女王蜂 2
訪れた地元の図書館は、閉まっていた。
「……俺が調査を始めると、必ず図書館が閉まってるんだよな」
龍之介は鍵のかかったガラス扉を指先で軽く小突いた。
乾いた音が、夕方の住宅街に小さく響く。
最寄り駅から少し離れた裏通り。
古びた小さな図書館は、いつも薄暗く、人気がない。
窓の奥は影に沈み、書架の輪郭だけがぼんやり浮かんでいる。
拓也が首を傾げた。
「拒否られてるんですかね」
「かもな」
龍之介は肩をすくめる。
「まぁいいさ。登記簿は取れたし、今日はそれで十分だ」
図書館を後にした二人は、近くの定食屋に入った。
夕飯には少し早い時間だったが、店内には生姜焼きの匂いが充満している。
ほどなくして運ばれてきたのは、大盛りの豚生姜焼き定食。
湯気の立つ皿を前に、拓也は思わず箸を進めた。
しばらく無言で食べていたが、ふと顔を上げる。
「ところで、龍之介さんって……除霊できるんですよね」
龍之介は肉を頬張ったまま、首を振った。
「いんや。俺はただの調査員だよ」
「れ?」
「除霊は専門のプロの仕事さ。俺は一応、対処できるってだけ」
さらりと言って、味噌汁をすする。
拓也は箸を止めた。
「……さっき戦ってましたよね」
「あれは体術」
龍之介は笑いながら、頭の後ろで手を組んだ。
「霊能力なんてもん、持っちゃいない」
「でも、随分慣れてましたけど……」
「そりゃぁ、経験だよ」
軽く肩をすくめる。
「この街で長く飯食ってりゃ、見えないモンと揉めることも増える」
そう言いながら煙草を取り出すが、店内の禁煙マークを見て舌打ちし、ポケットに戻した。
「……まぁ、信じられねぇよな。俺みたいなの」
拓也は少し考えてから、首を横に振った。
「信じますよ。ちょっと変なだけで」
その言葉に、龍之介の口元がわずかに弧に歪む。
「で、本題なんですけど」
拓也がタブレットを指で叩いた。
「登記簿なんか取って、何を調べるんです?」
「土地の履歴だよ」
龍之介は味噌汁を一口すすりながら言った。
「元の持ち主は誰か、そして誰の手に渡ったか。な、履歴書みたいなもんだろ?」
拓也は眉をひそめた。
「……事故物件ってやつですか?」
「あー、違う違う」
龍之介は首を振る。
「もっと根っこの話だ」
箸を止め、少しだけ声のトーンを落とす。
「建物が建つ前。大正の頃……いや、もっと前だな。そこがどんな土地だったか」
「土地……?」
「地形、地盤、水の流れ、人の営み」
龍之介は肉を一口かじる。
「目に見えない“流れ”ってのは、時々今の空間に顔を出す」
拓也は首を傾げた。
「つまり……場所そのものに憑いてるってことですか?」
「まぁ、そんな感じかな」
龍之介はニヤリと笑い、お冷のグラスを軽く弾く。
「たとえ何も憑いてなくても、土地の歴史が歪んでりゃ人は狂う。場所の記憶が、呪いになることもある」
拓也は箸を止め、少し考え込んだ。
「ちなみに今回の――遊郭跡」
龍之介はさらりと言う。
「昔は沼地だったらしい」
拓也は露骨に顔をしかめた。
「……それ、完全にフラグですよ」
「まだフラグの段階ならマシだ」
龍之介は肩をすくめる。
「水ってのは厄介でね。特に淀んでるやつは」
拓也は肉を咀嚼しながら、ふとDMの内容を思い出した。
夢の中で聞こえる蜂の羽音。水とは関係ない。
――はずなのに、背筋がわずかに粟立つ。
だが、その違和感を口にすることはなかった。
「――美味ぇな、ここの生姜焼き」
龍之介は唐突に話を切り替え、肉を口に放り込む。
拓也は小さく息を吐いた。
この男の言うことは、まだ全て理解できない。
だが一つだけ、はっきりしている。
この世界には、確かに“目に見えないもの”があるということ。
「土地の記録、古地図、住民票、戸籍」
龍之介は指を折る。
「……全部つなげて、“歴史の糸”を作る」
「それを調べるのが調査員の仕事?」
「そ」
龍之介は笑った。
「絡まった歴史を引っ張り出して、断ち切る。俺の仕事はそれだ」
拓也は頷く。
「つまり、歴史を整理すればいいわけですね」
「簡単に言えばな」
龍之介の口元が少し歪む。
「ただし、水が絡んでる案件は厄介だ。根が深い」
一拍置く。
「……だからこそ、面白いんだけどな」
その日の話は、そこで終わった。
店を出ると、夜の空気が少し冷たい。
龍之介はいつもの飄々とした足取りで歩き出し、振り返りもしない。
拓也はその背中を見送りながら、小さく息をついた。




