ep.11 学院の謎③( ゲシュクール歴787年)
————学院医療棟————
翌日の放課後。
向かった先は学院医療棟。
普段、生徒が立ち入ることのない建物だった。
「先生」
エリシャが口を開く。
「本来なら話すつもりはありませんでしたが」
静かな声だった。
「こちらへどうぞ」
重い扉が開く。
中から消毒薬の匂いが流れてきた。
廊下の先には一人の少女が立っていた。
白い制服、栗色の髪。
年齢はエリシャ達とそう変わらない。
「お待ちしてました」
少女は軽く頭を下げた。
「私はセリナです」
「この病棟のお世話をしています」
エリシャは思わず目を丸くする。
「同じくらいの歳・・・?」
セリナは苦笑した。
「人手不足なんです」
ミディスが歩き出す。
「行きましょう」
最初の病棟。
中から泣き声が聞こえた。
誰かが叫んでいる。
何かに怯えるような声。
ベッドの上では一人の賢者が頭を抱えて震えていた。
「魔物がいる・・・」
若い賢者が部屋の隅を指差していた。
そこには何もない。
それでも彼の瞳には確かな恐怖が映っていた。
「来ないで・・・」
「来ないでぇ!」
突然ベッドから転げ落ちる。
看護師が慌てて駆け寄った。
エリシャは思わず息を呑む。
そこにいるのは魔物ではない。
だが、この賢者には見えているのだ。
セリナが小さな声で言う。
「精神異常です」
「戦争や仲間の死が原因になることもあります」
「・・・他にも様々な理由があります」
「これが精神異常・・・」
エリシャは小さく呟く。
セリナは黙って頷いた。
やがて病棟の奥へ進む。
すると、空気が変わった。
泣き声もない。
叫び声もない。
ただ沈黙だけが広がっている。
エリシャは違和感を覚えた。
「ここは・・・?」
セリナの表情が少し曇る。
「自己認識障害病棟です」
扉が開く。
静かだった。
異常なほど静かだった。
つい先程まで聞こえていた泣き声も叫び声もない。
廊下を歩く足音だけが響く。
エリシャは思わず周囲を見回した。
そこには数人の賢者がいた。
窓の外を見つめる者。
壁にもたれたまま座り込む者。
誰も騒がない。
誰も話さない。
ただそこにいるだけだった。
その光景は発狂した賢者達よりも、なぜか不気味だった。
部屋の奥には一人の少女がいた。
見た目はエリシャ達と同じぐらい。
机に向かい、何かを書いている。
普通だった。
少なくともそう見えた。
少女は顔を上げる。
「こんにちは」
「こんにちは」
エリシャも返事をした。
少女は少し笑う。
「あなたは誰?」
「私はエリシャです」
「そう」
少女は安心したように頷いた。
会話は終わった。
エリシャは少しだけ肩の力を抜く。
その時だった。
「こんにちは」
少女が再び顔を上げた。
「え?」
「あなたは誰?」
エリシャは言葉を失う。
さっきと同じ声。
同じ表情。
まるで数秒前の会話が存在しなかったかのように。
セリナは慣れた様子で近付く。
「大丈夫ですよ」
「あなたはレミさんです」
女性は安心したように微笑んだ。
「そう」
「ありがとう」
数秒後。
「こんにちは」
「あなたは誰?」
エリシャの背筋を冷たいものが走った。
机の上には何冊ものノートが積まれていた。
その全てに同じ文字が並んでいる。
私はレミ。
私は賢者。
私はレミ。
私は賢者。
何ページも、何十ページも。
同じ文章だけが続いていた。
エリシャは無意識にページを閉じた。
見ているだけで胸が苦しくなる。
「忘れるんです」
セリナが言う。
「だから毎日書いています」
エリシャは何も言えなかった。
さらに奥。
ベッドに座る別の少女。
ぼんやりと天井を見上げている。
「私は誰でしたっけ」
小さな声だった。
誰に向けた言葉でもない。
ただ。
何度も。
何度も。
同じ言葉を繰り返していた。
帰り道。
エリシャとノエルは黙っていた。
病棟で見た光景が頭から離れない。
やがてエリシャは口を開いた。
「治るんですか」
誰も答えない。
セリナも。
ミディスも。
長い沈黙。
そして。
「先生は大丈夫なんですか」
ミディスの足が止まる。
エリシャは続けた。
「先生も賢者ですよね」
「じゃあ・・・先生も、ああなるんですか」
夕日が廊下を赤く染めていた。
ミディスはしばらく何も言わなかった。
そして、小さく笑う。
「・・・分かりません」
エリシャは息を呑んだ。
ミディスは前を向いたまま続ける。
「私にも分からないのです」
「いつまで大丈夫なのか」
ミディスは自分の足へ視線を落とした。
そして小さく笑う。
「それは私にも分からないのですよ」
エリシャは初めて思った。
不老不死は祝福ではないのかもしれない。
『私は誰でしたっけ』
その言葉だけが、いつまでも耳に残っていた。
つづく
最後までお読み頂き有難うございます。
なるべく短い間隔で、連載していきたいと思いますので
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