ep.12 開拓村へ ( ゲシュクール歴787年)
————教室————
「次の実習について説明します」
ハルカ先生の声に、生徒達のざわめきが静まった。
エリシャも机から顔を上げる。
病棟を訪れてから数日、学院の日常は元通りになっていた。
少なくとも表面上は。
フィアは相変わらず騒がしく、クレイは笑顔でそれを見守り、ノエルは本を読んでいる。
変わったことなど何もない。
だが、エリシャだけは違った。
夜になると病棟の光景を思い出す。
虚ろな目をした賢者達。
自分の名前すら分からなくなった人々。
そしてミディスの言葉。
『今は考えなくても良いことです』
あの笑顔が頭から離れなかった。
「今回の実習先はこちらです」
ハルカ先生が資料を掲げる。
生徒達に紙が配られていく。
任務内容に目を通す。
【開拓村物資輸送支援】
【現地警戒任務】
【期間三日】
「開拓村?」
フィアが真っ先に反応した。
資料を覗き込みながら顔をしかめる。
「何だこれ?物資輸送?地味すぎだろ」
「重要な任務です」
ハルカ先生は即座に言った。
「開拓村は王国の領土拡張を支える重要拠点です」
「食料も資材も定期的に運ばなければなりません」
「それは分かるけどさぁ」
フィアは不満そうだった。
「もっとこう。魔物討伐とか、派手なやつが良かった」
「実習は遊びではありません」
「うっ」
フィアは机に突っ伏す。
その時、後方の扉が開いた。
生徒達の視線が一斉に集まる。
黒色の短髪、スラリと伸びた手足。
学院の制服を着ていても隠しきれない存在感。
エリシャも見覚えがあった。
以前、戦闘訓練で教官を務めていた上級生、賢者アミル。
「あっ!」
フィアが勢いよく立ち上がる。
「アミル先輩!」
教室中の視線が集まった。
当の本人は慣れた様子でため息を吐く。
「座りなさい」
「はい」
即座に着席。
あまりにも見事な反応に教室から笑い声が上がった。
アミルはそのまま教壇の横へ移動する。
ハルカ先生が説明を続けた。
「今回の実習にはアミルさんも同行します」
教室の空気が少し変わった。
安心したような声、期待するような視線。
学院内でもアミルの実力は有名だった。
エリシャも知っている。
少なくとも自分達より遥かに強い。
「勘違いしないで」
アミルが口を開く。
その一言だけで空気が引き締まった。
「戦うだけが仕事ではない」
教室が静かになる。
「補給が止まれば村は滅ぶ」
「防衛が崩れれば人が死ぬ」
淡々とした口調だったが、言葉には重みがある。
「今回の任務は地味だが重要だ」
アミルは生徒達を見回した。
「よく覚えておくんだ」
誰も軽口を叩かなかった。
フィアですら黙っている。
その姿を見て、エリシャは少し意外に思った。
以前の戦闘訓練でも感じたことだ。
アミルの言葉には不思議と人を従わせる力がある。
それは強さだけではない。
実際に経験してきた者だけが持つ重みだった。
「それでは準備に取り掛かってください」
ハルカ先生が締めくくる。
教室に再びざわめきが戻った。
三日間の実習。
病棟の出来事から離れられるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
だが同時に、理由の分からない胸騒ぎもあった。
エリシャは資料へ視線を落とす。
————街道(出発当日)————
学院の正門前は珍しく賑やかだった。
実習用の馬車が数台並び、
生徒達が荷物を抱えて集まっている。
荷台には木箱が積まれている。
食料。
衣類。
工具。
開拓村で必要となる物資だ。
「思ったより多いですねぇ」
クレイが感心したように呟く。
「村一つを支えるんだから当然だろ」
フィアはそう言いながら荷台へ飛び乗った。
馬車がゆっくりと動き出し、学院の門が遠ざかっていく。
見慣れた石畳、見慣れた建物、王都の喧騒。
それらは徐々に小さくなり、やがて見えなくなった。
————数時間後————
街道は緩やかな丘陵地帯へと変わっていた。
初夏を迎えた草原が風に揺れ、遠くでは鳥の群れが空を横切っていた。
出発したばかりの馬車には妙な高揚感があった。
普段は学院の中だけで過ごしている。
