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朝比奈総合調査事務所

「絡まった歴史を引っ張り出して、断ち切る。俺の仕事はそれだ」


 眠らぬ夜を制す街、桜月。

 そんな街を遊ぶのは、何も人間だけじゃない――。


 ネオンの影に潜むもの。路地裏に残る残滓。

 見えない何かが、今日もこの街をうろついている。


そんな“厄介ごと”に首を突っ込むのは、煙の向こうで笑う男と、少しばかり真面目すぎる高校生。


「おっとぉ……こりゃまた、面倒ごとの匂いがするじゃあないか」


軽口ひとつで始まるのは、少しだけ危なくて、少しだけ奇妙な夜。


――今宵もまた、龍は艶やかに、夜を嘲るように笑う。


 1


 掃き溜めの肥溜め──このギラついた街には、そんな言葉がよく似合った。


 ネオンは眠らぬ夜を昼間に染め上げ、浮ついた羽虫どもが穢れた看板の光に吸い寄せられる。

 客引きの声、安酒の臭い、女の嬌声。

 すべてが計算され、脚色された「楽しさ」で塗り固められていた。


 だが、路地裏に一歩踏み込めば、その薄化粧はあっけなく剥がれる。

 投げ捨てられた吸い殻。壁に染み付いた落書きと小便の痕。立ちんぼの影が、ひそやかに息を潜めている。


 その闇の片隅で、一人の男が煙を燻らせていた。

 唐装に広いつばの帽子。サングラス越しの瞳は、笑っているのか、睨んでいるのか、誰にも判別できない。

 口元には銀の煙管。吐き出される紫煙は、夜の闇に溶けるどころか、むしろその闇そのものを嘲笑っているようだった。


「……年寄りたちには呼吸法、女の子たちにはダイエット効果、裏社会には殺法──」


 男は薄く笑う。


「オレって、結構マルチタスクなんだよね」


 彼の名は──朝比奈 龍之介。いや、李 玄明。またの名を『酔龍』と言った。


 この街に似合うのは、金と情欲、そして嘘だ。

 三つの名を使い分け、街を自分色に染め上げる──それが『酔龍』のやり方だった。


「おっとぉ……こりゃまた、面倒ごとの匂いがプンプンするじゃ〜ないか」


 酔い潰れ、路地裏で寝落ちしても、どうか貴方は笑わないでおくれ──龍は煙の中に在り、殺すことも、酔うことも同義だから。


 今宵もまた、龍は艶やかに、夜を嘲るように笑う。


 2


 酔龍は机の上に無造作に積まれた封筒のひとつを指先で摘み上げた。

 表面には滲んだインクで、達筆とも乱筆ともつかない字が並んでいる。


「至急 調査依頼」と、だけ書かれたそれは、どこか湿り気を帯びていた。

 指で封を切ると、紙の内側からほのかに土の匂いが立ち上る。

 まるで泥濘の陰気が、便箋に染みこんでいるようだ。


「……なるほど。そういう“香り”か」


 酔龍は薄く笑みを浮かべ、水煙草のマウスピースを口に咥えた。

 ゆるやかに息を吸い込み、白い煙を輪の形にして吐き出す。

 輪はふわりと漂い、やがて消える。


 便箋には、短くこう記されていた。


『――都心の旧遊郭跡にて、夜な夜な灯がともる。誰もいないはずの二階で、女の声が聞こえる。現地の立ち退きが進まぬため、調査を願いたい。依頼主:橘興業』


「橘……地上げ屋か。どうせまた、ろくでもねぇ曰くつきの土地でも掘り返したんだろう」


 机に肘をつきながら、酔龍は便箋の端を軽く指で弾く。

 紫煙の向こう、曇った窓の外では、繁華街のネオンがぼやけて滲んでいた。


「死人の声か、地上げの祟りか……ま、どちらにしても俺の飯の種だな」


 そう呟いた瞬間、カラン、と玄関のベルが鳴った。


「おや……もうお出ましか」


 酔龍は水煙草の口元を外し、紫の煙を細く吐き出しながら顔を上げた。


 3


「なぁ、アンちゃん。Excel使える? ついでに呪縛霊の後片付けとか出来たら最高なんだけど」


 唐突な第一声に、拓也は思わず固まった。

 ソファの背もたれにもたれかかり、片手で水煙草のマウスピースを弄る男――朝比奈 龍之介は、履歴書の中身など気にも留めていないように、にこやかに笑っていた。


「……えっと、オレ、事務のアルバイト募集の件で……」


 初めてのバイト面接で緊張する拓也。

 その目の前に立つ男は、冗談なのか本気なのか、終始笑みを崩さず、拓也を探るようにじっと見つめてくる。


「そうそう、それそれ。経理とか書類整理、それから時々お祓いと除霊。やることは多いけど、命まで取る仕事じゃない。たぶんな」


 “たぶん”の響きだけが妙に重く、空気は面接というより尋問に近かった。

 視界の端で、水煙草がゴボッと音を立てる。


