ep.15 灰色の賢者(ゲシュクール歴787年)
「私は・・・誰」
「私は・・・誰」
ゆっくりと近づいてくる。
異様だ。
薄汚れて灰色になったローブは所々擦り切れ。
裸足でフラフラと歩いている。
少女は頭を抱えた。
爪が頭皮を掻きむしる。
「違う」
震える声。
「私は私だ」
ぶつぶつと独り言を繰り返す。
そして突然。
「私は誰だッ!!」
叫び声が森を揺らした。
無表情が一変、鬼の形相になる。
アミルの顔から血の気が引いた。
「・・・シルフィ?」
少女の動きが止まる。
「シルフィ?」
その名前を転がすように呟く。
「そうだ」
「シルフィ」
「私はシルフィだ」
嬉しそうに笑う。
だが次の瞬間。
「で、君達は誰?」
シルフィが首を傾げる。
アミルが一歩前へ出た。
「シルフィ。私だ。アミルだ」
少女の目がアミルへ向く。
数秒、じっと見つめる。
「知らない」
即答だった。
アミルの表情が僅かに歪む。
「アミルだ。同じ学院だった」
「知らない」
まるで壁と会話しているようだった。
「あぁ、あれか」
「えーと。追手だ」
「私を捕まえにきたんでしょ?」
「アミル先輩」
フィアの声は小さい。
「知り合いなのか?」
アミルは視線を逸らさない。
「ああ」
短く答えた。
「賢者シルフィ。一年前に失踪した。私が知る限り、最も優秀な賢者の一人だ」
「アミル先輩以上・・・マジかよ・・・」
「ほら」
「その服装見覚えがある」
「えーと」
「武器まで持ってる」
「どうするんですか?」
エリシャがアミルに聞く。
「出来れば戦いたくない。被害が出る」
「覚悟を決めろってことですか?」
「違う。被害者はこちら。犬死になる可能性が高い」
「うーん」
「とりあえず、追い払うか」
シルフィが杖を構える。
「やばい!陣形を整えろ!盾隊前へ!支援は後方へ!」
慌てふためく学生達。
明らかに経験不足だった。
「えーと」
「魔法が思い出せない」
「なんだっけ?」
「アミル先輩!やるなら今の内では!?」
アミルの顔は明らかに迷っていた。
このまま逃げるのか。
先制攻撃を仕掛けるのか。
そして意を決した顔になる。
「後方部隊!攻撃魔法用意!」
各自詠唱に入る。
小さな魔法陣が後方に展開される。
「撃てぇぇぇぇ!」
アミルの声と共に攻撃魔法がシルフィに向かって発射される。
「あぁ」
「うーん」
「なんだっけ」
第一波がシルフィに当たる瞬間だった。
小さくても、はっきりと聞こえた。
「あっ。思い出した」
砂煙が晴れる。
シルフィは立っていた。
傷一つない。
その身体を薄い光の膜が包んでいる。
「防御魔法」
シルフィが呟く。
「思い出したよ」
「嘘ですよね」
ノエルが声を上げた。
「・・・無詠唱」
珍しくノエルが声を上げた。
「無詠唱って何だよ!?」
フィアが怒鳴る。
「詠唱無しで魔法が発動出来るんだ。この世界で使える賢者は数えるだけだ」
「よく分かんねぇけど。防御しか出来ねぇなら突破できるだろ!今のうちにアタシ達で!」
珍しくフィアが焦っている。
「あっ」
「思い出した」
シルフィが笑顔で呟いた。
シルフィの周囲に魔法陣が浮かぶ。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
増えていく。
止まらない。
「まずい!後方支援!防壁魔法を盾隊へ!」
「詠唱が間に合わない!」
エリシャが叫ぶ。
魔法陣から光の槍が生成される。
「これ」
「私が好きな魔法」
「いいよ」
「詠唱、待っててあげるから」
光の槍は魔法陣から停止したままだ。
その間に盾隊へ防御魔法が次々と展開されていく。
「そろそろ」
「えーと」
「いいかな?」
その瞬間だった。
空が消えた。
誰かがそう錯覚した。
無数の光槍が一斉に解き放たれる。
一本や二本ではない。
視界を埋め尽くすほどの光。銀の雨。
いや――雨ですらない。
崩れ落ちる光の壁だった。
「まず――」
アミルが叫ぶ。
だが最後まで言えない。光槍は既に降り始めていた。
速すぎる。回避も迎撃も許さない。
次の瞬間、ガガガガガガガガガガガッ!!
