女王蜂 1
「――これも“調査依頼”って名目で請け負ってるんですか」
拓也がタブレットを覗き込みながら呟いた。
画面にはSNSのダイレクトメッセージ。
名前は勿論匿名だが、冒頭にはこう書かれている。
『繁華街にある廃屋に肝試しに行った直後から夢に蜂が群れて現れるんです。ブンブン音がして、寝むれないんです。どうか助けてください』
龍之介は肩を竦め、水煙草を燻らせながら鼻で笑った。
「まぁな。最近は“依頼フォーム”よりSNSの方が早いんだよ。“#除霊探偵”とか“#心霊探偵酔龍”とか適当なタグ付けてりゃ、勝手に客が来る」
「……便利屋なのは否定しないんですね」
「善人から悪党まで、フォロワーに区別はつけない主義でね」
龍之介の瞳がスッと細められ、代わりに口角が半月型に歪む。
「――それより」
ゆっくりと煙を吐き出すその口元。
「お前、生臭い。生ゴミの臭いがする。気づいてるか? いや、いい。自分の体臭なんて、中々気づけないもんだ」
拓也は思わず息を飲んだ。心臓が跳ね、背筋が凍る。
「呼んでもいない“お客様”が、着いてきちまったみたいだな。噂をすれば何とやら、だ」
龍之介は肩をすくめ、淡々と煙を吐き出しながら、口元に微かな笑みを浮かべる。
「ご来客だ。……豪勢にオモテナシ、しないとな」
拓也の視線は、煙の向こうで半月の笑みを浮かべる男から、どうしても離れられなかった。
龍之介の瞳が細く光り、切れ長の瞼が微かに吊り上がる。
吐き出される煙の輪が揺れ、空気を裂くように掻き消された。
「――それじゃ、始めるか」
その声と同時に、龍之介の体から微かな振動が伝わる。
水煙草のチューブをソファに置き、片手をテーブルの端に触れた瞬間、空気がぐにゃりと歪んだ。
縦横無尽に青白い紫電が走り、床を這い、壁に当たるとバチバチと火花が散る。
拓也は思わず後退り、机の脚に躓きそうになる。
「ヒイッ!? な、何これ!」
拓也と入れ替わるように龍之介は一歩前に踏み出す。
手元には数珠もお札もない。あるのは、真っ直ぐな意思と拳だけだ。
その拳が虚空を殴るたび、紫電が炸裂し、空気が裂け、部屋の片隅の置き時計や書類が吹き飛ぶ。
「――貫く!」
破裂音と共に拳が虚空に亀裂を生む。衝撃で窓ガラスが微かに震え、煙が渦巻く。
「うわぁぁぁあっ!?」
回転蹴りが見えぬ敵を薙ぎ払い、空気そのものを切り裂く。
床に響く振動が、拓也の体を揺らす。
「まだまだ!」
連続する拳と蹴りの軌道に合わせて、紫電が空間を縫うように飛び交う。
室内の照明が弾け飛び、棚の小物が落ち、澱んだ空気が部屋を渦巻く。
龍之介の左手は防御に、右手は攻撃に――攻防一体の動きが、空気の揺れで存在感を放つ。
まるで、一人舞い踊るかのように洗練された動きに余念はない。
汗が飛び、紫電が輝き、彼の笑みが深まる。
「これが俺のスタイルだ。――余所者は吹き飛ばす!」
最後の一撃――踵落としが床に響いた瞬間、紫電が空間全体を包み込み、雷のような轟音が響く。
部屋中の埃が舞い上がり、拓也は思わず両腕で顔を覆った。
やがて静寂が訪れると、龍之介は額の汗を拭い、満足そうに笑った。
「ふぅ……これで一件落着、だな」
振り返ったその顔は、悪戯っぽくも達成感に満ちていた。
「……幽霊って物理通じるんだ……」
拓也が呆然と呟いたのは、まさに目の前の現象に対する率直な疑問だった。
龍之介の動きはまるでアクション映画の主人公さながらで、何もない空間を相手に戦っているようにさえ見えた。
「そうさな。心で念じりゃ、物理だって通じるさ」
龍之介は平然と言い放ち、ポケットから電子タバコを取り出して軽く一服する。
戦いの後も、まるで慌てる様子はない。
「いや……どういう原理……」
拓也がさらに困惑した様子で尋ねる。
「原理とか理論とか、そんなものは俺の専門じゃない」
龍之介は軽く笑いながら答える。
「大事なのは結果だ。要するに、この街で生き残るためには、見えないもん相手でも臆さないこと。それだけだ」
吐き出される紫煙が宙を漂い、先程までの戦いの余韻を物語る。
龍之介は肩をすくめ、掃除機を手に取り、散らかった床をかけ始める。
戦闘後の部屋を淡々と片付けるその姿は、まるで何事もなかったかのようだ。
窓の外の光を浴びながら、ほんの少し笑みを浮かべている。
拓也は膝を折ったまま、床に散らばる書類や小物をぼんやり見回す。
「安心しろ。今日は軽い“お試し”みたいなもんだ」
龍之介の瞳が細く光り、口角がわずかに上がる。
「本番は、こんなもんじゃない。この程度でビビられちゃ、ウチじゃやってけないぞ、アンちゃん」
拓也は目を見開き、背筋を伸ばす。
「そ、そんな……今のが“お試し”……?」
「心を強く持て。霊ってのは、弱った人間に憑く。それこそ弱みを見せた瞬間にやられる。野生動物と同じだな」
龍之介は飛び散った書類を手早く拾い上げ、室内をざっと整理する。
その動きに、少しだけ余裕と遊び心が混じっている。
「さて、後片付けは新人のお前に任せる」
拓也はしばらく呆然としたまま立ち上がり、散らかった書類や棚を見て深く息をついた。
「……こ、これ、オレも手伝わないとダメですか……?」
「そうだな。戦いの後片付けも、立派な仕事のうちさ」
龍之介は淡々と煙をくゆらせながら、窓の外を眺める。
その表情には、ほんの少し笑みと、日常の穏やかさが混じっていた。




