなのに、刃が押し込まれてくる。
「しまっ――!」
力負けする。
剣が弾かれる。
無防備な胸元へ穂先が迫る。
避けられない。
そう確信した、その瞬間だった。
「エリシャァッ!」
赤い影が割り込む。
ブシュッ――。鈍い音。
ハルバードがフィアの脇腹を深々と切り裂いた。
鮮血が舞う。
「フィア!」
エリシャが叫ぶ。
フィアは苦痛に顔を歪めながらも、倒れない。
歯を食いしばり、エリシャを力いっぱい突き飛ばした。
「下がれ!」
エリシャの身体が雪原へ転がる。
その目の前で、フィアの制服が赤く染まっていく。
血が止まらない。兵士達が息を呑んだ。
「あんな傷……」
「助からない……」
クレイが駆け出そうとする。ノエルも杖を握り締めた。
だが、フィアは震える手でレイピアを支え、ゆっくりと立ち上がる。
荒い呼吸。
額には脂汗。
それでも、笑った。
「こんなの……」
息を吐く。
「まだ動ける!」
その言葉と同時に、小さく呟く。
《時短再生》
淡い光が身体を包む。
裂けた肉が音もなく繋がり始める。
溢れ続けていた血が止まり、深く抉られた傷が瞬く間に塞がっていく。
数秒後、致命傷は消えていた。
アスカーの表情は変わらない。
塞がっていく傷口を静かに見つめていた。
エリシャは立ち尽くしたまま拳を握る。
フィアはレイピアを握り直し、再びアスカーを見据える。
「まだ終わってない」
再び地を蹴る。
その背中を見つめながら、エリシャは拳を強く握り締めた。
その瞬間だった。
アスカーは既に動いている。
次はノエル。
「!」
ノエルの瞳が見開かれる。
杖を構える。間に合わない。
ハルバードが振り下ろされる。
「ノエル!」
赤い影が飛び込んだ。
ブシュッ――。
刃が肩口から胸へ深く走る。
鮮血が雪を染めた。
「フィア!」
クレイが叫ぶ。だがフィアは膝をつかない。
肩を押さえ、小さく息を吐く。
《時短再生》
淡い光が全身を包む。裂けた肉が繋がる。
砕けた骨が元へ戻る。
流れ落ちた血さえ身体へ戻るように再生され、傷は瞬く間に消え去った。
「まだ動ける!」
笑顔に無理は見えない。
だからこそ、エリシャは止められなかった。
「フィア、もう――!」
言い終わる前に、アスカーが再び消えた。
今度はクレイ。
「しまっ……!」
植物魔法では間に合わない。
距離が近すぎる。振り下ろされる刃。
「クレイ!」
また赤い閃光が割って入る。
ギィィィィンッ!!
レイピアで受ける。
受け切れない。衝撃がフィアの身体を押し潰した。
刃が脇腹を抉る。
鮮血。それでも。
《時短再生》
迷わない。
光が傷を包み込み、肉体は何事もなかったように修復される。
フィアは立ち上がる。
レイピアを握り直す。息一つ乱さず、再びアスカーを睨んだ。
エリシャはその背中を見つめる。胸の奥に、小さな違和感が芽生えていた。
傷は治る。
血も戻る。
身体は元通りだ。
それなのに。
(なんで……)
言葉にできない。
説明もできない。
ただ、本能だけが警鐘を鳴らしていた。
何かがおかしい。
アスカーは静かにフィアを見つめていた。
フィアはレイピアを握り直す。
「終われるか!」
《ライトニング》
雷鳴が轟く。
赤い閃光が、再びアスカーへ駆けた。
最後までお読み頂き有難うございます。
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