大地が爆ぜた。
防壁魔法が一枚、二枚、三枚と砕け散る。
光の槍は止まらない。
木々を貫き。岩を砕き。
地面を抉りながら降り続ける。
悲鳴が上がった。
誰かが吹き飛ぶ。
盾が宙を舞う。
土煙が視界を覆う。
まるで戦場そのものへ天罰が降ったかのようだった。
砂塵が収まると、その場に盾隊はいなかった。
全員が吹き飛ばされ、見ただけで重症を負っているのが分かる。
「くっ!重症の者は時短再生を行え!」
賢者である以上、四肢欠損程度なら自力で治療できる。
だが――
心までは回復しない。
これだけ圧倒的な差を見せつけられては、心が折れる。
中には足が震えている者、すすり泣く者も出てきた。
「このままではまずい・・・壊滅する!」
「じゃぁ、どうすんだよ!」
「私が時間を稼ぐ」
「エリシャ。負傷者をまとめろ」
「クレイ。ノエル撤退準備だ」
「アタシはどうするんだよ!?」
「お前は・・・私がやられたら、次の時間稼ぎだ」
「・・・分かった」
アミルは剣を握り直した。額には汗が滲んでいる。それでも一歩も退かなかった。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
持っている剣を振りかぶり、振り下ろす。
「あら」
「こんにちは」
シルフィは、これからダンスを踊るかのように優雅にアミルの剣をかわす。
「あっ」
「こんなのも思い出した」
次の瞬間、シルフィの足元に小さな魔法陣が浮かぶ。
黒い炎が渦を巻き、その中心から一本の剣が姿を現した。
黒炎の剣がシルフィの手へ収まる。
パチパチと火花のような黒い粒子が舞った。
「綺麗・・・」
シルフィは嬉しそうに呟く。
まるで昔のおもちゃを見つけた子供だった。
だがアミルは笑えない。
その剣を知っていた。
「下がれ!」
叫ぶ。
同時にシルフィが剣を振った。
横薙ぎ。
それだけだった。
黒い炎が弧を描く。
次の瞬間、ドォォォォォン!!
森が吹き飛んだ。
数十メートル先の木々がまとめて切断される。
轟音。土煙。衝撃波。
エリシャは思わず耳を塞いだ。
フィアも絶句している。
「・・・は?」
誰かが呟いた。理解できなかった。
剣を一振りしただけだった。
それだけで森の景色が変わった。
「やっぱり綺麗」
シルフィは満足そうだった。
アミルの額を汗が流れる。
勝てない。改めて理解する。
一年前より強い。
いや――壊れている。
「アミル先輩・・・」
エリシャが震える声を出す。
アミルは視線を逸らさない。
「逃げる準備をしろ」
「でも」
「勝てない」
即答だった。
その一言に全員が黙る。
アミルが勝てないと言った。
それだけで十分だった。
「全員撤退だ」
その時、シルフィが首を傾げた。
「撤退?」
不思議そうだった。
「なんで?まだ、全部思い出してないのに」
空気が凍った。
次の瞬間、地面が大きく盛り上がった。
無数の根が土を突き破る。
太い蔦が蛇のようにうねり、生徒達へ襲い掛かった。
「なっ!?」
フィアが剣を振るうが、切れない。
鋼鉄のように硬い。
蔦は瞬く間に全員の身体へ絡み付いた。
腕。足。胴。完全拘束。
「くそっ!」
誰も動けない。
アミルだけが前へ出る。
「手を出すな」
低い声だった。
シルフィは首を傾げる。
「なんで?」
「遊ぶなら私が相手だ」
数秒。シルフィは考える。
「それいい」
次の瞬間。
アミルの身体が吹き飛んだ。
見えなかった。誰も反応できない。
轟音。大木へ叩き付けられる。
「先輩!」
