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ep.20 第七遊撃班(ゲシュクール歴789年)

警鐘が鳴り止み、戦場に静寂が戻った。

先ほどまで響いていた怒号も剣戟も、今は吹き抜ける風の音だけが雪原を渡っていく。

勝った。そう誰もが理解していた。それでも、歓声を上げる者は一人もいなかった。


「負傷者を治療所へ運べ!」

「戦死者を回収しろ!」

「魔物の死体を片付けろ!」


兵士たちは休む間もなく動き始める。雪原には、人と魔物の亡骸が入り混じって横たわっていた。

仲間の亡骸を抱き上げる兵士。力なく垂れ下がった腕が雪の上を引きずられ、赤黒い筋を残していく。

近くでは、魔物の死体を荷車へ放り込む兵士が顔をしかめた。

「……ひどい臭いだ」


血と臓物が混じった生臭い匂いが、冷たい風に乗って辺りへ漂う。

別の兵士は膝をつき、戦死した仲間の首から認識票を外していた。

血で滑る革紐を何度も掴み直し、ようやく外す。


「……奥さんには、俺が届ける」

短く呟くと、認識票を懐へしまった。涙を拭うこともなく、次の亡骸へ向かう。

戦争は、悲しむ時間さえ与えてくれなかった。エリシャは立ち尽くしたまま、その光景を見つめていた。


エリシャは思わず息を呑んだ。ほんの数分前まで、生きていた人だった。

名前すら知らない兵士だった。


学院では、訓練が終われば教師が終了を告げていた。

怪我人は医務室へ運ばれ、数日もすれば笑いながら訓練へ戻ってくる。

誰も死ななかった。


けれど、ここには終わりがない。

戦いが終われば、死者を運ぶ。

それが終われば、また戦う。


それが戦場だった。


「エリシャ」

ノエルが静かに声を掛ける。


「治療班の手伝いを」

小さく頷き、治療所へ向かった。

基地内の治療所は、負傷兵で溢れ返っていた。

包帯は次々と血で染まり、床へ投げ捨てられていく。


血溜まりを踏んだ衛生兵の靴底が、ぬちゃりと嫌な音を立てた。

治療台の下には、切り落とされた腕が白い布で覆われて置かれている。


鼻を刺す血の匂い。薬草の青臭さ。汗の臭い。

それらが混ざり合い、息をするたび喉の奥へまとわりついた。


「次!」

治療班の怒号が飛ぶ。


エリシャは駆け寄り、傷口へ両手をかざした。

「――エクスヒール」

温かな光が傷口を包み、裂けた肉がゆっくりと閉じていく。


「ありがとうございます……」

兵士は安堵したように息を吐いた。


だが、その隣では腕を失った兵士が歯を食いしばり、声にならない呻きを漏らしている。

さらに奥では、腹部を深く裂かれた兵士へ数人の賢者が同時に回復魔法を掛け続けていた。


淡い光が何度も傷口を包む。それでも、流れ出る血は止まらない。


「もっと魔力を!」

「駄目です……!」

一人の賢者が力なく首を横へ振った。


兵士は薄く目を開ける。

焦点の合わない瞳が天井を見つめ、小さく唇を動かした。


「母さんに……」

掠れた声だった。


その続きを口にすることなく、胸が静かに沈む。

治療所から音が消えた。

誰も泣かない。

泣いている時間などなかった。


「次を運べ!」

叫び声とともに、新たな負傷兵が担架で運び込まれてくる。


エリシャは拳を強く握り締めた。

(また……救えなかった)