王都の外へ出る機会はそう多くない。
窓の外を眺める生徒達の表情もどこか明るかった。
フィアなどは完全に旅行気分だった。
馬車の揺れは心地良く、暖かな日差しもある。
それだけなら平和な旅だった。
「暇だ」
フィアが呟く。
十分後。
「暇だ」
さらに十分後。
「暇だ」
「何回目ですかぁ?」
クレイが呆れた。
「暇なものは暇なんだよ」
フィアは荷台に寝転がったまま天井を見上げる。
「魔物とか出ないのか?」
「出たら困るんですけどぉ」
「少しくらいなら」
「少しでも困りますよぉ」
エリシャはその様子を眺めながら少しだけ笑う。
だが、心の奥は晴れなかった。
病棟で見た賢者達。
目を閉じると浮かぶ、自分の名前を失った人々。
そして、《きろくのこうしんをかいしします》
あの無機質な声。
耳の奥に残っている。
本当に聞いたのか、それとも幻聴だったのか。
答えはまだ出ていない。
「考え事か」
隣から声がした。
アミルだった。
エリシャは少し驚く。
「そんな顔してました?」
「していた」
即答だった。
アミルは前方を見たまま続ける。
「実習中は切り替えろ」
「……はい」
「先生から事情は聴いた。考えるなとは言わない」
「過去から学べることも沢山ある」
「だが周囲が見えなくなるほど考えるな」
厳しい言葉だった。
しかし責めるような響きはない。
経験から来る忠告、そんな印象だった。
「先輩も考え込むことがありますか?」
ふと聞いてみる。
アミルは少しだけ黙った。
「ある。だが答えの出ないことを考え続けても仕方ない」
そう言って話を終わらせた。
エリシャはそれ以上聞かなかった。
————————
太陽が西へ傾き始めた頃、異変は突然起きた。
前方の馬が激しく嘶く。
「ヒヒィィィン!」
次の瞬間、馬車が急停止した。
ガタンッ!
大きな衝撃。
フィアが荷台から転げ落ちそうになる。
「うおっ!?」
クレイも慌てて手すりを掴んだ。
護衛達がざわつく。
笑い声が消える。
空気が変わった。
アミルは即座に立ち上がる。
「そのまま待機」
短い指示、それだけで周囲が動く。
護衛達が武器を抜き、緊張が走った。
エリシャも荷台から前方を見る。
街道脇の草むら。
そこに何かが倒れていた。
最初は荷物だと思った。
違う、人だ。
いや、人だったもの。
フィアの顔色が変わる。
誰も声を出せない。
男の死体だった。
腹部は大きく裂け、片足は失われていた。
乾いた血が地面を黒く染めている。
風が吹き、腐臭が鼻を突く。
生臭さと腐敗臭が混ざった臭いだった。
エリシャは思わず顔をしかめる。
誰も言葉を発しない。
聞こえるのは風の音だけだった。
胸の奥がざわつく。
サルトルの最後の姿が脳裏をよぎった。
クレイは口元を押さえている。
ノエルも顔を青くしていた。
アミルだけが静かだった。
死体の側へ歩く。
しゃがみ込み、傷口を見る。
周囲の痕跡を見る。
足跡。血痕。草の倒れ方。
その全てを確認している。
やがて立ち上がった。
「三日前」
低い声だった。
誰も返事をしない。
「魔物だ」
断定だった。
その時、背後から別の声が聞こえた。
「また見つかったのか」
聞き慣れない声だった。
振り返ると道の向こうから二人の若者が歩いてくる。
よく似た顔。
同じような背丈。
双子だった。
しかし、二人は死体を見ても驚かなかった。
まるで見慣れた光景を見るような目だった。
それがエリシャには何より不気味だった。
双子のうち、髪の毛の短いほうが死体へ近づく。
年齢は十代前半だろうか。
日に焼けた肌、使い込まれた革鎧、腰には長剣が下がっている。
冒険者というより兵士に近い雰囲気だった。
「最近多いんだよな」
少年は死体を一瞥する。
まるで街道に石でも落ちていたかのような反応。
エリシャは思わず眉をひそめる。
普通ではない。
その感覚はフィア達も同じらしかった。
「おい」
フィアが声を上げる。
「最近多いってどういう意味だ?」
少年に視線を向ける。
そして少しだけ困ったように笑った。
「そのままの意味だよ。最近こういうのが増えてる」
そう言って死体を顎で示した。
フィアの表情が固まる。
「増えてる?」
