ep.10 学院の謎② ( ゲシュクール歴787年)
———翌日の放課後・王都図書館————
エリシャとノエルは放課後になると再び王都図書館を訪れていた。
夕日が高い窓から差し込み、長い本棚の影を床へ落としていた。
古い紙と革表紙の匂い。
時折聞こえるのはページをめくる音だけ。
エリシャとノエルの机の上には、既に大量の資料が積み上がっていた。
積み重なった本は二人の肩ほどの高さになっている。
調べ始めてから何時間経ったのか分からない。
それでも求める情報は見つからなかった。
昨日見つけた資料だけでは足りない。
二人は賢者について調べ続けていた。
本をめくり、記録を書き写し、気になる名前を追う。
「すみません」
穏やかな男性の声がした。
顔を上げると、司書らしい男性が本を抱えて立っていた。
年齢は三十代後半ほど。
柔らかな茶髪に眼鏡をかけている。
「ご依頼の資料をお持ちしました」
机の上に数冊の本が置かれる。
「ありがとうございます」
ノエルが頭を下げた。
「賢者史ですか。珍しいですね」
男性は少しだけ笑った。
「古い資料は欠損も多いので気を付けてください」
そう言うと男性は振り返る。
「ルル、残りもお願いできますか」
「はーい!ロイド司書」
本棚の向こうから少女が顔を出した。
エリシャ達より少し年下だろうか。
抱えきれないほどの本を持ちながら駆け寄ってくる。
「これで全部です!」
少女は机に本を置くと、ぺこりと頭を下げた。
「助かります」
エリシャが礼を言う。
少女は少し照れたように笑った。
「頑張ってくださいね」
二人は去っていく。
本を運ぶ少女と、その後ろを歩く司書。
どこにでもいるような光景だった。
本をめくり、記録を書き写し、気になる名前を追う。
すると別の共通点が見えてきた。
引退理由
精神異常
長期療養
永久損傷
精神異常
精神異常
似たような記録が続く。
「精神異常が多いね」
エリシャが言う。
ノエルは資料を眺めながら首を傾げた。
「待って」
「ん?」
「これ・・・違う」
ノエルは一冊の古い記録を差し出した。
そこにはこう書かれていた。
引退理由
精神異常
別の資料
引退理由
精神異常
さらに別の資料。
引退理由
自己認識障害
「自己認識障害?」
エリシャは初めて見る言葉だった。
「聞いたことない」
ノエルも首を横に振る。
すぐに詳細を探した。
だが――
症状欄。
原因欄。
治療法。
どのページも空白だった。
さらに次のページを開く。
そこには短く記されていた。
『閲覧権限不足』
「・・・何これ」
エリシャが眉をひそめる。
ノエルも資料を見つめたまま動かない。
「隠されてる」
図書館の時計が静かに時を刻む。
ページをめくる音だけが響く。
その時だった。
「熱心ですね」
背後から声がした。
二人は同時に振り返る。
そこにいたのはミディスだった。
「先生・・・」
ミディスは机の上の資料を見た。
そして小さく息を吐く。
「ずいぶん調べましたね」
エリシャは立ち上がる。
「先生」
「先生の足」
「永久損傷なんですよね?」
ミディスは少しだけ困ったように笑った。
「そこまで調べたのですか」
否定しない。
「どうして治らないんですか」
ミディスは答えなかった。
静寂。
図書館の時計だけが音を刻む。
「先生?」
エリシャが呼ぶ。
それでも答えない。
やがてミディスは小さく息を吐いた。
「・・・帰りますね」
そう言って踵を返す。
だが数歩歩いたところで足を止めた。
そして、机の上に置かれた資料を見た。
引退理由
自己認識障害
その瞬間だった。
ミディスの視線が資料の文字に止まる。
時間にして一秒もなかっただろう。
だが確かに見えた。
瞳が揺れた。
まるで忘れていた悪夢を突然思い出したかのように。
恐怖。いや、怯え。
それとも後悔だろうか。
今まで一度も崩れなかった教師の仮面に、小さな亀裂が走った。
ほんの一瞬。
だがエリシャもノエルも見逃さなかった。
ミディスは視線を逸らし、小さく呟く。
「・・・それは調べない方がいいですよ」
「どうしてですか」
ミディスはしばらく黙った。
やがて諦めたように息を吐く。
「・・・分かりました」
「明日の放課後、病棟へ来てください」
「そこなら、言葉より先に理解できます」
「病棟?」
「そこで話します」
ミディスはそう言い残し図書館を後にした。
残されたエリシャとノエル。
二人は無言で資料を見つめる。
自己認識障害。
それは今日調べた中で、唯一ミディスが感情を見せた言葉だった。
ノエルが資料を閉じようとした。
その時だった。
「待って」
エリシャがページの端を指差す。
紙が一枚だけ不自然に挟まっていた。
ノエルが慎重に引き抜く。
誰かが慌てて書き残したような走り書き。
インクも所々かすれている。
自己認識障害
症例番号112
症状『自身の名前を忘失』
エリシャは息を呑んだ。
自分の名前を忘れる。
そんなことが本当に起こるのか。
もし自分がそうなったら。
もしノエルやフィアがそうなったら。
エリシャは無意識に自分の胸元を握りしめた。
紙切れに書かれた短い文章が、妙に頭から離れなかった。
『自身の名前を忘失』
つづく
最後までお読み頂き有難うございます。
なるべく短い間隔で、連載していきたいと思いますので
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