第九話 罪人、「詐欺」に手を染める
マルグが見えてきたのは、それからしばらく歩いたあとだった。
「……あれかな」
森と草原の向こうに、低い石壁で囲まれた町が見える。茶色や白の屋根がいくつも並んでいて、王都みたいな巨大な城壁も、空を塞ぐような城もない。
町の前には街道が通り、荷車や人が行き来していた。
「マルグ?」
隣を歩いていたユラが聞く。
「たぶん」
「はちみつある?」
「着いて最初に探すもの、それなの?」
「ある?」
「町なら……あるんじゃないかな」
「ほんと?」
ユラは嬉しそうに僕を見る。
確証はない。
でも、ないとは言いにくかった。
僕たちは街道の端を歩きながら町へ近づいていく。
人が増えてきた。荷車を引く商人に、剣や弓を持った人。王都から追手が来ているかもしれないと思うと、その一人一人が少し怖い。
「……その前に」
外套の内側を確認する。
角兎から取った角が二本と、小さな魔石が二つ。それから、ゴブリン狩りの男にもらった極小魔石が一つ。
町へ着いても、お金がなければ宿にも泊まれない。
「まず、これ売らないとね」
「うる?」
「お金にする」
「はちみつ?」
「だから、その前に宿」
ユラは納得していない顔だった。
町の門が見えてくる。
その少し手前、街道から外れたところに簡単な屋根を組んだ店があった。
皮、牙、角、乾いた薬草。いかにも魔物や獣から取ったようなものが、無造作に並べられている。
店というより、露店に近い。
ちょうど武器を持った男が小さな袋を店主へ渡し、代わりに何枚か硬貨を受け取っていた。
「あそこなら売れるかな」
ユラと一緒に近づく。
店番をしていた男が、僕を見るなり聞いた。
「売りか?」
「あ、はい」
話が早い。
布に包んでいたものを台の上へ出した。
角兎の角が二本。小さな魔石が二つ。極小魔石が一つ。
男はまず角を手に取り、切り口を確認した。
「角兎か」
「はい」
「解体したのは?」
「僕です」
男が僕の顔を見る。
「初めてだろ」
「……わかります?」
「そりゃな」
やっぱり。
「線から外れちゃったりして」
「線?」
「あ」
僕にしか見えないんだった。
「なんでもないです」
男は怪訝そうな顔をしたけれど、それ以上は聞かなかった。
「まあ、角そのものには傷がない。こっちの魔石も使える」
最後に極小魔石をつまむ。
「これはゴブリンか」
「それは、もらったものです」
「ふうん」
全部を台へ戻すと、男が手を出した。
「狩猟札」
「え?」
「持ってないのか?」
「……はい」
忘れていた。
王都を出たところで会った男が言っていた。
魔物を倒すだけならともかく、角や魔石みたいな素材を取って売るなら、狩猟の許可がいる。
「じゃあ、買ってもらえないですか?」
男は鼻で笑った。
「誰がそんなこと言った」
「え?」
「二十銅」
「全部で?」
「全部で」
安いのか高いのかも、まだわからない。
僕が迷っていると、男が続けた。
「狩猟札持って組合通しなら、もう少しまともな値になる」
「どれくらいです?」
「状態次第だが、三十前後じゃねえか」
「…………」
かなり違う。
「なんでそんなに安いんですか?」
「こっちは、どこでどう取った素材か聞かねえからだよ」
男が僕を見る。
「札なしの素材を買うってのは、そういう値段だ」
なるほど。
僕には狩猟許可がない。
正規の店へ持っていけば、当然それを確認される。
「嫌なら門の中で売ってみろ」
「狩猟札、聞かれますよね」
「まともな店ならな」
選択肢がなかった。
「……お願いします」
「毎度」
二十銅貨。
本来ならもっと高く売れるものを、かなり安く手放したらしい。
それでも、ゼロよりはいい。
男が出したのは銀色の硬貨が二枚だった。
「……これで二十?」
「あ?」
「すみません。このお金、初めてで」
男が少し呆れた顔をする。
「銀貨一枚で銅貨十枚だ」
「なるほど」
銀貨二枚で、二十銅貨。
初めて手にした、この世界で本当に使えるお金だった。
「ユラ」
「なに?」
「お金になった」
ユラが僕の手を見る。
「はちみつ?」
「まだ言うの?」
「買える?」
「宿代がわかってから」
耳が少し下がった。
「そんな顔しないでよ」
店を離れる。
角兎を二匹倒して、自分で解体までして二十銅貨。ちゃんと許可があれば、もっと高く売れたらしい。
この先も素材を売って生活するなら、この差はかなり大きい。
「……狩猟許可、欲しいな」
「しゅりょう?」
「取った素材を、ちゃんと売れるようにする許可」
「とる?」
「町の商業組合で申請できるらしいんだけど……」
「いく?」
「うーん」
本当に行って大丈夫なんだろうか。
僕の情報が商業組合まで回っていたら?