エリシャが叫ぶ。
シルフィはそこにいた。黒炎の剣を持ったまま。
いつ移動したのかすら分からない。
「遅いね」シルフィが呟く。
アミルは血を吐きながら立ち上がる。
剣を構える。再び激突。金属音。火花。
だが勝負にならない。
アミルの剣は届かない。シルフィは全て避ける。
まるで踊るように。
楽しそうに。
そして、黒炎の剣が振り下ろされた。
ズバン。
アミルの左脚が宙を舞う。
「がっ!」
膝から下が消える。
鮮血が噴き出した。
だがアミルは倒れない。
即座に時短再生を発動する。
肉が蠢く。骨が伸びる。皮膚が形成される。
数秒で脚が元へ戻った。
黒炎が閃く。
アミルは反射的に剣を掲げた。
だが遅い。
右腕が肩口から消し飛んだ。
爆発したように肉片と血が散る。
「ぐあああぁぁぁっ!!」
絶叫。
剣が地面へ落ちる。
だがアミルは膝をつかない。
即座に時短再生を発動する。
骨が伸びる。
筋肉が絡み合う。
指先が形成される。
失われた腕が再び姿を取り戻した。
「面白いね」
「あと何回ぐらい出来る?」
黒炎が閃く。
アミルの身体がくの字に折れた。
胸が消えていた。
肋骨は砕け、肺が露出している。
血が泡となって口から溢れた。
呼吸が出来ない。それでも再生。
肉が蠢く。骨が繋がる。
潰れた肺が元の形へ戻っていく。
再生。
再生。
再生。
その度に顔色が悪くなっていく。
汗が止まらない。呼吸も荒い。
だが止まれない。止まれば全員が死ぬ。
何度目だったか。
脚を失い。腕を失い。胸を抉られた。
その度に再生した。
アミルは既に満身創痍だった。
黒炎の剣が喉元へ向けられる。
「終わり?」
シルフィが残念そうに言う。
アミルは動けない。
その時だった。
「あっ」
シルフィが固まる。
全員が息を呑む。
「そうだ、そうだ」
嬉しそうな声だった。
「思い出した」
黒炎の剣が消える。
同時に蔦も力を失った。
拘束が解ける。
フィア達が地面へ倒れ込んだ。
シルフィは足元を見る。
一本の薬草が生えていた。
「あー。そうだった」
「薬草を取りに来たんだっけ」
それを引き抜き、満足そうに頷く。
「見つかってよかった」
誰も言葉を発せない。
シルフィは薬草を抱える。
そして何事もなかったように森の奥へ歩き出した。
振り返りもしない。
やがて姿が消える。
静寂。
誰も動かなかった。
最初に駆け出したのはエリシャだった。
「アミル先輩!」
地面に倒れたアミルへ駆け寄る。
顔色は死人のように白い。
呼吸も浅い。
「先輩!」
アミルがゆっくり目を開く。
焦点が合わない。
虚ろな瞳。
そして。
「・・・君は」
掠れた声。
エリシャの身体が凍る。
アミルは困ったように眉を寄せた。
「・・・君は誰だ?」
エリシャの心臓が跳ねた。アミルは数秒間、エリシャを見つめる。
そして突然。
「ああ」
何かを思い出したように頷く。
「エリシャか」
だがその声に安心はなかった。
忘れていた。
今、確かに忘れていた。苦しそうな声だった。
だがその顔から血の気は消えている。
エリシャの脳裏に病棟の光景が蘇る。
自分の名前を失った賢者。
家族を忘れた賢者。
そして。
『私は誰だ』
森へ消えたシルフィの叫び。
エリシャはアミルを見る。アミルは額を押さえていた。
まるで何かを忘れないようにするかのように。
その仕草が、どうしようもなく恐ろしかった。
つづく。
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