今度は少女の方が口を開いた。
少年よりも髪が長い。
背中には弓を背負っている。
「先月だけで三件・・・」
静かな声だった。
「今月はこれで二件目です」
誰も言葉を返せない。
開拓村周辺の治安は良くない。
その話は聞いていた。
だが、ここまで酷いとは思っていなかった。
「村の警備隊か」
アミルが尋ねる。
少年が頷く。
「あぁ。自主的にな」
「俺達は開拓村所属だ。迎えに来た」
アミルは納得したように頷いた。
どうやら事前に話は通っていたらしい。
「私はアミル」
「学院の実習部隊を率いている」
少年も軽く頭を下げる。
「レオンだ」
妹が続く。
「リズです・・・」
短い自己紹介だった。
フィアはすぐに反応する。
「顔、同じだよな!双子!?」
レオンが少し笑う。
「そうだ」
「やっぱり!」
フィアは興味津々だった。
さっきまで死体を見て青ざめていたとは思えない。
立ち直りが早い。
「どっちが上?」
「俺」
「へぇー!似てる!」
「双子だからな!」
少しだけ空気が和らいだ。
だが、その空気を壊すようにリズが森へ視線を向けた。
「急いだ方がいいです」
全員の視線が集まる。
リズの表情は真剣だった。
「日が落ちます。最近は夜になると出るみたいなんで」
風が吹く。
森がざわめいた。
誰も笑わない。
先程までの和やかな空気は消えていた。
アミルが頷く。
「移動を再開する」
護衛達が動き始める。
死体は街道脇へ移された。
簡易的な目印だけを残して。
回収部隊を後から呼ぶらしい。
エリシャは死体から目を離せなかった。
名前も知らない男。
家族がいたかもしれない。
仲間がいたかもしれない。
だが今は誰もいない。
ただ一人で死んでいる。
サルトルの姿が重なった。
胸の奥が重くなる。
「行くぞ」
アミルの声で我に返る。
エリシャは小さく頷いた。
————
日が沈み始める頃。
ようやく目的地が見えてきた。
「あれですかぁ」
クレイが呟く。
丘を越えた先。
小さな集落があった。
木製の柵。
簡素な見張り台。
畑。
煙を上げる家々。
王都とは比べ物にならないほど小さい。
だが、近づくにつれ違和感が増していく。
柵の一部が新しい。
修理した跡だった。
見張り台にも補強された痕跡がある。
そして、村人達の表情。
誰も笑っていなかった。
むしろ怯えているように見える。
「おかしいですねぇ」
クレイが呟く。
エリシャも同じことを思った。
歓迎の雰囲気ではない。
何かに追い詰められている。
そんな空気だった。
村人達の視線が馬車へ集まる。
だが歓迎しているようには見えなかった。
何かを期待するような目。
助けを求めるような目。
そして――怯えた目。
まるで馬車の向こう側にいる何かを恐れているようだった。
その中から一人の老人が前へ出る。
村長だろう。
顔には深い疲労が刻まれていた。
「来てくださってありがとうございます」
声まで疲れている。
老人は深々と頭を下げた。
「本当に助かります」
アミルが前へ出る。
「状況を聞こう」
老人は頷いた。
だが次の言葉を口にするまで少し時間が掛かった。
言うこと自体を躊躇っているようだった。
やがて、震える声で呟く。
「森がおかしいんです」
風が吹く。
誰も口を挟まない。
老人は森を見た。
その目には恐怖があった。
「今まで見たこともない魔物が現れるようになりました」
「数も増えています」
アミルが眉をひそめる。
「繁殖期か?」
「分かりません」
村長は首を振った。
「ですが、おかしいんです」
震える声だった。
「以前は森の奥にいたはずなんです」
「それが今では村のすぐ近くまで現れる」
村長は夕暮れの森を見つめる。
「まるで何かから逃げているみたいに」
風が吹き、木々がざわめく。
誰も口を開かなかった。
もしそれが本当なら森の奥には、それ以上に危険な何かがいることになる。
夕暮れの森は静かだった。
静かすぎた。
まるで何かが息を潜めているように。
エリシャは無意識に森を見つめる。
その奥に何かがいる気がした。
つづく
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