賢者は万能ではない。学院で何度も聞かされた言葉。

けれど、その意味をエリシャは今、本当の意味で理解していた。

その時、治療所の入口から低い声が響いた。


「一時間後、全部隊再出撃」

ガイゼルだった。


積み重ねられた遺体へ一度だけ視線を向ける。


それ以上は何も言わない。

誰一人、異を唱えなかった。


兵士たちは黙って立ち上がり、それぞれの持ち場へ戻っていく。


戦いは終わった。


それでも、戦争は終わらない。


エリシャは長剣を握り直した。


治療を終えた頃には、外はすでに夕暮れへと変わり始めていた。

だが、兵士たちに休息はない。


「第七遊撃班」

兵士が名簿を確認しながら叫ぶ。

「東部丘陵地帯の掃討任務だ。戦場から逃げた魔物が周辺を徘徊している。残党を討伐しろ」


「了解」

フィアが短く返事をする。


エリシャたちは装備を整え、基地の外へ出た。雪の積もった丘陵地帯を、四人で慎重に進んでいく。

風だけが静かに吹き抜けていた。誰も話さない。


一年半前なら違った。


フィアがくだらない冗談を言い、エリシャが呆れ、クレイが笑い、ノエルが静かにため息をつく。

そんな当たり前だった時間は、もうなかった。先頭を歩くフィアの背中だけが、淡々と前へ進んでいく。

やがてフィアが右手を上げた。


「止まって」

全員が足を止める。

フィアは腰を落とし、雪の上を指差した。

「足跡……まだ新しい」

「ゴブリン五体。ホブゴブリン一体」

「ノエル、後衛」

「クレイは正面」

「エリシャは私の左」

「囲まれたらすぐ下がるよ」


三人は小さく頷いた。

ホブゴブリンのものと思われる大きな足跡に、小さな足跡がいくつも続いている。

クレイが小さく頷く。

「近いですね」


ノエルは杖を握り直した。その時だった。

茂みが大きく揺れる。


「ギャアッ!」


甲高い叫び声とともに、ゴブリンが飛び出してきた。

続いてホブゴブリン。


「来るよ!」

フィアが真っ先に駆け出す。


レイピアが一直線に突き出される。

喉を貫かれたゴブリンが雪の上へ倒れ込んだ。


「クレイ!」

盾が押し込まれる。


「下がって!」

フィアが飛び込み、レイピアが閃く。

ゴブリンの喉を貫いた。


「ありがとう!」

「まだ来る!気を抜かない!」


後方ではノエルが静かに詠唱を終える。


「アイスランス」

氷槍が一直線に飛び、ゴブリンの胸を貫いた。

だが、その瞬間だった。


「しまっ――」

クレイの声。

盾で正面を受け止めた隙に、もう一体のゴブリンが横から飛び掛かる。

間に合わない。

そう思った瞬間。赤い影が割り込んだ。


「はぁっ!」

フィアだった。

レイピアが閃き、ゴブリンの首筋を正確に貫く。


魔物はその場へ崩れ落ちた。


「大丈夫?」

「ありがとうございます」

クレイが息を吐く。

しかし、フィアは助けに入った勢いのまま敵陣へ踏み込み過ぎていた。

残っていたホブゴブリンが咆哮を上げる。左右からゴブリンが一斉に襲い掛かった。


「フィア!」

包囲される。

一瞬だけ、フィアの動きが止まった。

その身体が見えた瞬間、エリシャは考えるより先に駆け出していた。


「ノエル! 左を止めて!」

「分かった!」

氷槍が左から迫るゴブリンを貫く。


「クレイ! 押し返して!」

盾がホブゴブリンを押し返す。


その隙へエリシャが飛び込む。

長剣がゴブリンを斬り伏せる。


「今!」


フィアが跳んだ。銀色の切っ先が一直線に伸び、ホブゴブリンの喉を正確に貫いた。

魔物は低く呻くと、そのまま雪の上へ崩れ落ちる。

辺りは静かになった。

風だけが雪煙を巻き上げている。


フィアは小さく息を整えながら、エリシャへ視線を向けた。


ほんの少しだけ間が空く。

「……助かった」

それだけだった。


エリシャは小さく肩をすくめる。

「……当たり前」

短い返事。


フィアが少しだけ笑う。

「当たり前か……確かにそうだ」

助けることも、助けられることも。

一年前のエリシャ達には、それが当たり前だった。

その空気を感じ取ったのか、クレイが穏やかに笑う。