「……あの、お祓い……除霊って、具体的にはどういう……」


「いやぁ、税務上は“廃棄物処理”って扱いだな」


 龍之介は質問をはぐらかすように、煙を口から輪にして吐き出す。


 紫煙の向こう、笑っているのか睨んでいるのか判別できない目が、拓也を射抜いた。


 拓也の喉が乾く。

 目の前で揺れる紫煙の向こうに座る男は、にこやかな笑顔とは裏腹に、何か底知れないものを感じさせる。


「廃棄物処理」という言葉が頭の中で反響した。


「……あの、その、募集事項には探偵事務所って書いてあったんですけど。高校生でも応募可能って」


 龍之介の指がホースを軽く叩き、水煙草の容器が低く唸る。


「ん~まあね。正式には【朝比奈総合調査事務所】って屋号でやらせて貰ってるけど……正直、表の看板は飾りに過ぎない。この街に真に必要なのは“調べる人”よりも、“始末できる人”なんだよ」


 拓也は唾を飲み込む。

 このまま話を聞くべきか、それとも早々に切り上げるべきか、判断がつかなかった。


「ちょっと待ってください。その、“廃棄物処理”って一体どういう意味なんですか?」

「そりゃ君、企業秘密ってやつさ」


 龍之介は呵呵と笑う。


「まぁ、大丈夫だよ。最初は書類整理がメインだし、君みたいな若い子が来てくれると職場も賑やかになる。なにより、人手が足りなくて猫の手も借りたいくらいだからな――で、君」


 龍之介がホースを口に咥え、ゆっくりゴボッと水煙草を吸い込む。


 煙がくゆる中、拓也を覗き込むように見下ろす。


「高校生って言ってたけど、どこの?」

「……桜月です。そこに書いてありますけど」

「お、悪ぃ悪ぃ、で、授業終わってから来る感じか?」


「はい。放課後なら大丈夫です。テスト前はちょっと厳しいかもしれませんけど……」

「真面目だねぇ。今どき“テスト”なんて言葉を出すバイト志願者、久しぶりに見たよ」


 軽口を叩く龍之介とは対照的に、拓也の姿勢はどこまでも素直で真面目だった。


「で、何でウチなんだ? 探偵事務所なんて、高校の職場体験でも選ばないぞ」

「えっと……求人サイトに“時給が良い”って書いてあって、“事務作業中心”って……」

「あー、それ書いたの俺じゃない」


 即答する龍之介。拓也は一瞬黙り、苦笑いを浮かべた。


「いや、本当はその……探偵にちょっと興味があるというか。……で、ちなみに給料っていくらなんですか?」


 拓也は、半ば照れ隠しのように尋ねた。


 現実的な話題で、緊張を少し和らげたかったのかもしれない。


「んー、時給二千円。ただし、交通費と危険手当込みね」

「……危険手当?」


 龍之介が軽く笑い、机の上の封筒を指で弾く。


 中から滑り落ちたのは、燃え滓となった履歴書のコピーと、封が切れた札だった。


「前任者の置き土産だよ」


 紫煙の向こうの笑顔が、今度こそ“冗談”ではなかった。


 4


 翌日。薄曇りの空が街を淡く覆う中、佐藤拓也は約束の時間より少し早めに事務所へ向かっていた。


 昨日渡された名刺には「朝比奈総合調査事務所」と書かれていたが、その実態は探偵というより“何でも屋”に近い。


 猫探しから呪縛霊の後処理まで、依頼内容は幅広く――そして、胡散臭い。


 事務所は一見、普通のオフィスビルの一角にある。


 しかし扉を開けた瞬間、練炭と甘いバニラの香りが鼻をくすぐり、昨日の男の姿がありありと蘇った。


「おはようございます……」


 拓也が声をかけると、奥のソファにふんぞり返り、水煙草のホースを指先で転がす男――朝比奈龍之介が、ゆったりと顔を上げた。


「お、五分前。さすが真面目だな、アンちゃん」


 にやりと笑う龍之介。その胡散臭い余裕は昨日と何ひとつ変わらない。


「……昨日はいろいろ驚かされましたけど、今日からよろしくお願いします」


 拓也は背筋を伸ばす。緊張と覚悟が入り混じった声だった。


「まぁまぁ、初日から死ぬこともない。まずは書類整理と掃除――それから、ちょっと街の“現場”にも顔を出してもらう。練習代わりってやつだ」


 軽い冗談のように聞こえるが、龍之介の声音には、どこか底の見えないものがあった。


 拓也は小さく頷く。


 頭の中では「本当に大丈夫だろうか」という不安が渦巻くが、財布の中身と発売日間近のNゲージが、彼の背中を押していた。


 ――こうして佐藤拓也の、ちょっと不安で、ちょっと危険な日常が始まった。

続くか分からないですけど、よろしくお願いします。

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