そもそも、身分を証明するものも何もない。
今のところ僕が素材でお金を稼ぐなら、許可なしで取ったものを、こういう店へ安く売るしかなさそうだった。
「……世知辛い」
「せちがらい?」
「気にしないで」
町の門へ向かうにつれて、さらに人が増えた。
荷車を引く商人。大きな荷物を背負った人。武器を持った人。子どもの手を引いて歩く家族。
その景色を見て、少し不思議な気持ちになる。
地下牢。
兵士。
逃亡。
ゴブリン。
この世界へ来てから、そんなものばかり見ていた。
でも、ここでは普通に働いて、買い物をして、家族と歩いている人がいる。
当たり前なんだけど。
異世界にも、普通の生活があるんだ。
「ユウ」
ユラの声で我に返る。
門の脇には兵士が立っていた。
身体が少し固くなる。
王都で僕を追っていた兵士とは装備が違うし、こちらを気にしている様子もない。それでも、兵士を見るだけで緊張した。
「……大丈夫」
誰に言ったのかわからない。
ユラの手を取って、列の最後に並ぶ。
前の人たちを見ると、札を見せて通る人もいれば、名前を告げる人、硬貨を払う人もいる。
順番が近づいてきたところで。
気づいた。
「……名前」
榊優。
王都では僕の名前を知られている。
もし手配がここまで届いていたら、本名を名乗った瞬間に捕まるかもしれない。
「ユラ」
「なに?」
「ちょっとだけ、僕に合わせてね」
「?」
説明する前に、順番が来た。
兵士が僕を見る。
「身分証は?」
「……ありません」
「初めてか?」
「はい」
「名前」
わかっていたのに、聞かれると頭が真っ白になった。
「……ユウトです」
自分の名前を少し変えただけ。
もっと何かあっただろうと思うけど、もう遅い。
兵士が手元の紙へ何かを書く。
「出身」
「…………」
日本。
とは言えない。
「サカキ村です」
言ってしまった。
あるんだろうか。
サカキ村。
「仕事は?」
「えっと……雑用を」
昨日からずっと雑用の人になっている。
兵士が顔を上げた。
怪しまれたかと思ったけれど、視線は僕を通り越してユラへ向かう。
「そっちは?」
「妹です」
言ってから気づいた。
無理がある。
少し尖った耳。
緑色に光る髪。
僕と同じ種族にすら見えない。
兵士が僕とユラを見比べた。
「妹?」
「血はつながってません。家族みたいなもので」
急いで付け足す。
ユラが僕を見る。
お願いだから、今は何も言わないで。
少しの沈黙。
心臓が速くなる。
でも兵士は、再び紙へ何かを書いただけだった。
「入街税。二人で銅貨四枚」
「……通っていいんですか?」
「税を払えばな」
「はい!」
銀貨一枚を渡す。
銅貨六枚が返ってきた。
これで残りは十六銅貨。
「行っていいぞ」
「ありがとうございます」
ユラの手を引いて門を抜ける。
その瞬間。
目の前に文字が浮かんだ。
【条件を満たしました】
【技能【詐欺 Lv1】を取得しました】
「…………」
詐欺。
名前。
出身。
仕事。
妹。
ほとんど嘘だった。
「……まあ、そうなるか」
「ユウ?」
「しっ」
慌てて指を口元へ持っていく。
「ここではユウトね」
「ユウト?」
「そう。人がいるところでは」
「なんで?」
「僕の本当の名前を知ってる人に見つかると、困るかもしれないから」
ユラは少し考える。
「ユウト」
「うん」
「ユウト」
「うん」
「ユウト」
「何回呼ぶの」
ちょっと楽しそうだった。
町の中は、王都とは全然違った。
道の両側に店が並んでいる。