「安心しました」

「え?」

「さっきの連携を見て」

「やっぱり四人は四人ですね」

フィアは少し照れくさそうに視線を逸らした。

「……たまたま」

そう答えながらも、その表情はどこか柔らかかった。


ノエルは静かに二人を見比べた。

そして小さく呟く。

「……よかった」


エリシャは思わず小さく笑う。

凍り付いていた時間が、ほんの少しだけ動き始めた気がした。


第七遊撃班が基地へ戻る頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。

勝利したはずの基地は、少しも静かではない。

荷馬車には負傷兵が次々と運び込まれ、治療所では怒号が飛び交う。

補給部隊は矢束や食料を運び続け、鍛冶場では夜になっても槌の音が止まらなかった。

勝っても終わらない。戦争とは、そういうものだった。


「おーい!」

広場の向こうから聞き慣れた大声が響く。


レオンだった。

返り血で鎧を赤く染めながらも、大きく手を振っている。

隣にはリズの姿もあった。


「そっちも無事だったか!」

「なんとかな」

フィアが苦笑しながら答える。


「そっちは?」

「楽勝だ!」

レオンは豪快に笑った。

「魔物なんて大したことなかったぜ!」

その明るい声に、周囲の兵士たちも笑みを浮かべる。

ほんの一瞬だけ、戦場の空気が和らいだ。

その時だった。


エリシャの視線が、レオンの右腕で止まる。

剣を握る右手が、ほんのわずかに震えた。

寒さのせいなのか。疲労なのか。

それとも――。


「レオン」

隣のリズが小さく声を掛ける。レオンは一瞬だけ眉をひそめる。

震える右手を左手で強く握り締めた。


「……ああ、大丈夫だ」

そう言って、いつもの笑顔を作る。


「心配すんな」

その笑顔を見て、周囲の兵士たちは再び笑った。

誰も違和感を抱かない。だが、エリシャだけは目を離せなかった。


(今のは……)

胸の奥に、小さな引っ掛かりだけが残る。


「夕食だ」

兵士の声が響く。エリシャたちは食堂へ向かった。


簡素なスープと黒パン。

温かいはずの食事だったが、誰も多くは喋らない。

それでも。


「……明日もよろしく」

フィアがぽつりと呟く。


エリシャは小さく頷いた。

「……もちろん」

短い返事。


それだけで十分だった。

向かいではクレイが安堵したように笑い、ノエルも小さく頷く。

四人はようやく、同じ卓を囲めるようになっていた。

食事を終えた後、エリシャは一人で見張り台へ上った。


冷たい夜風が頬を撫でる。見渡す限りの雪原。その遥か北。

闇の向こうが、赤く染まっていた。


炎だった。誰かが小さく呟く。

「……また燃えてる」


その直後。

カァァァン――――。

警鐘が夜空へ響き渡る。

基地中の兵士が一斉に顔を上げた。


「伝令!」

門の向こうから、一頭の軍馬が雪煙を上げながら駆け込んでくる。

騎乗していた兵士は馬から飛び降りると、そのままガイゼルの前へ膝をついた。


「報告します!」

息を切らしながら叫ぶ。


「西部第六防衛線、壊滅!」

広場が静まり返る。


「アスカー、東進中!」

その報告に、兵士たちの顔色が変わった。

ガイゼルは地図へ目を落とし、静かに口を開く。


「……予想より早いか」

短く呟くと、顔を上げる。


「全部隊。明朝、出撃する」

その一言で、基地は再び慌ただしく動き始めた。


エリシャは北の空を見つめる。

燃え続ける炎は、ゆっくりとこちらへ近づいてきているように見えた。


アスカー。

まだ姿は見えない。

それでも、その名だけで戦場は震えていた。

そしてエリシャは、まだ知らない。


その炎の先で。


大切なものを失うことになるなんて。


最後までお読み頂き有難うございます。

なるべく短い間隔で、連載していきたいと思いますので

ブックマーク、レビュー、感想、評価をお待ちしております。


Xにてキャラクターの詳細など公開中

詳しくはプロフィールにリンクはってます

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