野菜、肉、布、鍋、果物。焼いた魚みたいなものに、見たことのない道具。
知らない匂いと声が、あちこちから飛んでくる。
つい周りを見てしまう。
「ユウト」
「なに?」
返事がない。
見ると、ユラが立ち止まっていた。
視線の先には、小さな瓶がいくつも並んでいる。
中身は黄金色。
「……もしかして」
ユラの翠色の瞳が輝いた。
「はちみつ」
本当にあった。
「すぐ見つけたね」
「買う?」
「値段を聞いてからね」
店の人へ声をかける。
「これ、いくらですか?」
「二銀」
二銀。
つまり二十銅貨。
今の全財産は十六銅貨。
「…………」
そもそも買えなかった。
「ユラ」
「うん」
「足りない」
「…………」
ものすごく悲しそうな顔をされた。
「いや、僕だって買ってあげたいけど、お金がないんだから」
「はちみつ……」
「また稼ごう」
その時、瓶の横に小さな焼き菓子が並んでいるのが見えた。表面が少しだけ光っている。
「これも蜂蜜ですか?」
「ああ。薄く塗ってあるよ」
「いくらです?」
「二銅」
それなら買える。
ただ、手持ちは十六銅貨。
まだ宿代もわからない。
少し迷って、ユラを見る。
蜂蜜の瓶をずっと見ていた。
「……一つください」
銅貨二枚を渡す。
残り十四銅貨。
受け取った焼き菓子を半分に割った。
「はい」
「はちみつ?」
「ちょっとだけね」
ユラが口に入れる。
もぐもぐ噛んで。
止まった。
「……どう?」
翠色の瞳が大きくなる。
「おいしい」
「そんなに?」
「おいしい」
今度は小さくかじった。
大事に食べているらしい。
僕も残りの半分を食べる。
少し固くて、甘さも控えめだった。
でも今日は、朝から何もかもがありすぎた。
疲れた身体には、その少しの甘さがものすごく美味しかった。
「ユウト」
「ん?」
「もう一個」
「無理です」
「なんで?」
「本当にお金がなくなるから」
「…………」
「またその顔」
財布を確認する。
銀貨一枚と銅貨四枚。
十四銅貨。
角兎を二匹狩って、素材を売って、町へ入って、蜂蜜のお菓子を一つ買った。
それだけで、もう六銅貨減っている。
この世界で生活するって。
思っていたより、ずっとお金がかかるらしい。
「まず宿を探そう」
「ねるところ?」
「うん。今日はさすがにベッドで寝たい」
町を歩き始めて、すぐに別の問題へ気づいた。
「……字が読めないんだよな」
店先には看板がある。
でも、僕には読めない。
言葉は通じるのに、文字は全然わからない。
「ユラ、読める?」
「よめない」
「そっか」
二人揃って駄目だった。
仕方なく、絵の看板を頼りに歩く。
少し進んだところで、ユラが僕の袖を引いた。
「ユウト」
「なに?」
「あれ、とり」
指差した先に、赤い鳥が描かれた看板がぶら下がっていた。
ちょうど建物から荷物を持った人が出てくる。一階の窓からは、食事をしている人たちも見えた。
「……宿かな」
扉の前まで行き、中を覗く。
カウンター。
階段。
食堂。
たぶん、宿だ。
財布を見る。
十四銅貨。
「……泊まれるといいけど」
「はちみつ買ったから?」
「それは言わない約束で」
「やくそくしてないよ」
「そうでした」
ユラが少し笑った。
僕も笑って、扉を開ける。
この世界に来て初めて。
今夜眠る場所を、自分のお金で探し始めた。
榊 優 Lv.2
天職:【罪人】
【解錠 Lv.2】
【窃盗 Lv.1】
【密猟 Lv.1】
【詐欺 Lv.1】
ユラ Lv.1
【芽吹き Lv.1】
今回の変化
優:【詐欺 Lv.1】取得




